『瑠々と璃々』第二話
チョウチンアンコウとの激闘。
その翌朝。
瑠々はスマホのアラームを寝ぼけながらも必死に止めた。
「眠い……」
瑠々は開ききらない眼のまま、一度伸びをしてベッドから降りた。
リビングに降り、誰もいない部屋の中で朝食と身支度を整える。
「行ってきます、お母さん」
そして、母親のいる部屋に声をかけ、いつも通りの時間に家を出た。
瑠々はどんなに前日きつい戦いをこなしたとしても、決して遅刻・欠席をしない。
瘴霊に関連する様々な事件を取り扱う政府直属機関・ガーネットに所属しながらも高校生としての生活も送っている。
しゃんと伸びた背筋が今日の朝日に映える。
その美貌ゆえに、自然と校内において視線を集める瑠々。
男女問わずファンも多い。
「瑠々ちゃん、助けてぇ」
そんな瑠々の耳元に情けなさを凝縮したような声が届く。
「また課題忘れたの?」
瑠々は呆れたようにため息をつきつつ振り返る。
そこには、瑠々より頭一つ分ほど小さい少女、崎元弥英がいた。
「ひゃい……」
弥英はうなだれる。
瑠々と弥英は幼馴染。
小中高と同じ学校、同じクラスで過ごしてきた仲である。
「いつも思うのだけれど、どうして弥英は課題してこないの? 高校生の本分は勉学でしょう。やらないという選択肢があることすら驚きよ」
瑠々は優しく弥英のおでこを小指で弾く。
「だって昨日は私、学校終わって直ぐ特定瘴霊殲滅後の後処理に駆り出されたんだもん」
弥英はいじいじと指先を絡める。
彼女もガーネットに属している。
ガーネット内部は大きく分けて三つに分けることができる。
一つは瑠々の属する瘴霊・特定瘴霊の殲滅を担当する祓師による実行部隊。
一つは興平の属する対象に関しての情報収集・分析を行う情報統制室(巡回隊含む)。
そして最後が弥英の属する殲滅後の復旧を行う復旧部隊である。
それら三つの組織が相互に協力しあうことで瘴霊・特定瘴霊の殲滅に寄与している。
「また? つい先日もだったじゃない」
「そうなんだよぉ。最近マジ多くてつらたん」
「その区域も特異点の範囲に含まれそうね。私もここ最近連続で特定瘴霊の殲滅に当たったわ」
三つの組織の中でも個々及びグループが担当する地域はそれぞれ細かく分担されている。
祓師はその数が少ないこともあり一人で広域を担当するが、復旧部隊は数がそれなりに揃っているため細かく分担をしている。
そのため、瑠々の担当範囲の一部を弥英の部隊が担当をしている状況にある。
今回弥英が担当したのは瑠々とは別の祓師の担当範囲であったが、瑠々の担当範囲と隣接していた。
瑠々が確認した特定瘴霊。
そして弥英の担当地域で発生した特定瘴霊。
おそらくそれらは同一の要因からきているのだろう。
瑠々は思考を深めるように、顎に手を添えた。
―瘴霊
一般的に言えば霊や妖怪と言われる類のものになる。
人間が暮らす世界と所謂魂などが存在する世界の境は曖昧かつ薄い膜のようなもので隔てらており、基本的に、相互に大きな影響を及ぼすことはない。
しかし、その薄い膜ゆえに、人間世界とあちらの世界との境界が裂けてしまう場所もある。
政府及びガーネットはそれを【門】と呼称している。
その門から漏れだす瘴気やその他多様な異物が未だ人間世界に残る瘴霊に影響を及ぼすことがあった。
特にこの世において強い恨みなどを残して死した者は肉体を失った後も長く人間世界に残存する傾向があり、そのような瘴霊が門から溢れ出たモノの影響を受けると、人間に害をなせるほどの力を有する特定瘴霊へと変化するのであった。
特定瘴癘(封印体)完全顕現以降、その門が恒常的かつこれまでにないの密度で集中的に存在する場所が発生し始めており、それらは特異点を呼ばれている。
門が恒常的に開いているということは、それだけ瘴霊が特定瘴霊になる可能性が高くなる。
そのため、ガーネットは瑠々のようにより強大な力を有する人材を特異点に配置する対策を講じている。
瑠々もその一人として、日々現れる特定瘴霊への対処で追われていた。
「無理しない方がいいわ。さっきも言ったけど学生の本分は勉学。それが疎かになるのなら一度現場を離れることも視野に入れた方がいいんじゃない?」
今度は優しく友の頭を撫でる瑠々。
「でもさ、もしかしたら瑠々のお姉ちゃんの手掛かりがあるかもしれないじゃん。私も瑠々の助けになりたいの」
弥英の声は少しだけ震える。
そんな友を見て瑠々は胸の奥を締め付けられる。
「ありがとう、弥英。私もあなたに感謝しなくちゃね。でも本当に無理をしないで」
「じゃあ、課題見せてくれる?」
「だが断る」
「うっくう!」
弥英は空に向かって唸った。瑠々は物事を縦割りで考えるタイプである。
●
放課後。
瑠々はガーネット本部へと足を向ける。
その横では弥英が不服そうに頬を膨らませている。
