英語民間試験についての私見③個人の見解

では、個人の見解を述べていきます。

0.見解を述べる前に

筆者は大学院で政策学の研究を行ってきたこともあり、このような教育政策・公共政策に絶対的な正解がないことは理解しております。

また、政策によって利益を受ける者とそうでない者とが必然的に発生します。とりわけ、今回はメディアを中心に、家計の負担や教育格差が助長されるおそれがあることが指摘されました。そして、当事者である現役高校生による署名運動がなされたことや、大臣の発言が取り上げられたことなど様々な経緯を経て、採用を「延期」することとなりました。

高校生、凄いなと思いました。自分たちの立場だけでなく、全国の高校生の立場も考慮して、署名を集めて提出するという行動力については、本当に素晴らしいものがありました。

一方で、我々が忘れてはならない概念があります。それは「民主主義」「立憲主義」です。

選挙権を持つ国民が多数決による投票によって代表となる議員を選び、選出された議員によって構成される議院によって日本の政治的方針は決められています。

意見表明は大切です。日本では、表現の自由も保障されています。「デモ」「嘆願」で政治方針が変わるような国であれば、それは民主主義を冒涜した国家だといえます。一度決定されていることについては、大きな声を出して変えるのではなく、選挙によって変えるということが大前提です。

(もちろん、現行の選挙制度に問題がないとは言えませんが…)

1.私の見解

さて、前置きが長くなりましたが、本題に入りたいと思います。

私の見解としましては、

4技能を試験に導入するという方向性については賛成する。一方、試験の執行に関する懸念点が複数挙げられており、これらにつきしかるべき対応をとったうえ、可能な限り運用面での不安を除いた実施する必要がある。したがって、今回の英語民間試験導入「延期」については賛成である。

というものになります。

つまり、「体制が整ってないので延期はやむなしだけど、色々と努力と工夫を行って将来的には実施することが望ましい」というものになります。

(現在、私は学部の受験生でないことや、中高生の子を抱えていないという立場からのバイアスも当然あります)

2.理由

前提として、英語の4技能を伸長するということは、従来から学習指導要領で目標とされていることであり、大学が試験によって受験者の能力を推し量っても、「学習指導要領からの逸脱」には当たりません。

そして、確かにひと昔前までは、国際教養大学や早稲田大学国際教養学部等、いわば特殊な大学・学部でなければ高度な英語運用能力は要求されていなかったのかもしれません。

しかし現在、例えば京都大学工学部や慶應義塾大学経済学部、東北大学工学部等では、英語による講義で卒業要件単位を取得することができます。

当然、講義の中には英語でのプレゼンテーションを行ったり、英語での意見交換が必要になるものもあります。「大学での学問に、英語スピーキング能力は関係ない」という時代ではなくなってきているのです。

上記の大学からは、国内最先端の研究機関として、海外の学生を集めると同時に、国際舞台で活躍できる人材の育成を担うという使命感を伺うことができます。

加えて、全ての講義が英語でないとしても、殆どの大学の教養課程において英語によるディスカッション・プレゼンテーションが課される等されており、英語4技能が適切に鍛えられていないと大学での教育効果も小さくなります。

3.補足

とはいえ、前回の記事で、英語民間試験を導入すべきでないという主張の中で、一定の合理性のあるものを抽出しました。

①出題・採点の質および公正性の担保が不透明である点

②試験実施にあたり、人員の確保が困難である点

上記の点がクリアされていない限りは、英語民間試験の導入が難しいのは自明であり、「延期」の判断は妥当であるといえるでしょう。

個人的な考えですが、今回の導入延期も大臣の「身の丈」発言で決まったものではなく、試験の実施団体が必要な人員や試験地を確保することが難しかったことに起因するのだと思います。

次回は、この点も踏まえ、英語民間試験導入の実施方法等に関し、私見による個人的な提言を記したいと思います。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。



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