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適応障害休職記録④(産業医面談~休職開始)

こんにちは、あんぱんママ◎です。
今日は久しぶりに晴れて、なんだか気分も少し上向きになった気がします。
気分が天気に左右されることってありますよね。

前回は心療内科で適応障害と診断され、診断書を会社に出すまでの流れを書いていきました。

今回は産業医面談から休職開始までのことを書いていこうと思います。
救急搬送されるなど、ちょっと重い内容もあるのですが、症状が進んだときの一例として参考に見ていただければと思います。
※大事には至らず今は大丈夫なので、あまり重く捉えないでください!


産業医面談

診断書提出翌日の午前中、産業医面談をすることになりました。
会社によって休職の条件は様々だと思いますが、私の勤める会社では診断書だけではなく、手続き上必ず産業医面談が必要ということでした。

産業医面談はリモートで実施することになり、夫も同席したいと申し出てくれ、夫同席のもと実施しました。
既に私の会社に対する夫の信用はゼロ(むしろマイナス)で、これ以上の不利益を被らないよう、夫からも私の体調やこれまでの会社の対応について話したいということでした。
孤独な戦いにならず、家族が協力してくれたことは本当に心強かったです。

なるべく感情的にならないよう気を付けてはいたのですが、心療内科受診のときと同様、これまでの経緯を説明し始めると自然に涙が出てきました。

産業医の方からは診断書も出されているので、すぐ休職に入りましょうと言われました。

産業医面談のすぐ後、上司に連絡を入れ、午後は仕事をしていました。
上司から「業務はすべて自分が引継ぐ」と返信が来て、上司が業務過多にならないか心配になりました。

突然の救急搬送

引継ぎの段取りや正式な休職開始日がまだ決まっていないので、産業医面談の翌日も仕事をしようと思っていました。
が、朝起きると手足に力が入らず、ベッドから転がり落ちてしまい、そのまま床から立ち上がれませんでした。
夫を呼ぶも、お腹を空かせた1歳の娘が朝ごはんを求めて騒いでいたので、夫に娘の世話を任せ、自分で「#7119」(救急相談窓口)に連絡することにしました。

参考ですが、「#7119」は救急車を呼ぶべきかどうかなどの相談ができる電話窓口です。
妊娠するまではこんな窓口があると知りませんでしたが、子どもができてからちょくちょく利用しています。

若干過呼吸気味になりながら、#7119に連絡したところ、すぐ救急搬送が必要と判断され、救急車が来てくれました。
救急隊員の方が担架で運び出してくれた際、娘が静かになり、不安そうに見ていたのを覚えています。

搬送先の病院ではまず血液検査を受けました(脳梗塞を疑われていたようです)
血液検査には問題がなく、その日は点滴を受けて帰りました。
この頃も嘔吐を繰り返していたので、栄養失調などが原因だったのでしょうか…。

休職前最後の勤務

救急搬送されたこともあり、最後は在宅で勤務させてもらいました。
引継ぎの段取りを上司に相談したところ、業務内容はわかっているので、引継ぎはいらないと言われました。
この頃はもうすべての物事をネガティブに捉えることしかできず、
「もう私とは会話すらしたくないんだ…」と思ってしまいました。
今になって思い返すと、少しでも早く仕事から離れられるよう配慮してくれたんだろうと思います。

後々引継ぎ漏れでトラブルになってしまうと申し訳ないので、引継ぎ文書を作成して上司に共有するなど、最低限の段取りをして仕事を終えました。

最後にオフィスへ

会社によってルールは違うと思いますが、私の会社の場合、休職時には会社から貸与されているパソコンやスマホ、入館証をすべて返却しなければならないルールでした。
郵送でも返却できたのですが、少々不親切なことに、モノによって郵送先が異なっていて純粋に面倒なのと、着払いは不可ということで郵送代もかかるな…と思いました。

少し嫌でしたが、直接会社に返却しに行くことにしました。
道中で倒れたら大変なので、夫がついてきてくれることになりました。

必要最低限の事務手続きに加え、上司に挨拶をしようと思いました。
しかし、上司は席をはずしていたので、渡そうと思っていた菓子折りと手紙を置いてオフィスを出ました。
このときもネガティブなことしか考えられず「顔を合わせたくなくて席をはずしているんだ…」と変に落ち込んでいました。
被害妄想の症状も出ていたのかもしれません。

このときは「仕事から離れられる!」という解放感ではなく、
「みんなに迷惑をかけて申し訳ない」
「仕事が忙しい夫にまで迷惑をかけてしまった」という罪悪感をひきずって家に帰ったことを覚えています。
とにかくすべての物事をネガティブに捉えることしかできませんでした。

こうして、2024年1月中旬。
診断書が出てから1週間程度で、一旦仕事から離れて療養できる環境が整いました。
他の方のブログなどを読んでいると、この段階で解放感を感じる方もいらっしゃいましたが、私の場合は罪悪感や後ろめたさ、あとはなぜか「敗北感」といったネガティブな感情に支配されていました。
今は休職という選択をしてよかったと思っています。あのまま働き続けていても何もいいことはなかったと思います)

前回の記事にも書きましたが、最優先事項は「一刻も早く、普通に食事がとれる健康な生活に戻ること」のはずなのに、矛盾した感情だったと思います。
改めて振り返ると、もはや自分の感情がコントロールできない状態だったんだろうな…と思いました。

本記事の総括

  • 休職の条件には診断書に加えて、会社の産業医面談が必要なケースも。スムーズに休職に入るためにも、産業医面談は必ず対応したほうがいいと思います。

  • 救急車を呼ぶか悩んだ時の相談窓口「#7119」は便利なサービスなので、何かあったときに役立ちます。ただし、日本全国どこでも利用できるわけではないようなので、お住まいの地域がサービスに対応しているか、あらかじめ確認いただくのが良いと思います。特に、適応障害の症状が出ている方は私のように突然倒れたりするケースも考えられます。命を守るためにもぜひ覚えておいてもらえたらと思います。

  • 私の場合、休職直前はとにかくネガティブな感情に支配されていました。今になってわかりましたが、これは休養しないと治りません。「やっぱり休職やめようかな…」というような最後の抵抗(?)などはやめたほうが良いと思います。

休職直前のことなので、重い内容やネガティブなことばかりになってしまいましたが、ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
次回は、休職1週目の様子や、私の適応障害が家族に与えてしまった影響などを書いていこうと思います。

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