『瑠々と璃々』第一話

あらすじ

 明治期、日本全国に災厄をもたらしたとされる瘴癘。その一部であり九州の地に封印されていた【右腕】が令和の現代において、完全顕現してしまう。そして、日本各地では【右腕】完全顕現の影響によって、瘴霊が頻出する特異点が生成され、人的被害が続発していた。【右腕】完全顕現から一年後の東京で、女子高生である神薙瑠々は瘴霊に関連する様々な事件への対処を行う政府直属機関に所属し、とある瘴霊殲滅の際に行方不明となった双子の姉・璃々を探していた。そんな彼女の前に、姉の姿形をした【右腕】が現れる。そして、それをきっかけに特定瘴癘(封印体)を巡る明治から現代へと繋がる因果の渦へと巻き込まれていくことになる。


 内閣府及び省庁横断的対応事物・特定瘴癘(封印体)。
 その【右腕】が完全顕現したとの報告が首相官邸に入ったのは二千二十三年年四月二十一日であった。
 その日は奇しくも日本政府が特定瘴癘(封印体)の全四肢及び胴体、頭部を各地方に封印してから百年の節目の日であった。

 報を受けてすぐに政府は『特定瘴霊発現(一部完全顕現)に伴う緊急事態宣言』を発出し、【右腕】の影響下になるであろうと推測される北部九州からの住民の避難と他地域からの渡航禁止を呼びかけた。
 また時を同じくして各関連部局は【右腕】の再封印へと動き出した。

 しかし、事態は想定以上に早く【終わり】を迎えてしまった。

 【右腕】が完全顕現して僅か十分後。
 福岡県・佐賀県全域、大分県・熊本県北部、長崎県東部に存在した人々を【右腕】は消し去ってしまった。

 唯一映像として残されたのは、九州の対岸に位置する山口県下関市から一人の観光客によって撮られたもののみである。

 記録が始まったのが午後一時三十三分。

 そこに映されていたのは、地から生えた白く透き通るような巨大な【右腕】が、掌を広げながら天に伸び行く姿であった。

 そして、腕の伸びが止まった次の瞬間、掴むことのできないはずの空を【右腕】はその手の内に掴みとり、地へと引きずりおろしてしまった。

 その直後、九州北部の地は暗闇に飲み込まれてしまった。
 
 以来、九州北部は沈黙を続けている。
 幾度か調査隊が組織され送り込まれたものの、人の存在が確認できない以外何ら成果を挙げることができていない。

 

 

 一年後。 

 九州の北部地域は未だに暗闇にその他地域においては【右腕】の完全顕現による影響が生じてしまっていた。

「本当にこの区内なんだよね?」

 東京都●●区内。

 不機嫌な少女の声が、夜に光を吸われて闇に染まるビルの屋上に溶けていく。
 かつかつ、と耳に当てるスマートフォンを人差し指で叩く仕草からもその不機嫌具合がうかがえる。

『バッチリっすねー』

 少女の持つスマホからは、少女の苛立ちとは対照的な軽快な声が発せられる。

「本当に? その報告に命かけれる? この前、あんたの指示で行った区の、隣の区で特定瘴霊出てたじゃん」

『いや、あそこもほぼ同じ場所だったじゃないですか。そもそもこっちは巡回隊の情報に則って指示出してるんで僕に言われも困ります』

「確かに場所は近かったけど、行政区が違うと全然違う。例え数メートルでも伝えられた区が違えば気づけるわけないし」

『だから僕のせいじゃないですって。ていうか、イライラしたからってスマホ叩くのやめてください。僕の鼓膜まじつらたん』

「うっさい。破れろ鼓膜」

『いや、スピーカーモードで話してるんで周りのみんなも迷惑してるんですよ』

「なんでスピーカーなのよ!」

『ははっ。冗談ですよ。スピーカーにはしてますが、周りには誰もいません。今、夜中の十一時ですよ。僕も今すぐにでも帰りたいくらいです』

 軽薄さに追加で軽薄さをまぶせた男の声が少女の鼓膜に届いた瞬間にスマホはコンクリートとファーストコンタクト。

 パキン、という音とともにコンクリートに小さなヒビが入る。

『いや、さすがにうるさいですよ。いくらスピーカーにしてるからって、落ち着いて夜食のラーメンも食えないじゃないですか。それに無駄ですよ。スマホは特殊加工されてて簡単には壊れないんですから』

