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始まって、そして終わる

年を取るほど口にする「懐かしい」という言葉。あの頃に戻りたいとは微塵も思わないのに。

夏が終わる。
母校が甲子園に出た。28年ぶり、夏は3回目、春夏通しては6回目だが、1度も初戦突破したことがない。
28年前はたぶんテレビで見ていた。もちろん通ってなどいない。幼かったし記憶は曖昧だが、たしかに見ていたと思う。負け方まではさすがに覚えていなかったけど。
テレビの前で地元紹介が流れるのを見て、不思議な感覚だった。あの頃あんなにも憂鬱だった通学路が、今は懐かしいというだけで輝いて見える。

嫌だった記憶が消えることはない。が、年をとって「どうでもよくなった」のだと思う。
私はお世辞にもできた子とは言えない学生だった。学校というコミュニティが小中高大すべてにおいて馴染めなかった。どの世代でも登校拒否は起きた。大学は挫折して逃げたくなっただけだけど。
ただ高校時代、部活は嫌いじゃなかったので、支えはそれだけだった。担任のことも美しい記憶はないし、今どうしているのかを調べることもない。
感謝していないわけではないけれど、掘り起こしてまで…という感じ。申し訳ないけれど。

今やSNSで卒業後も同級生の様子がうかがえる時代。私も一応は登録しているけれど、結婚しないし子も持たない身にとっては、正直うんざりするようなことが多い。のでどんどん疎遠になる。
でも、甲子園。全国規模で自分が出た学校が紹介され、職場で母校だと言えば盛り上がり、いつの間にか微塵もなかった「愛校心」が生まれていた。正確には愛校心ではないのかもしれない。ただ何と呼べばいいのかわからないので、あえてそう言葉にする。
純粋に野球が好きな私は応援もしたし、細かくプレーを見ていた。
初戦は仕事の休みを急遽変えてもらい、家で真剣に見た。
同級生で現地へ応援に行った子もいたらしい。羨ましい半面、当時の同級生とのつながりが希薄だったので、今でもその伝手を使えるのがすごいなと思った。

母校は初戦を勝利した。甲子園出場依頼、初めての勝利だった。
記録にも記憶にも残る出来事となり、生まれた愛校心はこの後も自信として残っていくものだと、その時は思っていた。
が、所詮はその程度のもので、付き合いが希薄だったり思い出が少なかったりする自分には、時間が経つにつれ忘れていく。
現地で応援していた同級生は「野球が好きなわけじゃない」というタグをつけてSNSに写真を上げ、それを見た瞬間に、愛校心は突然煙のように消えていくのを感じた。やはり私にはただの学歴の記録でしかないのだと。
「愛校心」というものは、学校に対する想いよりも、周囲との関わりや思い出で育まれるものだ。
そういうものが欠如している私には、幻のようなものだった。

愛校心だと思っていたものは、同じ轍を踏んだという同族意識なだけだった。
始まった気持ちは夏が終わるとともに、消えていった。

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