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他の人の辛さなんてどうでもいい



「もっと辛い思いをしている人もいるから」


このような励ましや、慰めは、
何の意味があるんでしょうか。

自分を鼓舞するために使うのは自由ですが、
自分以外に使うのは、お門違いだと思うのです。

この言葉を貰う時は、大体大変な時だと思います。

頑張っている相手に、もっと頑張れの意味を込めて。

でも、大変で苦しい時に欲しい言葉は、
本当にその言葉でしょうか。


”頑張れ”
よりも、
”頑張ってるね”

”大丈夫、あなたはよくやってる”
と、
今に繋がる過程を認めて欲しい。

私は、そう考えます。


「もっと辛い思いをしている人がいる。」


そんなこと、言われなくてもわかっています。

この広い世界中を見れば、
自分よりも大変な思いをしている人がいるなんて、
容易に想像ができます。

でも、そんなこと関係ありますか。

どうして、周りに辛い人がいるからと、
自分の気持ちを我慢しなくてはならないんでしょうか。

感じる辛さや苦しさは、人それぞれです。

人はそれぞれ、置かれている環境が違えば、
立場も違う。

相手によっての付き合い、
人間関係も。

そして、性格も違う。

何をどう捉えて、考えて、時間をかけるのか。

何もかも違うはずなのに、
何を比べて他にも辛い人がいるなんて言うのか。

個人を見るべきなはずなのに。

全くのお門違いだと思うのです。

人の辛さや苦しみは、
どうしても完全には理解できない部分があります。

心の全てを読み取ることはできない。

でも、理解しようと、
歩み寄ろうとすることはできる。

相手の状況を決して過小評価してはならないと思います。

少なく、小さく見積もることは
相手に対して失礼だと。

わからないのであれば、
わからないという素直な気持ちで接すること、
わかっていると思わないこと。

相手がやっと声に出せたSOSだったかもしれない想いに、
他にももっと頑張ってる奴がいる、なんて
あまりにも残酷ではありませんか。

人は思っている以上に強くない。

これは、私の人生です。

私が主人公です。

他の登場人物なんて、主人公には敵わない。

その人が辛いと感じたなら、辛いんです。

他の人の基準なんて関係ありません。

どう感じるかは、自分自身が決めていいことなはずです。

辛いということを、認めてさせてください。

認められないことで、今の自分が無意味に思えます。

失敗を認めること、
人のせいにすることなく、
自分の過ちや怠りを受け止めて次に生かすことは大切だと、
ミスはしていい、成功に繋がるからと、

失敗を認めることが必要なら、
頑張りを認めることも必要ではないでしょうか。

頑張っているという言葉だけで、
認めてもらえるだけで、
気持ちが軽くなって、生きている気がするんです。



少し話しの内容は逸れてしまうかもしれないけど、

私が仕事を休職する時、私がこうなってしまった経緯をと、
店長とエリアマネージャーと話す機会が設けられました。

その時、
この店を次に任せたいと思っているのは、
他の同期2人ではなくあなただ、と言われました。

私の心は一言。


”もう遅い”


それだけです。

身も心も壊れる前に言って欲しかった。

その言葉を今貰っても、
私はもう、その場所に立てない。

その言葉で救われる瞬間があったはず。

でももう何もできない。

もう無意味なんです。


花と同じように、人間も枯れる。

必要なタイミングで
お水をくれないと、
持っているはずの美しさや魅力を見せることなく、
消えていく。

私は、ちゃんと相手を、
個人として見ていきたい。

その子が生きている世界で対話をしたい。

この気持ちは忘れたくないと思っています。



なんて独り言でした。


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