『瑠々と璃々』第三話

 新しい瘴霊(特定瘴霊とガーネット本部は判断。
 内閣府の判断は得られず)が発現したのは、先日、瑠々が首を飛ばされた地点より南に十キロ離れた場所であった。  
 
 ガーネット本部は今回の件への対処を二人の祓師によって行うこととした。
 従来、特定瘴霊の発現は多くても一人の祓師の担当範囲内で月に二回程度。
 さらにその凶暴性なども祓師一人で対処できるものであった。
 しかし、頻度・凶暴性が明らかに増してきている中において、ガーネット本部は祓師一人での対応を危険と判断するにいたった。
 その一人として瑠々は現場へと赴いた。
 二人体制ということに不満を持ちはしたものの、本部からの決定をないがしろにするわけにはいかない瑠々は苛立ちを抑えながら任務に就いた。
 
 空は、薄く曇っていた。
 
 頻繁に資料を見返しても徐々に劣化していく記憶。
 その恐怖に徐々にではあるが蝕まれている彼女の心を反映するかのように、月は薄い雲に覆われその光が濁ってしまっていた。
 町の薄暗さは瑠々だけでなく、瘴霊殲滅に関わる多くの者たちを不安にさせた。
 人々の営みが消えた町は静寂を抱き、暗闇を羽織っている。
 そこに踏み入るには少しばかりの勇気と過分な理性が必要であった。

「……っ」

 そんな不安のせいか、それとも町の雰囲気に足を取られたのかそうでないかはわからないが、珍しく瑠々は特定瘴霊との戦闘で生身に怪我を負った。

『瑠々さん、大丈夫ですか?』

 瑠々はスマホを肩と耳に挟みながら興平と連絡を取っている。

「ええ、大したことはないわ。でも、血を見るのは気持ちのいいものではないわね。……うっ」

 瑠々は口を押えながらへたりと地面に座り込んでしまった。
 一年半前の出来事以降、瑠々は血を見るのが極度に苦手になっていた。
 そのため、できる限り偽人門以外の部位は損傷しないように気を付けていたつもりだった。
 瑠々は無茶をするが無謀なことはしない。
 しかし今日はいつもとは何かが違った。
 その違いを言葉として具現化することは難しくはあったが、だからこ、その違和感がどうにも彼女の動きと勘を鈍らせてしまった。

『今からそこに向かうので動かないでください』

 少しだけ焦燥の入り混じった声を発する電話越しの彼。

「ふふっ。大丈夫だって。今日は私のほかにもう一人いてくれるから大丈夫。興平は興平の仕事をして。どうせまた、あんたしかいないんでしょ?」

 そんな興平の声色に瑠々は笑みを零す。
 しとりと指の隙間から吐しゃ物を含んだ唾が流れ落ちる。

『いえ、行かせてもらいます。もうすぐ弥英さんの隊も到着するので』
「ほんとに……。興平、あり……」
『瑠々さん?』

 瑠々は興平との会話の途中でとある事象に目を奪われてしまった。
 先ほどまで血によってふらついていた意識と体はその軸を取り戻し、目の前の現実の存在感を確かめる。

「野上さん?」

 瑠々は自身と今日行動を共にした祓師の名前を呼んだ。

 しかし返事はなくただ先ほどまで野上という祓師がいた場所には、夜の闇よりも暗い液体とも気体とも取れるような何かが蠢いていた。
 解像度が下がり始めていた瑠々の記憶が再びその鮮明さを取り戻していく。
 その黒は、その蠢きは、その形は、彼女の何度も見返した報告書と映像に残されていたものと酷似していた。

 理解は体を動かす。

 瑠々は反射的に自身を数歩後ろへと動かした。
 握りしめたスマホからはただならぬ気配を感じ取った興平の声がうっすらと瑠々の耳に届く。

 しかし彼女の全神経は目の前の存在に奪われてしまっていて、興平の声が意味を成すものとしては届いていない。

 開かれた目は渇きを無視するようにその物体を捉え続ける。

 そしてその蠢く物体の横に、まるで闇夜から溶け出すようにして少女が一人姿を現した。
 その少女の顔を見たとき、瑠々の心臓は大きく高鳴った。そして自然と言葉が漏れる。

「璃々?」

 底の見えない黒の側に無表情で立つのは、一年半前に姿を消した瑠々の姉・璃々であった。
 その目は、鼻は、口は、毛先は、瑠々のようであり、しかしそれらは瑠々よりも柔らかな雰囲気を携えていた。特に目尻はその柔らかさを象徴するように瑠々よりもやや下がっている。

「璃々、なの?」

 瑠々は確かめるように、一歩足を【璃々】へと近づける。
 しかし璃々は妹の存在に気づいていないかのようにその目はどこか遠くを捉えているように見えた。
 口元にはうっすらと笑みが浮かんでいる。
 その笑みは璃々がよく瑠々に向けていたモノであった。

「ねえ、璃々なんだよね?」

 さらに一歩。
 声は震える。
 一年半も探し続けた存在が目の前にいる。
 そのことが瑠々の頭を支配していた。
 他の思考が入り込む余地がないほどに。

 そうであるからこそ、彼女の研ぎ澄まされた感覚が鈍ってしまっていた。

 眼前の【姉】からの攻撃が既に自身に到達しそうになっていることにさえも気づけないほどに。
 彼女がその殺意に気づくことができたのは、髪が一本落とされた感触が頭皮へと伝わった瞬間であった。

