できることが島になる

クリスティン・バーネット『ぼくは数式で宇宙の美しさを伝えたい』
(原題『The Spark: A Mother's Story of Nurturing, Genius, and Autism』)

長いあらすじ

ふるきよき暮らしを保ち、助け合いを旨とするアーミッシュ。子だくさんな町の共同体に育った筆者クリスティン・バーネットは、結婚と教義の都合によりそこから出たとはいえ、じぶんも子供に囲まれて暮らすと信じていた。
だから保育所を運営する忙しさのなか懐妊の知らせを受け取ったとき、人生が先々までまぶしく輝くように思えた。
妊娠高血圧症候群により母子の命を危ぶまれつつ出産した長男ジェイクは人懐っこく好奇心旺盛。生後10ヶ月で英語、スペイン語、日本語を覚えてしまうなど、その才能には幸福が約束されていた。
影が差したのは一歳二ヶ月。笑ったり喋ったりしなくなり、全方位への好奇心や幸せそうな表情が消え……光や影、幾何学模様への没頭がはじまった。壁に当たる日光、手の影、格子模様などを何時間でも眺め、集中のあまり全身を硬直さえしている息子を見て、筆者のなかに不安が広がっていく。
名前を呼ばれても反応しない、ふわふわのアヒルのひなにも気を取られず画用紙に円を描き続けるなど、発達機能の遅れは顕著となっていく。専門家によるトレーニングが始まってもそれは変わらず、二歳になってジェイクはアスペルガー症候群(IQの高い自閉症)と診断を受けた。つまり、複雑な迷路をおとなより早く解いてみせる、何時間でも集中できるなどのジェイクの才能は、その反対側にある多くの「できないこと」と切っても切り離せない関係にあったのだ。

しゃべらず、目を合わせず、話しかけても反応しない。自閉症は泥棒だ。わが子を、希望を、夢を奪っていく。
ジェイクは回転するものに執着し(自分もくるくる回る)、空っぽの花瓶にものを出し入れして何時間でも飽きることがない。興味のピークは鏡や影や光で、リビングの床に伸びる影が変わっていく様子を午前中ずっと観察していることもあった。やわらかいベビー毛布にくるまって、そこに織り込まれた幾何学模様をみじろぎもせず眺めることがほとんどの息子。絶望に押しつぶされそうになりながらも筆者はけして諦めなかった。
言語療法士、作業療法士、理学療法士、発達セラピストによる週10時間のセラピーに加え、週40時間もの療法プログラム。次男を妊娠しながら保育所を運営する母親とフルタイムで働く父親。残りすべての時間を息子を費やす、誰もが疲れ切る生活に終わりは見えなかった。
しかも手厚いセラピーにもジェイクはただイライラしているだけに見える。「自閉症の子ができないことを、せめて人並みにできるようにする」ことに焦点を当て、一日の大半を費やす訓練だ。どう考えても向いてないタスクをむりやりさせる……親子ともども自閉症という診断結果の檻に閉じ込められた一年だった。

教えてないのに何百本ものクレヨンを虹のスペクトル順に緻密に並べる。色の異なるさまざまな毛糸をキッチン中に張り巡らせ、複雑に入り組んだ美しい蜘蛛の巣のようなデザイン作品を作る。三歳にもならないジェイクがそれをやってのけるとき、彼はキビキビと動き、ふかく集中していた。一方でセラピー中はすぐに気をそらし、だらんと力を抜いていることがふつうだ。それでもセラピーの結果を眺めるうちに筆者はあることに気づく。じぶんの時間に没頭したあとほどジェイクはセラピーの結果がよかった。
できることがよすがになる。そう気づいてから生活や遊びのなかにトレーニングを忍ばせるようにした。そしてセラピーに埋め尽くされて一日を終わらすのではなく、星空を眺める時間や、裸足で泥遊びをする時間をなんとかして作る。その積み重ねの結果、ジェイクは18ヶ月ぶりに言葉を発してハグを返してくれた。
小さな両腕が首に巻き付いている。わが子においては奇跡的なその態度に、泣きながら笑い、笑いながら泣いた。

