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今、この瞬間

私は突発的に図書館に行くのが好きなのだが、頻繁に通っていた図書館は電車で一駅離れていて、徒歩圏内の図書館は20~30分歩く。
自粛が緩和されて図書館も再開すると聞いて、今まで未開の地だった徒歩圏内の図書館へ行ってみた。

よく行く図書館とは蔵書のタイプも違い、展示の仕方もまた違ったので、とても新鮮だったし、せっかくだから借りて帰ろうと館内をうろうろした。
徒歩圏内の図書館は新作(世間で言う新作ではなく、新しく入荷したという意味で)を平台に展示していた。
本を借りるときは小説など以外は初版がいつかを見て借りる癖があって、時代にそぐわなかったり、統計が古かったりもするのを意図的に回避している。
その平台で手に取った、本当になんとなくな気持ちで借りた本に、どっぷり浸かってしまった。

新書版で持ち運びもしやすかったし、通勤の間にも読めるかなと思った。
爆笑問題の太田さんは好きでも嫌いでもなかったが、本を多く出しているのはなんとなく知っていたし、この本は対談形式で進むのでパラパラとめくっただけでも読みやすそうだった。話す機会の多い仕事をしていて、育成も任されているので、言葉についてを語る本というのに興味があった。

太田さんと対談している山際さんは京都大学の総長で、霊長類学・人類学を専門にされている人だ。そしてゴリラの生態についてとても詳しい。
この本には、ゴリラの生態と人間とを比べる描写がいくつもあって、ゴリラの生態に詳しくなかった私はとても興味深くて面白かった。

生の言葉の情報量というものがいかに代えがたいものか、文字と言葉は大きく異なるもので、文字は単なるデータでしかないのに、今はこのデータの方がリアリティを感じる時代になっている、という内容に、なんとも複雑な気持ちになる。正しい情報ってなんだ。
目の前で「死ね」と言われることと、SNSなどに「死ね」と書き込まれることは、同じ言葉でも全く違うもので、目の前で発せられたものは、冗談かどうかもわかるものだ。でもそれが、データだけ言葉になってしまうと、本気なのか冗談なのか、悪意があるのかないのか、読み取ることはできないし、発した相手と受け止めた相手が同じ解釈をするかどうかはわからない。これが怖い。

私は幸い、誹謗中傷に晒されることは今のところないけれど、マシュマロで色々なオタクから聞かれることを答えているので、不快に思う人もいるのではないかと思う。正直言って、話半分程度で読んでほしいなと思っている。真面目に答えてはいるけれど、真意は半分も伝わるかどうかだなと感じてもいるので。限られた字数で当たり障りなく答えるのは結構労力がいる。

結局もっと生のコミュニケーションをとろうよ、ということなんだろうけど、そもそも時間が足りない、とも書いてある。
世の中が時短を求めすぎていて、長期的な目でものを見れなくなっているんだろうなと。考えることをせずに突発的に行動するのは私も心当たりがあるけれど、言葉は突発的に発しない方がいいな、と、noteを書いているときも思う。

難しいことをごちゃごちゃ述べたけれど、この本、色々な情報がたくさんあるので、とても面白かった。隙あらばゴリラについてがちょこちょこ出てくるので、ゴリラへの興味も増す。ゴリラのボスは集団でも後ろを振り返ることはない、ゴリラはケンカの仲裁をする…ゴリラと人間の大きな違いは、問いを立てることである…

この本を読んだ後、Wikipediaでゴリラを調べてしまったのは言うまでもなく。
ゴリラには今目の前にあることが世界のすべてらしい。
そう思えたらどんなに楽なんだろうと思う反面、それはそれでちょっと寂しいなとも思った。
人間は面倒だなぁと思う反面、人間でよかったなぁと、昔のことを思いだしてちょっとだけ思った。

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