「瑠々ちゃん。昨日また無茶したでしょ」
ぽすっと頬に溜めた空気を抜く弥英。
空気と同時に友に対する不満が出てきた。
「そのことなら興平にも怒られたからもういいじゃない」
瑠々はしなやかに話題を躱そうとする。
「よくない。朝、私に無理するなって言ったよね? 瑠々ちゃんも無理しないでよ。私の無理は体調崩すくらいで済むけど、瑠々はそうじゃないよね? いくら【偽人門】による効果があるとはいえ、首を飛ばすなんて信じられない」
弥英は瑠々の袖を掴み、歩みを止める。
そこはちょうどガーネットの本部前であった。
「ねえ、瑠々ちゃん。一人で頑張ろうとするのは悪くないけど、一人で頑張り過ぎるのはよくないよ?」
「でも何とかなったじゃない」
ガーネット本部のビルを見上げながら瑠々は返事をする。
「結果だけ見ればなんとかなってるけど、やっぱり結果は結果でしかないの。結果が確定する前の段階で多くの予防策をとって最良の結果を実現に近づけるのが重要でしょ? 瑠々ちゃんはそれを怠っているとしか思えない」
「そうかもしれないけど……うにっ」
弥英は上を見る瑠々の顔を掴み、強引に自身の目線に持ってくる。
「ごめんね、きっと瑠々ちゃんは私になら頼れるよね。でも私には瑠々ちゃんに頼ってもらえるだけの力がない。こうやって話をすることしかできない。本当にごめん」
そして申し訳なさそうに謝った。
「謝らないで。こうして心配してくれるだけでも十分力になるわ」
「瑠々ちゃん……」
●
ビル内に入ると、瑠々はまっすぐ地下へと続く階段を下りて行った。
弥英は瑠々を見送る。
その弥英の元に興平が現れる。
「弥英さん一人、じゃないっすよね。瑠々さんはあそこですか?」
「うん」
「もうずっとですね」
「そうだね。あの子、ずっと気を張り続けてる。お姉ちゃんがいなくなった日からずっと自分を責め続けて、全てを自分で背負い込もうとしてる。知ってる? 瑠々ちゃんって前はもっと柔和で、どちらかと言えばおっちょこち
ょいだったんだよ」
「まじすか? 全然想像できないっすね」
「あはは。ほんとにね。ほんと、今の瑠々ちゃんは璃々そっくりだもん」
弥英は瑠々の行った先を憂いを帯びた目で見つめた。
●
二千二十二年十二月月二十四日午後三時二十九分。
東京都■市の商店街において瘴霊による殺人が発生する。
被害者は年代・性別不明の五人程度。
目撃した住民によると、地面から突如として現れた黒い液体らしきものに、付近にいた五人が包まれ、その後、骨となって排出をされたらしい。
従来、瘴霊による事件だということが明らかな場合でもガーネットへの通達と同時に地元警察へと連絡がいくようになっている。
しかし今回、連絡を入れた巡回隊は一般人による当該地域への接近を危険と判断。
即時当該地域を閉鎖し、ガーネットのみでの対応となった。
その対応に当たったのが瑠々の双子の姉・璃々であった。
璃々は、他者ではこなせないような難しい任務をいくつも経験してきた。
そのため、この任務には適任だと判断された。
ただ短時間で五人を亡き者にした瘴霊に対して単独対応はいくら璃々であれど危険なため、サポート役として二人ついた。
しかし璃々は、閉鎖区域から感じる経験したことのない悍ましい瘴気に、サポート役に待機を促し、一人で区域へと入った。
それから数時間後。
待機していたサポート役の二人は突如として区域内の瘴気が消えたことを感じ取った。
急いで中に入った二人が見たのは、アスファルトの地面に溜まる夥しい量の血。
しかしその場には璃々も特定瘴霊も存在していなかった。
残された微かな瘴気から殲滅対象がまだ【生存】していることはわかった。
一方、璃々の安否に関する手掛かりは一切存在しておらず、その時点から今日に至るまで彼女の消息は不明である。
●
地下の資料室。
瑠々は何度も読み返した資料を閉じると同時に目もきつく閉じた。
読み返したところで得られる情報は存在していない。
今行っているのは記憶の劣化を食い止める作業。
『瑠々、あなたは行くべきじゃない』
瑠々は璃々のサポート役の一人であった。
そしてこの一年半、封鎖区域前で璃々からかけられた最後の言葉を何度も心の中で噛み締め続けている。
瑠々の唇から微かに血が滲む。
あの日から、姉の手がかりを求めて多くの任務についてきた。
強くなるために多くの犠牲を払ってきた。
姉の背中を追って、姉らしくあろうと振舞ってきた。
けれど、何も変わらない。
それがどうしようもなく歯がゆかった。
新しい瘴霊(特定瘴霊とガーネット本部は判断。内閣府の判断は得られず)が発現したとの報が入ったのは、瑠々が三百五十九回目の資料確認をし日の夜であった。
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