経験と新聞と先人と
雨戸を開けて、新聞を取る。
これが、小学低学年頃の初めてのお手伝いで、大人になった今は日課というか生活の流れである。
他の家族が 一カ所でも手伝う=順序を変えられると 一日がムズムズ。人とは、そんなもんだ。
てれてれ新聞を取るだけでなく読みなさい!
当時、長屋の雨戸を開けて、木下駄を履いて新聞を取る。
玄関先に座り新聞を広げて隅々まで読む。
小学低学年の女の子がである。
実は、読書が大嫌いだった・・・文字を見るのが嫌いだった。
そのせいか勉強も大嫌いで教科書のすみにイラストを描いているような子だった。
漫画が大好きだった。
成績は最悪だった。
しかし、何故か新聞は読んでいた(苦笑)。
ある作家の小説を紹介され読んだところが、文字の世界にどっぷり。
それが、新聞を深読みする切っ掛け。
叔父の小学生時の友人の父親は株式新聞の編集長だったらしい。
自社の新聞を渡し、「これを読むと企業や世の中がわかるようになるから読みなさい。」とすすめらたと聞いた。
まさしく そのとおりで実際、新聞だけでなく、
※ 文字=文章というものを読むと繋がる。自分の経験と。何より、とても助けられる。人からの批判も、実は「私」だけではないと感じさせてくれる。常に、同意見の人が最低でも一人はいることを感じさせてくれる。人=世の中=繋がりが見えるのである。
今更遅すぎることなのだが、今は呆れるほど「学ぶ(勉強)・調査(分析)・収集」が好きだ。
画像の記事もそう。(大変失礼な言い回しだが、褒めてます)「どうでもいい疑問や人など」が、実は大きな分析・結果・評価になっている。何より、自身の追い込まれているときに助け船を出している。全く滑稽なのだが助けられる。「個」というものが、どんなに貴重で重いものかも。
先人達の言葉や新聞・本・・・とにかく文字のある・文字に出来る世界というものは、自分の重ねた経験と繋がり出すと助けられる。
経験の上に文字=文書はあるんだとつくづく感じる。経験だけでなく、沢山の書物・記事を読んでもらいたい。過去の自分から大きく飛び出して貰いたいです。