「……知ってる。だから早く教えて。詳細な場所を。私だって早く帰りたい」

 いつの間にかスピーカーに切り替えていたスマホを見下ろしながら少女は深くため息をつく。

『おけおけでーす』

 軽快な口調が少女・神薙瑠々の鼓膜を揺らす。

『今回は前回と同区内、同中学校区です』

 瑠々はつい一週間前に見た景色を改めて見やった。
 違うことは、時間帯くらいだろうか。

「同じ特定瘴霊、ってわけでもないわよね。殲滅の確認はしてあるし残禍もなかったはず。巡回隊が誤認するとも思えない。ということは、この中学校区が【特異点】になってしまったってこと?」

『その可能性が拭えません。ただ当該地域が【特異点】であるということに関しては、決定政府から正式発表されていませんので何とも言えないところではありますが』

 瑠々は目を細め、白く細い首につけた黒塗りの輪に触れた。

『今言えることは、【特異点】で発生する特定瘴霊はこれまでのモノと異なり、その凶暴性・複雑性が増してしまっているケースが多いということです。おそらくですが、狭い範囲で【門】が複数開かれることにより、瘴気の密度が増してしまっていることに起因していると考えられます』

「まあ、瘴気の密度云々はどうしようもないことだから置いといて、問題なのは凶暴性・複雑性が増しているってこと。前回のも厄介だった」

『今回のもおそらく厄介なはずです。先ほど巡回隊からの詳細情報が来ましたので転送します』

「了解」

『瑠々さん』

「ん?」

『気をつけてください』

「……心配ありがと」

『急に素直になられると気持ちわ……』

 瑠々は男のセリフ途中で通話を終了した。その顔には少しの高揚感と過分の嫌悪感が漂っていた。

 

 

 二千二十四年五月十六日。

 東京都二十三区内の■■中学校区内において、男子中学生三名が失踪する事件が発生した。

 全員同じ部活に属し、かつ家庭不和を抱えていたという事実から、家出の線で捜索が進められた。

 三人という人数。中学生という年齢。それを鑑みると見つかるのは時間の問題だろうと関係者は推察していた。

 しかし大方の予想は外れ、一週間経っても足取りは掴めなかった。

 それからさらに一週間後。
 三人だったモノが発見された。

 発見したのは朝方、近所を散歩していた高齢女性。ごみ収集所に普段なら捨てられないような大きめの衣装ケースが置かれており、さらには回収日でもなかったことから不法投棄ではないかと不審に思いその蓋を開けてしまったらしい。

 発見から通報に至るまで、三十分ほど時間が空いている。
 女性は中身を理解すると同時に気を失ってしまったからだ。

 外から見ると衣服にしか見えなかった中身は、頭部以外は誰の所有なのかもわからないほどに細かく切断された三人であった。

 ケースの発見と共にこの事件は警察の管轄外と判断された。

 世の諸悪を取り締まる警察が事件を手放したということは、現代において意味するところは一つ。
 人ならざるモノの仕業ということに他ならない。

 そしてその処理を担当するのが、瑠々の所属組織である。

「飛び込んでくるのは胸糞悪い話ばかり」

 目的の場所までの道中、瑠々は情報管轄室の一員である根削興平から送られてきた資料をスマホで改めて確認した。
 瑠々の眉根が少しだけ寄る。

 闇夜に、自らの立場に足を取られないように慎重ながらも、しかし可能な限りの速さで瑠々は現場に近づいていく。

 

 

 某中学校区。
 某中学校前。

 既に全校生徒・教員・事務員の消えた校舎が鎮座するその空間は、日常の喧騒からあまりにも引き離されており、見るものによっては忌避の対象となるような存在感を放っていた。

 瑠々はその存在には目もくれず、吊り上がった目を静かに細め、視線を上げる。

「また随分と立派なモノを垂れ下げてるわね」

 視線を上げた瑠々の目に飛び込んできたのは、重力を無視して浮く、ガラス張りのような透明感を有する立方体であった。
 大きさは一辺二メートル程度。
 赤子をあやす様な速度で自転している。
 そして妖しく月夜を反射するその立方体の中で、黒い何かが蠢いている。

 瑠々はさらに視線を上げる。

「あそこが【門】ね」

 瑠々の頭上に存在するは、夜空を裂くような割れ目。
 それは女性の局部を彷彿させる形状を有していた。
 そして、そのテラつく割れ目から伸びるへその緒のようなモノが立方体と繋がっている。