三歳になったジェイクはプレスクールに入ったが、基本方針は幼少時の特殊教育とおなじ。自閉症児にできないことを少しでもましにするための地道な訓練だ。専門家は「ジェイクには学習する能力がなく、文字も読めるようにならない」と面と向かっていった。だから彼の大好きなアルファベットのカードも学校に持ってこないように、と。
できないことばかりに焦点を当て、できることに注目しないのは間違っている。その確信から筆者は、専門家による特別支援クラスから息子を取り戻すことにした。それはつまり重度の自閉症児を幼稚園の普通クラスにいれるための訓練を、参考書もなく自分でやるということだ。とうぜん夫は反対する。
とはいえ健常児なら家族がそれをするのは普通だし、筆者には子供の天性を引き出せるバックボーンがあった。祖父が天才的なエンジニアで、妹もまた幼少時から天才的なアーティストだったのだ。妹の学校の成績が壊滅的でも鷹揚に構え、タガにはめずにその天性を引き出してくれた母親。ジェイクが自閉症だとわかっても「大丈夫だ」と言ってくれた祖父。
彼らの姿勢は筆者に引き継がれ、保育所で健常児たちから才能を引き出すことに役立っていた。彼らが大好きなことをたっぷり与えながら勉強を組み込んでいくのだ。
ある子には巨大な積み木を部屋いっぱいに与え、ある子にはスクラップになた機械をどっさり集めて分解させ、ある子にはお菓子を作りながらアイシングで文字を書かせ、ある子は気の済むまで語らせた物語を本にしてあげる。大好きなこと、打ち込めることに焦点を当てて伸ばすと才能は開花する。ついに両親がこれは障害ではないと認めると、子供らの問題行動はぴたりと止まった。気づけば、どうにも言うことを聞かない子どもたちの駆け込み寺にまでなっていた。

その勢いにのって筆者は自閉症児のため週二回、夜だけのキンダーガーデン・プログラムを始める。だいじなのはその子の好きなものの「ふんだんさ(machness)」だ。触覚に訴えるものが好きな女の子には温かな自家製粘土で型抜きをして、アルファベットや図形を学ぶ。お菓子の好きな子にはキッチンでクッキーを焼きながらアイシングで文字を書く。
「できること ✕ 好きなこと = 得意なこと」という式が成り立つように。その(少し特異な)こだわりを叶え、幸福心と自尊心のエネルギーで満たした状態ではじめて、彼らの不得意な領域(社会に必要なことなど)を教えていく。筆者はそうやって大きな成果を上げていった。

子供たちがなにに興味を持つかがわかれば、それをヒントにしてその子の人間性がわかってくる。ジェイクの場合、天文学がそうだった。
三歳にして星図ばかりが並んだ分厚い専門書に首ったけになり、大学の講義を聞きに行く。そこでされた「火星の月が楕円をしている理由は?」という教授の質問に誰も答えられないなか、「すみません、火星の月の大きさをおしえていただけますか?」とジェイクは質問し、「球体をつくれるほど引力の作用が強くないからです」と、みごと回答してみせた。それは彼が人生で初めてした長い会話だった。それをできるだけの思考を、誰にも話さないまま彼は彼のなかでずっと行っていたわけだ。
本屋で子供が夢中になったとはいえ、大学レベルの専門書を買い与えることのハードルは高い。大学の特別プログラムに自閉症の三歳児を連れていくのだって筆者は大いに葛藤した。それでも、やりたいことをやらせることができることを伸ばす最大の方法だという信念が背中を押したのだ。

短い感想

かいつまみながら三千字ほど書いた内容はこの本の1/3にも満たない。ほんとうに多くのことが筆者には起こり、そのたびにすさまじい情熱と献身と試行錯誤で乗り越えていく。
ときに衝突しながらも愛情と愛嬌をたたえて協力してくれる夫のマイケル。アーミッシュらしい善行を絶やさぬことで得られた周囲からの助けも彼女を支えた(自閉症児のためのキンダーガーデン・プログラムも完全に無償でやっていた)。
三歳で大学の講義を受けられる巨大な才能も、母親たる筆者の信念と献身なしには開花しなかったろう。それを奇跡とよぶか必然とよぶか。
どちらにせよ、この本はあなたの胸に火を灯すはずだ。自分のできることはなにか。自分のよすが、人生の拠点になる「島」はそこにあるはずだ、と。

ジェイク13歳

その分野について「学ぶ」ことをやめて
分野そのものについて「考える」とき
はじめて人は「作る」ことができる。

25歳になったジェイク(Jacob Barnett)は名門ペリメーター理論物理学研究所で博士号を取得中とのこと。

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