「くっ!」

 咄嗟にしゃがみこんだ瑠々の頭頂部を掠めるようにして何かが過ぎていく。
 周囲の空気が削がれ、その圧が低姿勢となった瑠々を襲う。
 その圧に押されながらも瑠々は攻撃の出所を視認する。
 攻撃は璃々の右腕から発せられたもののようであった。

「首、生身のを切られるのはしんどいんだけど? 璃々」

 瑠々は右の掌を首の後ろに当て生を実感する。
 同時に、璃々と思しき物体が少なくとも瑠々の記憶に残る姿をしているものの、内にある思念は異なることだけは明確に理解することができた。

「璃々の姿で何をしているのかしら?」

 璃々は困惑しながらも喜びに打ち震える。
 例えこの場にいる彼女が偽物でも、そこには本物に繋がる手掛かりが存在するはず。
 そう考えると自然と手が震えた。
 そしてその震える手を首元に添える。

「偽人門開放。人霊縛呪―黒首」

 日に二度目の開放。
 黒に染められる体は軋み、鋭い痛みが走る。
 その痛みの延長線上から再びリルが生まれる。

 ゆるりと、璃々らしきモノは瑠々の動きを見つめる。
 余裕なのか、はたまた無為なのかはわからないが、先ほどの殺意はどこ吹く風と揺れている。
 
 瑠々はリルの顕現とともに攻撃を仕掛ける。
 リルは正面突破とばかりに真正面から璃々に襲い掛かる。
 拳を振りかざし、女の頬へと叩き込むリル。

 しかし、その拳は寸でのところで間に入り込んだ黒い物体によって阻まれてしまう。
 黒の物体は、璃々の周囲にとぐろを巻くようにして展開していく。

 黒を纏う璃々の雰囲気は変わらず柔らかいままである。

 リルはその黒の隙間を縫うようにして攻撃をするが、動きを読まれているのか全く持って璃々に届かない。

 瑠々は鎖を握り、一度リルを後退させる。
 そんなリルを追うこともなく、璃々の周りで黒が揺れる。

 ―先ほどの明確な殺意は何?

 瑠々は目を細める。
 相手の意図が掴めない。
 攻撃は確かにあった。
 しかしそこから先がまるで繋がらない。

 瘴霊の行動原理に一貫性を求めてはいけない。

 それは祓師の共通理解である。
 人間であった頃とは違い、複数の意識が絡み合い、理性を失っている存在に対して人間の枠での理解を求めることは無理な話である。
 理解しようとすればするほど、深みにはまる。
 理解すべきはあくまでも規則性である。取るべきは臨機応変な対応である。
 しかし今、瑠々は求めてしまっている。
 あるはずのない一貫性を。
 動と動の狭間にある意味を。
 そしてその理解をもとに行動を起こそうとしてしまっている。
 それはその容姿が璃々であることに起因しているには疑いようのないことである。
 だからこそ、次を避けることができなかった。

「うっ!」

 両の足先に鋭い痛みが走る。
 視線を落とした瑠々の目に映りこむは両足の甲を貫く黒。
 そしてその黒は瑠々の動きを奪うために瞬く間に踝までを包み込み地面に固定していく。
 動きを封じられた瑠々は慌ててリルを動かそうとするが、それよりも早く璃々が口を開く。

『●●門開放―……』

 その先を言わせてはいけない。そう体が理解するに十分なほどの強烈な悪寒が瑠々を襲う。
 しかし瑠々の体は自由が利かない。

「きゃっ!」

 そんな瑠々のこわばりを吹き飛ばすかの如く、今度は別の何かが空から落下をしてきた。
 力強くアスファルトの地面と接触した何かは大きな衝撃音を上げる。

 瑠々が落ちてきた何かが人間だと、男だと理解するまでにそう時間は要しなかった。

「どきや。こいつは、この【右腕】は俺の獲物や」

 太く、低い声は人間の男のものであった。
 男は背を向けたまま瑠々に声を飛ばす。
 そこには敵意とも取れるような鋭い意志が感じられた。

 瑠々は先ほど璃々から当てつけられた悪寒がまだ抜けきっておらず、反論をすることもできずにただただその男の背中を見つめる。

「それでええ、瑠々。そこで黙って見とけ」
「西護? ていうか、【右腕】ってどういう……」

 瑠々の名を呼んだ西護という男。
 敵意の隙間から漏れたのは微かな親しみ。
 しかしその余韻に浸ることなく西護は胸元へと右の掌を添えた。

人門開放ー有象と無象」

 瞬間、数年ぶりの懐かしい圧を、身が削がれてしまうような鋭利な圧を、瑠々はその全身で感じ取る。
 その圧に押し出されるように背中からナメクジが這いまわった後の様に粘り気のある汗が滲む。

 西護の胸元に赤黒い裂け目が生じ、そこから金剛力士像のような出で立ちの大男二人が顕現する。

 顕現したそれは、瑠々のそれと違い、あまりにも本物であった。

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