 何を送り込んでいるのか、【門】がヒクつくたびに黒い何かは嬉しそうに蠢きを強めていく。

 そしてそのヒクつきが数度繰り返されたのち、緒がぶちりと千切れ、立方体は地面へと落下してしまった。

 地面と接触する寸前、黒い何かを覆っていたガラス状の立方体は初めからそこになかったかのように消え失せ、中身だけが接地する。 
 同時に、腐りかけた肉を叩きつけたような、鳥肌を誘発する音が周囲に響く。

 落下の衝撃によって潰された黒い何かは確かな意思を持っているようで、緩やかではあるが熟れ切った果実を握りつぶすように形状を変化させていく。

 そして僅か数秒後。

「キビいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」

 甲高い【声】を発しながらそれは完成を迎えた。

 黒色はそのままにチョウチンアンコウらしき形状へと変化を遂げた。
 しかしその大きさは大型トラック程もある。

 そして、頭部から生える誘引突起の先端には先日遺体で発見された三人の中学生の顔が存在した。三人とも、苦痛の表情を浮かべ、助けを求めるようにして声にならない声を上げている。

「どうしてこうもキモイ見た目のやつばかり出てくるのかしら」

 瑠々は不満げに眉根を寄せる。

「まあでもだからこそこちらも躊躇なくヤれるってものだけれど」

 瑠々は口角を僅かに吊り上げつつ、眼前の巨躯から視線を逸らすことなく、緩やかな動きで白く細い首につけた黒塗りの輪に触れた。

 指先に伝わる温度はこの世の全てを凍らせてしまうほどに冷たい。その冷たさが瑠々の脳髄を、思考を、感情を、全てを凍てつかせる。

 ―ああ、これで今日も吐ける

「偽人門(ぎじんもん)開放」

 瞬間、瑠々の周囲の空気は重くなり、常人では息のできないほどに空気が張りつめていく。

 そして幾度となく繰り返してきた自身を呪うための言葉を吐き出した。

「人霊縛呪―黒首(くろくび)」

 瑠々は声を発すると同時に、その小さい口の端が切れんばかりに大きく開き舌を出す。
 すると特段何も存在しないはず空間から彼女の舌に黒い小さな物体が集まり出した。

 それは徐々に瑠々の舌先で積み重なり、大きな不吉を孕みながらその体積を増していく。

「んんっ……」

 人の頭ほどの大きさになったところで瑠々はその端を口に含み、吸い取るように一気に体内へと取り込んだ。

 僅かに苦しそうな表情を浮かべる彼女の唇は微かに黒に染まっている。

「解(げ)」

 瑠々は首輪に言葉を押し出すように触れていた手で首に爪を立て、まるで皮膚を、肉を引き千切るかのように力を込めた。

 瞬間、彼女の首からは闇夜も飲み込んでしまいそうな【黒】が溢れ出した。
 先ほど口から取り込んだそれよりも遥かに黒いそれは、瞬く間に瑠々の首から右の指先までまとわりつくようにして広がっていった。

