蓋をする必要性もある
※ 尊敬しているブイコちゃんのパパの言葉です。毎回 深い大切なことを残していただいている。データとか個人情報の扱いって、この「目にする・耳にする」ことと同じだと思い、添付します・・・が、時間差つけて「削除」もありえますので、心に留まった方はプリントアウトしたりメモっておくといいですよ。
※ ・耳がよすぎたら。
じぶんの耳が、超高性能の集音マイクのようだったら、
つまり、集中すればあらゆる声が聞こえるとしたら、
どうなるだろうと想像してみる。
なんでも聞こえるのだ。
知っている人たちのたわいない話も、
知らない人たちのどうでもいい話も、
知っている人たちの、こころにもない悪口も、
知っている人たちの、本気で考えている邪な会話も、
知らない人たちの、無責任なことばの毒も、
ぜんぶ、聞こえてしまったら、
こころがそれに耐えられなくなって、壊れるだろう。
もちろん、聞いてよかったこともあるだろうけれど、
聞きさえしなければ、喋っていることを知らなければ、
こころ穏やかでいられたこともあるだろう。
なんでも聞こえてしまう耳を持つということは、
これは、そうとうにひどい事態だ。
ま、そんなすごい集音マイクは無いんだけどね。
しかし、よくよく考えてみると。
耳でなく、目が高性能になったら、それも同じことだ。
世界はいつのまにか、壁新聞だらけになってしまった。
わたしはあの人が嫌いだ。
あの人のこんなところが最悪だ(よく知らないけど)。
あの人にこんなことされた(うそだけど)。
あの人は、かつてこんなひどいことを言った。
あの人はこころのなかで、こんな悪いことを考えている。
人生を始めて何年も経ってないこどもならともかく、
ある程度の年数を生きてきた人ならば、
よっぽどひっそりと息をひそめてないかぎり、
いつでも、「トンデモない」情報が、
「拡散(かくさん)」されてもおかしくない。
かつて「マスコミ」というものの特技だったことが、
「見えない人たち」によって簡単にできるようになった。
「知らぬが仏」…また、昔の人のことばを思い出す。
とりあえずは、集音マイクの感度を下げること、
あんまりじぶんを探らないことが、ちょうどいいのかな。
こころは、原始の時代からそれほど変わってないから。
文明とか進歩とかって、戻すダイヤルは付いてないのかな。
※ 私も、時々 情報が何でも手に出来る現代に対して「集音マイクの感度を下げる」必要性を感じ、また「戻すダイヤル」あればいいのにって思ってます。※ 最近は、自分の中にある「集音マイク」の感度を勝手に下げたりあげたりしています。大人になると、それをしなくちゃね。