見出し画像

経済学部生、芸術学部生の考え方の違い① やりたいこととニーズのバランス

経済学部卒業後、営業をしていたせいか、現在の芸術学部で、アーティストのクラスメイトの中で勉強していくにつれて、どこか私の感覚がずれているなと思うことがあります。

例えば、ある授業で、デパート(KAMP)に入っているギャラリーへの展示企画を提案するという課題が出ました。
それぞれのテーマに合わせて、グループ分けがされ、どんな企画を提案するかのメンバーとディスカッションを行いました。私はKAMPにとって、KAMPの顧客にとって何がいいか考えて提案しないといけないと思っていました。そのため、まずはKAMPのビジョン、顧客層、これから囲みたい顧客を聞かないとだねとメンバーに言ったところ、KAMPで働いているわけじゃないのだし、私がやりたいことを提案すれば良い、とメンバーに返されてしまいました。
出たアイディアはとても面白いものでしたが、依然としてそれがKAMPにとって、顧客にとって何が良くて、集客を見込めるのか想像ができません。とは言っても逆に目的ばかりに固執してしまっては面白いアイディアも出てこなくなると思うので葛藤します。ただ、今回は学生という立場もあるので、やりたいことを優先しました。そこから私の基準は完全に営業目線が染み込んでしまっていたことに気が付きました。これまではその考えが強く持っていること、それを基準にしなくて良いことがあることすら気づいていませんでした。学部で学んだこと、新卒でどんな仕事をするのかは、人の思考に無意識に染み込んでいることを実感した出来事でした。

同じAalto大学の学生にCreativeな活動は何かと聞いた時に、
芸術学部生は料理をしたこと、サイクリングをしたこと、と答えるのに対して、
経済学部生は絵を描くこと、イラレを使ったことと答えました。またArt workshopと聞くと「絵は描けません」と経学学部生は答え、やはりどこか一線を引いている人も多いです。少し極端な例ですが、バックグラウンドによりCreativeの捉え方が違う一例です。このCreativeの捉え方の違いは国の違いではなく、何を学んだかの違いなのだなと感じました。同じレベルの大学にいても、こんな形で何を学んだかによって考え方の違いが生じます。

またある日アーティストであるクラスメイトに私のぼんやりと将来やりたいことを話したところ、こんなことを言われ、ハッとしました。
友人:「日本人であることを活かしてまずはフィンランドでやってみると良いかもね」
私:「日本人である私にどんなことを期待しているの?禅のマインド?」と聞くと
友人:「そもそも誰かの期待に応えようとしなくて良いんだよ、やりたいことをやれば良いんだよ」
上記同様、確かに自分のやりたいことが軸ではなく、誰かからのニーズというのが考えの基本になっていたことに気づきました。
もちろんアーティストは自分の表現したいことを作品にします。誰かのニーズがあるから作品を作るという順番になってしまうと、それはアートではなくなってしまうと思います。
ただ、一方で私がやりたいことはどちらかというと、作品を作るのではなく、教育コンテンツを作りたいので、ニーズがないと利益を生み出せず、一回限りの自己満足で終わってしまいます。まずはやりたいことがあり、それを求めているところを探すという順番で良いのか・・・。


経済とアートを学んだ中で、自分のやりたいことを表現すること、ニーズの塩梅が難しいなと感じた日でした。同時に、両方の経験、感覚を活かして将来仕事をしたいと強く思った日でもありました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?