 黒く染められた彼女の首から右腕。
 その黒が指先から蠢きだす。
 そして虫が這いつくばるような、のたうち回るような動きが全体へと広がっていく。

 瑠々は辛い時に笑う癖がある。

 その癖がいつからなのか、彼女自身も覚えていない。
 しかし苦痛から逃れるように彼女の表情筋はいつも笑顔を作り出す。

 今、彼女は額に脂汗を掻きながら、満面の笑みを浮かべている。
 誰に向けるでもない笑顔の行きつく先は果たしてどこなのだろうか。

 蠢きはさらに激しくなり、まるで妊娠後期の胎動を思わせるほどの鋭い動きに変化していく。

 その蠢きが臨界点に達した時、首元から右腕外側部にかけての表面が割け、その裂け目から人間大の物体がひり出てきた。

「ふっ。ふっ。ふっ。ううううううううううう……」

 笑顔を貼りつけたままややうつむきがちになる瑠々の口の端から血が流れ落ち、強く握られた左の拳はうっ血する。

「ふはっ。あー今日も痛すぎで笑える。……っっっはあ! 産んでやったんだから、死ぬまで動け【リル】」

 ひり出してきたリルと呼ばれた物体は静かに【立ち上がった】。
 その姿は色を除けば可憐な少女そのものであった。

 どこか瑠々に似た雰囲気を併せ持っている。
 似て非なる二人はその運命を分かつように、首元同士が漆黒の鎖で繋がれていた。

 静かにその様子を見守ってきたチョウチンアンコウも、目の前に現れた異質な存在に殺気立つようにその全身を大きくくねらせる。

「美女が二人になって興奮するのはわかるけど……」

 言って、瑠々は鎖を軽やかに撫でる。

「消えて?」

 瑠々の吐息に押されるように、リルは高く跳躍をする。
 そして鎖がこれ以上の余白を作れないポイントまで到達すると同時に、今度は巨体に向かって急速な落下をする。

 獲物の俊敏な動きに巨躯ゆえにアンコウはただ見つめることしかできないようで、頭からぶら下がる三つ首が揺れるだけ。

 リルは衝突の直前、身を回転させながら踵落としを巨躯の脳天へと落とした。その勢いに押されるように、アンコウは地面へと下あごを接地させる。

 衝撃で砂埃が舞う。瑠々の視界はやや遮られたが、それでも問題ないとばかりにリルを動かしていく。
 視界が制限される中、リルがアンコウを攻撃する音が瑠々の鼓膜を揺らし、残りは周囲の闇へと霧散していく。

 そして一分とも満たない時間が経過したとき、瑠々はリルの違和感を感じ取り、即座に自身の元へと戻した。

 傍へと舞い戻ったリルは右腕を失い、左足も激しく損傷していた。
 バランスを取れなくなっているようで、上体がふらついている。
 一方、落ちていく砂埃の隙間から見えるそれはほとんど傷を負っておらず、元気に尾っぽを振っている。

 瑠々はやや目を細めた。

 ―攻撃を受けた?
 ―でもあの魚自身、動いていた気配がない
 ―視界はリルも遮られていたけれど、攻撃が当たっていた感触は確かにあった
 ―さっきの頭部への攻撃もそうだけれど、リルがダメージを与えられないのはおかしい
 ―単なる殺人から来る特定瘴霊ではないのかもしれないわね

「どちらにせよ、警察からの情報だけじゃ対処できないか」

 鎖を撫でる彼女の指が少しだけ苛立ちを孕む。
 その苛立ちは鎖を通してリルへと伝播する。
 しかし届くのは苛立ちだけではないようで、欠損した部位が瞬く間に再生していく。

「やっぱり情報は【生】で仕入れない、と、ねっ!」

 リルはアンコウへと向かって直線的に走り出した。
 またしてもアンコウは緩慢な動作をもってリルを迎える。
 リルは速力を落とすことなく魚体の横を通り過ぎざまに右下腹部付近へと齧り付き、その【肉】を抉りとった。

 血の代わりに、微かに表面の黒が霧散する。

 リルが魚体の一部を体に取り込んだのを視認すると同時に、瑠々は鎖を少しだけ揺らす。
 それに呼応するように黒い少女は瑠々の元へと戻っていく。

「んぎゅいいいいいいいいいいいいいいいいい!」

 齧られたことがよほど痛かったのか、はたまたよほどの快楽をともなったのか、アンコウは先ほどまでの緩慢な動きとはうってかわって瑠々とリルに向かって突進をする。

 周囲の空気を削ぐような速さでの突進にも関わらず、瑠々は軽いサイドステップを踏むだけで躱す。

「はいはい。ちょっと待って。……んー。ちょっと【薄い】かな」

 言うと、瑠々はリルを抱き寄せその唇に自身の唇を重ねた。

「んんっ。っはあ。ううん」

 瑠々はリルの口内をまさぐるように舌を這わせる。
 リルは抵抗することなくその舌を受け入れる。

「ん……はっ……。ふふっ。やっぱりそうだったのね。警察の資料には記載がなかったけれど、余程巧妙にやっていたのかしら」

 唇を離した瑠々は得心いったという顔で不満を募らせるように体をしきりに動かす魚体、そしてその上でゆらゆらと揺れる三つの首を見つめる。

「なら、やることは一つ」

 狙うは三つの首。瑠々の意思に即座に反応し、地面を蹴るリル。

 もう少しで三つ首にリルの手が届く。そのタイミングでアンコウは後ろへと回避行動をとる。

「やっぱりそこを取られるのは嫌みたいね。なら、これならどうかしら?」

 リルの動きに隠れるようにしていつの間にか魚体の後方に移動していた瑠々は、鎖を尾びれへと一気に巻き付けていく。

「縛霊同体」

 鎖で尾を捉えられた魚体は逃げ出そうと体をくねらせるが、鎖が体に張り付いたように取れない。
 鎖を抑える瑠々とリルの体もそのくねりに多少振られはするが、態勢を崩すほどではない。

