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(小説)今井陽子、新年から愚痴る

「クマが降りてくんの防ぐために電気柵まで使ってる町あるんだって。フキとかセリが生えてると降りてくるから草刈りもあちこちでやってるんだって。札幌もそれくらいすりゃいいじゃん」

 岩本祐一がまた、NHKの受け売り情報を偉そうに喋ってる。勤務中なのに。黒いマスクと態度の悪さのせいで、バイトなのに強盗に見える。やるはずだった宛名書きと資料整理は、クリぼっち説教で引き抜いた静宮菜由夏さんがやっている。
 岩本祐一の給料もこの人に差し上げたい。
 住職が法事から帰ってきたら盛大にチクろうっと。


 あたしはここで働く気はなかったけど、ただでさえ少ない文筆業はあがったり。コールセンターも三密が辛くてシフト減らしてる。仲のいい同僚がみんな、ウイルスではなく精神をやられて休み始めてしまった。あたしもその中の一人。

「いやあ、俺の無神経というか、鈍さがこんなときに役立つとはなあ」
 ベテランのイケメン・半田さんが深い声でつぶやいていた。同僚で全く平気そうに振る舞っているのは半田さんだけだった。あたしがコールセンターでバイトを始めたときからいる先輩。もう8年も一緒にテレビショッピングの受付しながら、お互いのダメ人生ぶりをあざ笑って仲良くしてきた。
「俺は最初から世の中も人生もあきらめてからここ来てるけど、若手はそうじゃないもんな。子供がいる奥さんなんかよけいに心配だろうしねえ。みんなが悲観するのも無理はないし、それが正常だよね」

 あたしがシフト減らして休みたいと言ったとき、半田さんからは、

「自分が正常で良かったじゃない」

 というLINEが。あたしはあなたが心配です。


 せっかくシフト減らして休もうとしたのに、部屋に一人でいたらそれはそれで暇で、読みたいものや見たいものをだいたい制覇して部屋に飽きた頃、住職から連絡が来た。

「雪ウサギが復活した。さっき会った」


 久しぶりの連絡で、最初誰からかわからなかった。

 雪うさぎ。
 あたしが殺したはずの女。
 札幌の欲望と魂を食う妖魔。


 大学時代の悪夢を頭の中で一通り反芻したあと、親友のマナにも知らせた。マナは東京で働いているから、こちらには来れない。ウイルスがなくても来なかったと思う。

「思い出すのは、今でも辛いよ」

 あたしも辛いよ。
 大事な人がいなくなった思い出。
 絶対に忘れられない別れ。

 イチョウの葉が青空を舞う。

 ああ、また余計なことを思い出した。
 全て、遠い昔の話。若い頃の話。
 そうだ、あたしたちは徐々に、
「若者」という存在から離れ始めている。
 なのに。


「イタリアとかフランスでは、12月にはウイルス感染してたやついたんだって。NHKスペシャルでやってたんだけどさあ。中国なんて人から人への感染を隠すために検閲みたいのしてたって。怖いよな。まさか日本でそんなことやってないよな?最近世界がイラついてる感じで俺怖いんだよね」
 そろそろ岩本祐一に注意しなくては。寺のオーラとあたしがこの男にイラつく前に。
「おしゃべりはやめて仕事したらどうですか〜?ほんとは資料整理だって先輩がやるはずだったんでしょ〜?静宮さんに押し付けてサボって給料もらおうなんて贅沢すぎやしませんか〜」
「ちゃんと仏具磨いてるって」
 岩本祐一がしかめっ面で、変な金属の道具を持ち上げた。
「でもこれサビだらけで健康に悪いんだって。しばらく退魔の道具使う機会なかったとか言ってもさあ、これはねえだろこれは」
 先輩か青サビの塊を静宮さんに向けた。
「それは、捨てて買い替えてはだめなの?」
 静宮さんが苦笑いした。
「俺もそれ何度も言ってんですよ!」
 やばい、岩本祐一の目が輝き始めた。
「新しいやつ買えって言ってんですよ俺は何度も!住職がケチなんですよ!」
「使えない仲間を雇ったせいで寺の予算がなくなったんじゃないすか〜。文句言わないで仕事しましょうよ仕事を〜!」
「うるさいよ。お前はここで何してんだよ?」
 岩本祐一の目つきが、少し変になる。あたしは目をそらして静宮さんを見た。何かを察したかのように、マスクに隠れた目元だけが笑っていた。


