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「私は大丈夫だ」を手にいれよう。

私たちはどんな心の育て方をしてきたの?

あっという間に日が過ぎて、今年も残すところあと5ヶ月です。

今年の夏はどんなふうにお過ごしの予定ですか?

さて、今日は、小さな頃の環境について一緒に話してみたいと思います。


大人の方は、ちょっと思い出してみてください。


日本で育った多くの人は、義務教育にプラスして高等教育までを入れると、6年・3年・3年という学びをしてきています。
思い出しても、いろいろとがんばりましたよね。本当に。

そして、この12年間を終え、人によってはさらに4年、6年と学びます。

では質問です。長い学びを終えて、ついに社会に出た時、

「自分はついていけるか」という不安

「自分はできる」という確信

あなたはどちらを強くお持ちでしたか?


不安とは、「安心が不足している」と書く。

よくあるのは、期待半分、不安半分、という回答です。

確かにそうだと思います。

安心が不足していると、精神状態はどうでしょう?

毎日何か起きないか、とあちこちに気を配ったり、

何か起こると悪い方向にいくのでは、と緊張したり、

今、何もおこっていなくても、なんだかよくない予感を感じたり、

と、行動や思考が、
どんどんと「ネガティブ」になりがちです。

マズローの五段階欲求で、基本的欲求「安全・安心」は、
人間が生きていくのに必要とされるものにしっかりと明示されています。

マズローの五段階欲求


いつ、私たちは「私は大丈夫だ」を手にいれるのだろうか。


すこし、振り返ってみてください。

あなたは小学校で、中学校で、高校で、
「心を育てる方法」を学んだことはありますか?

部活動による、忍耐力とか、礼儀作法とか、は今回は外してください。

一般的に、普通の学校生活の中で、そのような経験はあったでしょうか。

「私は何があってもきっと大丈夫」

そう思えるような方法を学んだり、訓練や、経験を何度したでしょうか?


残念ながら、私たちはその訓練や、経験数が、日本は圧倒的に少ないと思っています。

ここには「他人に迷惑をかけない」が異常なほどに低年齢化し、子供の頃から「いたずらは許されない」空気が出来上がっているからです。

いたずらが通じない空気感、感じませんでしたか?

失敗することが許されない雰囲気、ありませんでしたか?

たとえ自分は失敗とは思っていなくても「それは失敗だ」と大人や周りから何度も落胤を押され「そうか、私はダメなのか」と落胆したことは?

結果だけを重視され、プロセスはみてもらえず、結局認められなかったことは?

無言の失笑で心を傷つけられたことは?


その経験が、今のあなたに何をもたらしたと思いますか?

私たちは学力も、心も両方バランスがいいことが良い、と思っています。

学力先行型で、人のことよりも自分。
結局は自分さえ良ければいいという、
心が育っていない人が多い社会を想像してみてください。

失敗をしないように用意周到に準備することにフォーカスし奔走する日々。

教科書通りの答えを誰もが正解として話す仲間。

偉い・権力がある人が言うことを、
たとえそれが間違っていても正解としていく環境。

・・・これ、AI(ロボット)でも、できてしまいます。
だって、プログラムですから。

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このような社会にどこに「コミュニケーション」が成熟するチャンスがあるのでしょう?


日本には、こんなことわざがあります。

論語読みの論語知らず


論語を読んでも上滑りで、内容はさっぱり身についていないとの意。書物を読んでも字面のうえでしか理解できず、その教えを全然実行できないことのたとえ。

では、私たちはたとえロボットがいようが、AIがどんなに進もうが、
「自分は大丈夫」と胸を張って言えるようになるにはどうしたら良いでしょうか。

それには、あることを「やめる」ことが大切、と私たちは思います。

それは

「人よりも、なんとか早く先へ」という不安を加速させる姿勢・思考です。

人よりも、早く行っても、知識量や暗記量は確実にAIに追い越されます。
相手は24時間働く疲れ知らずです。

そのために、怖くても、今無意識に植え付けられている「競争」の場から一旦離れて、自分はどこで生きるのかを眺める勇気が必要です。

現在の競争原理で、
早く、早く、人よりも、人よりもの教育を止めたら、
何が起こると思いますか?



怠惰な人、でしょうか。
世界の競争に負ける人でしょうか。
落ちていく人でしょうか。



私たちはそんな愚かではありません。
人と共に社会を築く教育ができる国民です。
どこの国よりも勤勉で、約束を守り、真面目な国に暮らす人です。


「私は大丈夫」という自尊感情も、

「私ならできる」という自信もお店では売っていない。

今、多くの大人がリカレント教育(生涯教育)として
大学に入り直そう、学び直そう、という動きがあります。

その素敵な行動の目的は「競争」に勝つため?でしょうか。

楽しんで学ぶ、
何度も失敗するのを前提とした挑戦する心を
育み忘れた教育が、まだまだそこかしこにあります。


義務教育の期間中、
将来の競争相手はAIであるかもしれないのに、
数年先のことを不安に思って
今を大切にしない社会構造は
もう、見直さなければならないのです。

義務教育はその国の基礎教育を習得するためにあります。

日本語を話し、社会ルールを学び、基本的な学びを習得する。
もし、習得できない子がいるならば、基礎教育を修了するまでフォローするのは国の責任です。

学校の先生が全て責任を追うのではなく、
仕組みとしてしっかりとしていれば、塾の必要性はないはずでは?

学校の学びについていけないのはお子さんのせいでしょうか?
学校のあり方に不安が募るのは先生のせいでしょうか?

「私は大丈夫」という自尊感情も、
「私ならできる」という自信もお店では売っていません。
子供時代に育っていなければ、今から、自分で育てるしかないのです。

自分は大丈夫だ、という力をつけるためには、
今、何に不安になっているのか、自分と向き合う必要があります。

最初の一歩は、
不安を生み出す「人よりも、なんとか早く先へ」という不安を加速させる姿勢・思考をやめること、から始まると私たちは思っています。


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