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アート思考と多文化コミュニケーションの似ているところ


アアルト大学には世界各地から学生が来ています。

火曜日は香港、フランス、チェコからの生徒とフィンランドの文化についてディスカッション、
水曜日は、フィンランド人、アメリカ人、ベトナム人と企業戦略のコミュニケーション方法についてグループワーク、
木曜日の夜は、イラン人、アメリカ人、ラトビア人とホームパーティーをして、授業の愚痴を言ったり、
金曜日は、ギリシャ人、パキスタン人、ウクライナ人、フィンランド人とARを使った教育コンテンツの案をブレインストーミング。
と出身も違えば、今までのバックグラウンドも違う学生とディスカッション、グループワークを日々しています。アーティスト、デザイナー、NPOで働いている子、美術の先生とこれまで働いてきた環境も文化も違う子たちと話していると、当たり前ですが自分の常識は通用しません。つまりは自分の価値観を見直すきっかけになります。
アート思考は「自分の内側にある興味を元に自分の価値観で世界を捉え、自分なりの探究をすること」と『13歳からのアート思考』に書いてありました。
私はアート制作をしているわけではありませんが、これだけ異なるバックグラウンドの人といると、暗黙の了解が存在しないため、自分の価値観や自分起点の探究心を持たないとさまざまな意見に翻弄されて疲れてしまいます。ただ、自分を突き通すというのではなく、違うのが当たり前という前提で、たとえ意見が違ってもそれを一度咀嚼して、自分のアイディアや意見をぶつけて議論していくことでよりよりアイディアや発想が生まれていくと思います。

誰かの問題解決をし、どう利益を生み出していくのかは仕事では大切です。ただ、今は学生という立場に甘んじて思いっきり自分起点に物事を考えて、多国籍の同級生の意見に触れていき、自分なりの探求をしたいと思います。
これを繰り返していくうちにどんな環境においても自分を見失わず、自分の人生を楽しみ、出会う人と楽しい時間を共有できる気がします。

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