 岩本祐一は大学の先輩。あたしが知る中で一番性格が悪くて大人気ない男だ。親友のマナが釧路旅行でこいつに一目惚れしたせいで、同じ大学の怪しい心霊サークルに入ることになった。でも、この男はマナではなく別な女に夢中で、その女は頭がおかしいタイプだった。さんざん自殺をほのめかした挙げ句、雪うさぎの仲間たちと事件を起こして崩壊したビルとともに行方不明。遺体は出てこなかった。


 あの「最後の戦い」以降、あたしと岩本祐一、マナ、住職の間には、連帯と気まずさが常にある。しかも、戦いはまた始まるかもしれない。


 雪うさぎが、ウサギ男が、
 また出たということは、
 また、人を狙い始めるということだ。
 

「静宮さんが見た子供、あのあと出ました?」
 気まずさを紛らわすために聞いてみた。
「元旦にね、近所の公園で一人で雪遊びしていたの」
「マジっすか?だあぁ!」
 岩本祐一がサビだらけの道具を膝に落として、汚れた服を慌てて叩き始めた。
「でも、近づいたら消えてしまって」
「消えたんすか?」
 あたしが尋ねると、静宮さんは目元を細めた。不快なのか別の何かなのか、マスクがあると読みにくい。
「でも、作っていた雪だるまは残っていたから、幻ではないと思うの。足跡がないのが気になるけど」
 静宮さんはバッグからスマホを取り出し、小さな雪だるまの写真を見せてくれて、
「一体誰なんでしょうね?」
 昔話みたいな口調でつぶやきながら、スマホをバッグに戻した。
「交通事故で死んだユーレイなんじゃないですか?俺もなったことあるんですよ」
 また始まった。岩本祐一は誰にでもこの話をする。高校のとき交通事故でユーレイになったけど生き返ったとかいう話だ。
「……でも、住職は『死んだら即極楽浄土に行けるというのがうちの宗派だから、幽霊の存在は認められない』って言うんですよね」
「え?そうなの?」
 あ、静宮さんの声が驚いてる。
「お寺ってユーレイとか、源氏物語の加持祈祷とかのイメージがあるから、てっきり霊は信じてるのかと思ってた」
「それが宗派が違うのかよく知らないんすけど、住職は認めないって言うんですよ」
「でも、大学のサークル旅行とかでうちら、何回もユーレイに会ってますよね〜?そのたびに先輩のせいでみんなひどい目にあいましたよね〜?」
「なんで俺のせいなんだよ?とにかく、住職はユーレイがいるの知ってるくせに、宗派の都合でいないいないとまわりに言いふらしながら、俺にこんなもん磨かせてるんです」
 岩本祐一がサビの塊を持ち上げて目元を歪ませた。
「なんだよこれ。中までサビてんじゃねえのか?いつまで磨いても全然きれいにならねえし」
 うわあ、職場にあるまじき不機嫌ボイス!
「静宮さん、この無礼な男は気にしないでくださいね〜」
 来たばかりのバイトさんに辞められたら住職に怒られるので、あたしはフォローに回る。
「無礼を働いたらあたしが木刀でぶちのめしますからね〜」
「うるさいヨーコ」


 こいつに名前で呼ばれるのは好きじゃない。


 クリぼっちからぼっち正月を経て、新年が始まった。ウイルス、雪うさぎ、ウサギ男。どいつもこいつも厄介だ。そんなものなくたって、あたしの世代は仕事も居場所もなくて大変なのに。
 もういい歳の大人ってやつになっている……はずなのに、いつまでも何かが不確かで、地に足がついた感じがしない。

 これはきっと、
 あたしが「妖魔」だからでは、ない。









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