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初稿の連載小説「もっと遠くへ」3-3
3-2はこちら↓
https://note.com/fine_willet919/n/n2a6740740287
初めて日本酒を飲んだのも、確かその時だったと記憶しています。僕にはどうしても、理科の実験で使うエタノール液にしか思えず、味わうということが出来ませんでした。
二合の冷酒をおちょこで少量ずつ飲み、その度に、顔の全てのしわが中心に集まってきて、お互いの顔を見合いながら、苦笑し、
「大人になるって、苦しいって事やな」
と、格言になるには、少しばかり力量が足らない言葉を吐いては、また、自らしわを寄せにいくのでした。
長い夏休みも終わり、学校に通うことになった訳ですが、相変わらず、友人と呼べる人間は一人もいませんでした。もちろん、挨拶程度を交わす人はいましたが、その程度であって、大学の外で、個人的に会ったり、酒を飲んだり、長瀞や秩父に車を走らせて出掛けるような人はいませんでしたので、僕にとって、人間関係を構築する場は、アルバイトをしている居酒屋だけでした。
亮介は僕にとって、良き先輩でありながら、友人でもあり、心の内を話せる唯一の人間になっていたのでした。
隣人の話をすると、面白がって、ボロアパートに泊まりに来た事がありました。
「今日、女と帰ってくるかは、わからないですよ」
近くのコンビニで大量に買った缶酒と乾き物が窮屈に入ったビニール袋の重さで、取っ手部分が掌に食い込み、僕の感情線をくっきりと浮かび上がらせています。
亮介は、一人、酒を開け、
「来るかもわからんやん」
と呑気に話すものですから、
「まあ、そうですね」
と、浮かび上がる手相をごまかすのでした。
また、洗濯機の上に置かれた(いつもの通りに放置された)空き缶を見て、
「お前、嫌われてんのか」
と、意地悪を言う亮介を、僕は不思議と嫌いになることは出来ず、反って、自分にないものを持つ彼のことを、羨ましく思えるほどでした。
隣人が帰ってくるのが先か、僕たちが酔いつぶれてしまうのが先か、いわば、耐久レースのようになり、随分と酒が回った亮介は、こちらが求めてもいないのに恒例の落語を始め、
「この前は、死神やったよな」
「はい」
「ほんじゃあ、今日は芝浜や」
と、好きの割に、皆が知っている演目を自分流に話し、僕に聞かせるのでした。
ですが、これが意外と聞いていて面白いといいますか、どこかで習ったわけでもないのに、聞き手(ここでは僕の事だが、おそらく他でもやって聞かせているのだと思う)の心を離さぬ工夫を凝らし、巧みに話すのでした。
申し訳なさそうな女房の顔を作りながら、指先を床にちょこんと載せて、
「おまえさん、実は、あんたに話が合ってね」
かと思えば、今度はおどおどした様子の亭主を演じ、
「話ってなんだい、、、」
「おまえさんが三年前に芝の浜で拾った財布、あれは夢なんかじゃなかったんだよ」
巧みに、一人、二役を演じ分け、
「お、おおおお、おう。そ、そ、そりゃどういう事だよ」
と、江戸っ子の特徴を抑え、さらに誇張した、いわば亮介節を披露するのでした。
芝浜の演目も終わりを迎えていたのでしょう。亮介の語りが次第に熱を帯びていきます。
「あの時、酔って帰ってきただろ、、、」
横目で亭主を見ながら、女房が言いました。その時でした。隣人が女を連れて帰ってきたのは。大分酒が入っているのか、数段階声が大きくなっており、それは、耳を澄まさずとも容易に聞くことが出来ました。
亮介は、女房の顔を作りながら、間抜け顔でぴたっと制止したのです。
「帰ってきたか」
「はい、帰ってきました」
僕たちは顔を見合わせ、息をのみました。
女房の顔からゆっくりと亮介の顔に戻っていく様を見ながら、僕は苦笑しました。
「なに笑ってんねん」
「そりゃ可笑しいから」
***
続きは9月6日(水)です。
お待ちください。
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