「リル」

 瑠々の声が届くとともに、リルは鎖の中に吸い込まれるようにしてその姿を消した。
 残された鎖は地面に落ち、枝分かれしながら地中へと【根】を伸ばしていく。

 そして次にリルが現れたのは三つ首の存在する頭部。
 その姿を現すとともにリルは三つ首を頭部から引きはがすために根元を掴み力の限り引っ張った。

「ぎゅいっ!」

 再び濁った声を上げるアンコウ。

「そんな声出しても意味ないわ。今楽にしてあげるか……ら……。え?」

 刹那。
 瑠々の視界が空へと飛んだ。
 身長百五十センチ程度の瑠々。
 しかしその視線の高さは今現在、優に三メートルを超えている。

 自身に何が起きたかを理解できていない瑠々が視界に捉えたのは、アンコウの体から生える、カッター、ナイフ、彫刻刀、ライター、千枚通し、のこぎりを持った人間らしい六本の腕であった。

 瑠々の首はその中の何かしらにより切断をされてしまったらしい。

「ぎゃひっ。ぎゃひっ」

 アンコウは宙を舞う少女の首を見ながら勝利を確信したような声を上げる。
 誘引突起の三人の顔は先ほどまでの苦痛に滲む表情はどこへやら。
 白目をむきながら笑みをこぼしている。

「ふふっ。あはははっはははっははははははははっ!」

 しかしそんな空気を消し飛ばすように胴から切り離されたはずの頭部から甲高い笑い声が響く。

「死んだと思った? 終わったと思った?」

 重力という地球の理を無視して浮かぶ彼女の頭部は先ほどとは異なり、邪悪さを過分に含んだ笑みを浮かべている。

 そう、瑠々は首を飛ばされても生きていた。

 いや、正確に言えば、完全に胴体と切り離されたと思われた頭部は首と右腕に纏わりつく黒によって体と繋がっていた。

 ―偽人門

 それはこの世と人の触れることのできないセカイを繋ぐためのモノ。
 瑠々は体の一部を媒介にして偽人門を開き、人の世界にないモノで対瘴霊特化媒体リルを生成している。
 そして偽人門を開いている間、黒く染められた彼女の部位は生死の干渉を受けない状態となる。

 もしアンコウが首以外、例えば胴を裂いていたら瑠々の命も失われていたであろう。しかしアンコウは首を狙った。

 それがある種の必然であることも瑠々は予測していた。いや、理解していた。

「余程首に執着あるのね。でもね、私の性感帯はそこじゃないの」

 瑠々の首は緩やかな曲線を描きながら体へと戻っていく。

 攻撃が不発に終わったことに不満を募らせるようにアンコウは六本の腕を動かし、三つ首は再び苦悶の表情を浮かべ始める。

「ああ、無駄よ。こうなった時点であなたの目論見は全て不全に終わる」

 瑠々は再び首に手を当てる。

「縛霊同体・深」

 魚体の内部に衝撃が走ったように体大きく波打った。
 同時にアンコウの上に乗っていたリルはその両の腕を魚体の中へと押し込んでいく。
 そして瞬く間に体全てが溶けていくように魚体の中へと入り込んでしまった。

「ああああああああああああああああああ!」

 その見た目からは想像できないほどの人間らしい声色が発せられた後、アンコウの下腹部から三人の男子がずり落ちてきた。
 その顔は行方不明となった三人の男子中学生であった。

「リル、そいつらは食べていいわよ」

 魚体の下腹部から上半身を出したリル。
 彼女は大きく口を開き、側に落ちた三人を飲み込んでしまった。

 残された魚体は徐々にその黒が剥がれ落ちくていく。
 そして最後に残されたのは一人の少年。

 月明りに照らされたその少年は静かに目を開ける。

『どうして、こんなことするの?』

 少年の目からは大粒の涙が零れ落ちていく。
 口は動いていないにも関わらず、はっきりと【声】が瑠々の耳に届く。

 瑠々は未だ戻りきらない首が不安定なようで左右に振り子のように頭が揺れる。

「あなたがどう思っていようが、報いを受けるべきなのよ。ああいう輩は」

 少年からの訴えるような視線を切り捨てるように瑠々は吐き捨てた。
 いつの間にかリルは瑠々の側へと戻ってきている。

『僕を救おうとしたの? そんなこと望んでない』

「勘違いしないで。私はあなたを救うつもりはなかったわ。今あなたは理性的に話ができてるけど、つい先刻まではそうじゃなかった。私はあなたを救わない。単に日常を生きている人々を守っただけ」

