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ゲーム音楽×教育についての考察

まず始めに、本記事は教育現場でゲーム音楽を取り入れた実践の記事ではありません。

(思いつくまま書いたので、少し伝わりにくい文章や表現がありました。少し加筆•修正をした記事になります。)

ゲーム音楽の歴史と教育について、私が思ったことをあれやこれやと、とりとめなくまとめたものです。

また、この記事を書く際には、YouTubeチャンネル「ゲーム夜話」さんから大きなインスピレーションを受けています。

ゲームをするだけではなく、ゲームそのものが好きな方、是非一度ご覧ください。

まず、私の好きなゲーム音楽家は、『DRAGON QUEST』のすぎやまこういちさん、『FINAL FANTASY』の植松伸夫さんです。

そっくりそのまま、ゲームとしての『ドラクエ』、『FF』も大好きです。

そんな私がゲーム音楽に興味をもったのは、『FFⅩ』です。
ストーリーと音楽の相乗効果で、ゲームで初めて涙したのがきっかけです。

また、最近では東京オリンピックの開会式で多くのゲーム音楽が流れたことも記憶に新しいところです。

この度、FFⅦリバースの発売を記念して、「ゲーム夜話」さんが植松さんを取り上げてお話されていました。

そこから感じたことを共有したいと思います。

ゲーム音楽黎明期

ファミコン時代は、なんといっても同時に3音しか出力できないという制限の中で、それぞれの音楽家の方が工夫を凝らしていたことに驚きました。

これはすぎやまこういちさんも同じで、3音の中であのファンファーレを作ったのだから本当に恐ろしいです。

教育に当てはめたときに、やはり制限があるからこそ工夫が生まれることとつながるなと思いました。

ゲーム音楽確立期

動画の中で、私が長年感じていた違和感の正体が、明らかになりました。
昔のゲーム音楽は、はっきりとメロディーが口ずさめるのに最近の音楽はあまり耳になじみがないな、ということです。

昔(ファミコン時代)は画面から伝わる情報が少なかったので、相対的に音楽の占める割合が大きかったのです。

今は、映像を通して多くの情報が伝わるので、音楽が控えめになっているのです。

時代の変化に合わせて曲に求められていることが変わっているということです。

そんな中、FFⅩの「いつか終わる夢」を聴くと、ゲーム音楽が『ゲーム音楽』として確立されていたのは、この頃までなのかなぁと思ってしまいます。

なんだか曲名とも、植松さんの生き様ともリンクしていて、とても切ない気持ちになりました。

まとめ

私は、このゲーム音楽を教員へと当てはめて考えてみました。

黎明期の教員は、それぞれが色々な制約の中で工夫を凝らしてよりよい教育をしようと希望に燃えていた、そんな時代なのかと思います。
それは、初任校で制約が多い中頑張っていた時代とも重なります。

また、もう退職された世代の先生方にいわゆるスーパーティーチャーが多いこととも重なりました。
田中博史先生、菊池省三先生など。

またゲーム×音楽はそのまま子ども×教員として、お互いに相乗効果を生んでいたのだと思います。

時代は変わって今は、子どもが主体で教員に求められるのはファシリテート力だとすると、子どもを支えるような存在である必要があります。

そもそも一人のスーパーティーチャーを求めておらず、組織としていかに教育効果を高めていけるか、ということが求められてあおます。

ゲーム音楽も、最近ではメロディがキャッチーなものより、BGMとして寄り添ってくれるものの方が多いのと似ている気がします。

また、FFⅩの頃から、植松さんは一人で全曲作成ではなく、チームでⅩに使われる曲を作ったそうです。

なんだ、ゲーム音楽と教育はつながっているじゃないかと思い、この感想を言語化してみました。

しかし、言語化にあたって自分の文章力の無さで、伝わりにくい文章になっていることもよくわかりました。

そんなこんなの記事ですが、スキやコメントをいただけると本当に嬉しいです。

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