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教師の日♪ No.1

※ 教育・指導というものが、各時代背景と関係があることを昨今気が付きました。今回の投稿は、昭和の良き時代のものです。その辺をご配慮ください。当時の先生方に感謝♪

1年1組、2年1組、4年3組。 特に、この頃の先生方は印象に残っており、いつの時代も子供たちに人気があるのではと、思い出と共に感じます。

10月5日・・・教師の日。彼女の名前は、真木先生。旧姓です。彼女に私「達」が伝えるとしたら・・・

先生、有難う。先生の目に間違いはなかったようですよ♪

過去の投稿にあるように、私の幼い頃は 厳しい環境。クラスでは、先生と各生徒の「交換日記」があった。今思うと、教師の仕事の合間に 約40名の生徒の悩みも書かれている日記に目を通し 返事を書くというのが、 どんなに大変だったかと思っている。かならず 返事はアドバイスがあった。彼女は、たびたび 我が家に来ていた。いえ、それも家庭訪問以外で何度も来ていたことを大人になって、あることを切っ掛けに聞かされた。

・厳しい環境と学力

私は、高校までは成績が極端に悪かった。酷いもの。しかし、高校になり 様々な資格を取るだけでなく、成績も飛びぬけて良い学科もでた。正直、あまりにも急なことで、先生からはカンニングしたのでは?と言われるくらい。実は、私も飛びぬけた成績の時は我が目を疑った。しかし・・・

・勉強できる環境になっていたからである。

この成績を家族へ見せた時、伝えられたことに驚いた(泣)!!

家族K: やはり あなたは勉強したら出来る子だったのね。私も信じていたけど・・・真木先生がね、「〇〇ちゃんは、知能検査では ずば抜けているのに・・・テスト結果が全くともなっていないし 授業中に集中力がない。環境が妨げになっている可能性がある。勉強するといいけれど・・・。学校の環境とご自宅での環境・・・緩和するといいのですが・・・学校は どうにかしますが、ご自宅の環境を・・・」と、毎回 来られるたびに 貴女のことを心配していらしたのよ。憶えてない?先生が今の貴女を知ったら、喜ぶでしょう。頑張りなさいよ、貴女を信じていた先生のためにも♪

40名の生徒。当時、土曜日の授業は午前中まで。先生は 土曜の時間がある時、4,5名づつ 自宅へ招待し、お菓子を食べながら 遊んでくれたり、悩みをきいてくれたり。これを全生徒が楽しみにしていた。時に自宅近所の樋井川の土手におりて遊んだり。バスに乗って帰宅時は、泣いている子もいた。

彼女が結婚し退職することを知った時は、大泣きだったことを憶えている。今は、きっと 良い母になり、良い御婆ちゃんになっていると思う。何より きっと良い奥様になっているだろう。心の師であり、尊敬する理想の母像であり女性・大人・・・素晴らしい人がいてくれたことに、心から感謝する。

※ 貴女のような女性に、少しでもなれたらと思っています。真木先生、有難うございます。