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多夫多妻、

今月、神戸校の仲間たちと
『愛』について話しているときに、


「不倫とか結婚とか、もうそういうのがない世界に生きたいと思ってる。多夫多妻がいいなって。」

と、冗談っぽく言っている人がいた。


でもきっと、本当にそう思っているんだろうな、と感じた。


だから、

「あ~私たちは、そういう、あたりまえとか、常識とか、概念とかに縛られてるのかもしれないな。

老子先輩のいう、道(Tao:ありのままの世界)って、そういう概念のない世界のことなのかもしれないな。」と感じた。


別に、わたしも多夫多妻に賛成とか、反対とか、そういうことではなく、


ここで感じたのは、そういう『概念がない世界』ってどんなんだろうということ。



それでさ、なんで働くんだろう
なんでお金がいるの?と
小学生みたいなことを考えていたのと、結びついて


「お金のない世界」がいいな。どんなんだろうな。

と思ったの。



それで、お金がないってことは、
基本的には、物々交換するってことでしょ、

もちろん、give & give な世界がいいんだけど。



そしたら、私は、人に、なにを渡せるのかなって。


私は今、何を持っているのかなって、考えたの。



冷蔵庫とか、本とか、カバンとか、服とか
そういう「所有物」ではなくって

「動詞」的な方で。



例えば、おいしいお料理つくれるよ、とか
お菓子つくれるよ、とか

自転車修理できるよ、とか

明日の天気予想できるよ、とか


髪切ってあげられるよ、とか


服コーディネートしてあげようか、とか



わからないけれど、


お金という概念がない世界に

なにで、どうやって、目の前の人の役に立ちたいか


みたいなところ、



今の私にはなにができそうで、

他には、こんなこともできたら、
たくさんの人に喜んでもらえそうだな

っていう、そういう感じ。




今、現実に生きる人の中には

「やりたいことではないけど、お給料いいから」
「仕事だし、生きていくには仕方ない」

て感じで、お金のために働いている人がいると思う。



でもさ、そもそも『お金という概念のない世界』では
そういうことが起きないのではないか、と思う。



自然と、「得意」とか「すき」とかを
相手に渡そうとすると思うんだよね。


そして、これも自然と
「わたし、こういうことすきだよ!できるよ!
必要な時は言ってね!」

と、発信もすると思う。


それを聞いた人が、必要としてる人を見つけた時に

「あの村に、それできる人いたよ!紹介するね!」

って、なっていくんじゃないかな?


お金ができる前の世界でも、
きっとそうだったんじゃないかな、?


『「自分が生きるため」に必要なお金を稼ぐため』

じゃなくって

『これができたら「だれかの役に立てそうだな」
わたし、これするのがすきだし。』

みたいな。



好きなことを仕事にする、とか、

お金のために働かない、とかよく言うけれど

よく分からんやん。


でも、本気で、ふらっと
『お金のない世界』を考えてみると

「好きなこと」「得意なこと」が見えてくる気がした。



『物々(価値)交換』で、
今の自分は、人になにを渡せるのか。


今は持っていなくても、

人に、なにを渡せる自分でありたいのか。


大切なことを考える、いいきっかけをくれた、多夫多妻にありがとうを。

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