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ぼちぼち

プロフィール欄の最後に書いている「ぼちぼち生きる」というのは、中学の担任の先生に教えてもらった言葉だ。
毎日のホームルームの際、必ず「今日もぼちぼち頑張りましょう」と言っていたのを聞いて、「ぼちぼち」って良い言葉だなと思った。自分のできる範囲で、最大限の努力をする、というのは無理しすぎてしまう私にとって今までなかった発想であり、「ぼちぼち頑張る」ことは課題でもあった。

その担任の先生は、私が不登校になったとき、「まさか翠ちゃんが」と思ったと話してくれた。私は、何の問題も抱えていないように見えていたらしい。私はいつもそうだった。優等生じゃないのに、優等生扱いされることが多かった。テストの点数もそんなに良くなかったのに、同級生には「翠ちゃんは賢いよね」と言われることが多かった。無意識に、自分を取り繕っていたと思う。

でもそんな生活にも限界があって、中学3年の二学期、とうとう学校に通えなくなった私を、「まさか翠ちゃんが」とは言いつつも、先生は最大限のサポートをしてくれた。保健室の隣にある、使われていなかった部屋を綺麗にして、別室登校できるようにしてくれたり、スクールカウセリングも勧めてくれた。別室登校するようになってからは、空き時間にはふたりで話をする時間を設けてくれたり、zoomをつないで、別室からも教室の授業を受けられるようにしてくれた。

でも、先生は私がうつ病だということをまったく知らなかった。スクールカウンセラーの先生に勧められて精神科を受診したとき「うつ病です」とはっきり言われた。
そのとき私は中学2年生14歳の2月。
卒業まで、気を病んでいることは、担任の先生にも、保健室の先生にも、誰にも話せなかった。傍から見たら、ただの甘えに見えていたかもしれないと今では思う。それでも、見捨てず、サポートし続けてくれた先生たちには感謝しかない。

卒業式の日、私は担任の先生に手紙を渡した。その手紙で初めて、今までの感謝と、実は「死にたい」という気持ちを抱えながら別室登校していたということを打ち明けた。
後日、私の元に届いた先生からの手紙には「翠ちゃんの抱えていたものの大きさに驚き、涙が出た」と書いてあった。

先生とは、私が大人になったらまた会おうと約束してある。
その約束を命綱にして、今はなんとか、ぼちぼち頑張れている。



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