昭和1

純粋に美味しいでいいじゃない。

よく出掛け、よく食べ歩いた。もっと言うと、よく食べた。よく呑んだ!現存する老舗の店は、ほぼ食べ歩いている。(もっと言うと、若い頃は敷居が高すぎては入れなかった店は、現在も少しづつ「攻めて」ます。)

私の20代から40代前くらいまでだろうか、地元は 今のような環境ではなかった。外食出来る店は、限られていた。簡単に言うと、普段着で行く店とお洒落して出掛ける店と両極端だったように思う。

20代前半、毎日通っていた店のオーナーへ、何もわかっていなかったせいもありザックリと尋ねた。今では、残酷すぎて口に出来ないことだ。

・ 何故 地元紹介の雑誌は一冊?東京みたいに何故 ないのかしら?

オーナーは、一言。

東京みたいに店がないからさ。入れ替わりが激しくない!ということでもある。ここ(地元)で、あんな雑誌が売れるようになったら大変なことになる。東京は、常に新しい店が出来ている=宣伝広告費が入るから雑誌が出来る。同じ店を載せても読者はつかない。その陰で、消える店があるということさ。雑誌に載るようになったら、店の経営は大変さ。(※ この理由は、いつか投稿するかもしれない。宣伝広告を大掛かりにすることの大変さは、店によっては命取りである。)

あれから数十年。地元は、様変わりした。地元紹介雑誌は、山のようにできた。食の評価も様々な分野で起きた。そうだ、バブル期から日本=地元の外食産業も大きく様変わりした。和洋中華・・・なんでも口にできるようになった。

人の味覚も、人生100年と共に良し悪し問わず、幅広くなった。

ミシュラン同様に、地元の食も情報や人からの評価に悲しいことに流されるようになった。その陰で、時代と共に多くの名物・老舗・老舗の味が消えていった。

※ 純粋な人と人の「会話の中で広がる」「口コミ」が無くなったといっていいかもしれない。

地元の味・地元の老舗の味は「情報」などに流されず、地元を歩く各自の舌が「純粋に美味しい」が一番幸せな感じがする。

現存する若かりし頃に食べ歩いた店を久しぶりに訪ねると、やはり旨い!ビッグバンとやらで、大きく様変わりする。老舗・名店は、何らかの形で優先的に残ってもらいたい。いえ!地元が残さなければいけない。でないと・・・

観光客が来る意味もないでしょ?

※ 画像の模型は、昭和の頃。画像にある四つ角も、大きく様変わりする。これも時代である。