 ようやく首が安定してきたようで、瑠々は真っすぐに少年を見据える。

『そう……。それで僕はどうなるの? 僕も彼らみたいに食われるのかな』

「もちろん、あなたも報いを受けるべき。いくら理由があっても三人を殺して無罪放免はない。でもその償いをするのは今じゃないわ」

 言って、瑠々は笑みを見せる。

「偽人門―裏」

 人型として存在していたリルは円形に変化する。その中心部には全てを包み込むような優しい光が溢れていた。

「この門はあなたを本来行くべき場所へと導いてくれる。そこで自身が何をしたのか、何をこれからすべきなのかをしっかりと考えなさい」

 少年を小さく頷くとまるで吸い寄せされるようにその中へと足を踏み入れていく。そしてあっという間にその姿は見えなくなってしまった。

「疲れ、た……」

 少年の後ろ姿を見送ってから瑠々はその場に倒れこんでしまった。

 

 

 体が心地よく揺れる感覚で瑠々は目を覚ました。

「瑠々さん、起きましたか?」

「興平?」

 ぼやける視界の先に見えたのはいつも減らず口を叩く男の後ろ姿。
 車を運転しているようで、返事をしつつも前を見据えている。

「っ……」

 瑠々は体を起こそうとするが、鈍い痛みが全身に広がり思うように動けない。

「無茶はしないでくださいって言ったはずですよ」

 そんな瑠々に興平は平常時と同じようなトーンで言葉を投げかける。

「仕方、ないじゃない」

 身を捩り、何とか仰向けになる瑠々。

「こっちが身を削らないとあの三人を手放してくれなかったんだもん。人を呪わば穴二つっていうけど、あの子は同じ穴に入って終わりのない呪いを続けるつもりだったみたい。恐ろしいほどに深く絡みついていた」

 瑠々は額に右手の甲を当てる。

「あの子ね、妹をレイプされた上に、その妹が首つり自殺して、本人も長期間虐められていたみたい。色んな道具を使って体を傷つけられて、最後には妹まで……。やるせないわね」

 ぎゅりっと瑠々は唇を噛みしめる。
 興平は静かにハンドルを切っていく。

「応援を呼ぶなりなんなりと手はあったでしょう。あなたがそこまで自身を酷使する必要はなかったのでは?」

「いいじゃない。夜遅かったし応援を呼ぶのも面倒だっただけ。後で文句言われたくないの」

 そんなことより、と瑠々。

「やっぱりあの中学校区とその近隣域は特異点で間違いない。いくら恨み深しと言えど、複数の瘴霊があそこまで同体深化することはないし、自身も死した後に三人の体をミンチ状にするなんて通常の瘴霊では不可能。あちらとこちらの境が薄くなってる証拠ね。特定瘴癘の影響かもしれない。近くに胴体の封印箇所もあるし」

「やはりあの状態にしたのは死亡後だったんですね。上にも暫定特異点として認定するよう交渉してほしい旨、報告します。そうすれば瑠々さんが単独でやりたくてもそうはいかなくなりますし」

「ていうか、なんで情報統括室のあんたが出向いてきたのよ。早く帰りたいんじゃなかったの?」

「今何時だと思ってるんですか。後処理で忙しい部隊の人にあなたのことまで任せられるわけないでしょう」

 興平はミラー越しに瑠々を見る。再び眠りについたようで静かに寝息を立てている。

 眠る瑠々を起こさないように、興平は緩やかにハンドルを切り交差点を曲がっていった。

 

 

 瑠々が特定瘴霊を殲滅したのと同時間帯。

 山口県下関市。

 それは、捕捉された。

 下関市には特定瘴癘の【右腕】が完全顕現して以降、おびただしい数の監視カメラが設置され、さらに現地には多くの関係人員が配置され、二十四時間体制での北部九州との境界線の監視が続けられている。

 しかしその監視体制をまるで無視するかのように、まるで最初からそこにいたのかように、それは現れた。

 最初にそれを捕捉したのは二十三歳の自衛官であった。突如として目の前に現れたそれに彼は対処する間もなく取り込まれてしまう。

 そこから僅か数分の間に半径一キロメートル以内に配置されていた人員全てがそれに取り込まれてしまった。

 一通り自身を邪魔する存在を消し去ると、それは満足したかのような表情を浮かべ再びその姿を消してしまった。

 そして次に【彼女】が捕捉されるのは―――――。


#創作大賞2024
#漫画原作部門
#少年漫画


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?