先駆者の苦悩

1 ウチの道場に通う高校生の子から、「今からでも、頑張れば自分は全日本チャンピオンになれますか?」と聞かれた。
 今の「ブラジリアン柔術」(BJJ)を取り巻く環境を考えると、PEDの使用も含めて現実をありのまま伝えるのが(私なりの)彼に対する誠意ある回答だと思って、次のように返した。

 「君が頑張れば、白帯や青帯の全日本チャンピオンになる事は出来るかもしれない。運が良ければ、紫帯くらいまではギリギリ可能だろう。
 ただ、BJJではステロイドの使用が自由なんだよ。だから、茶帯以上のタイトルを獲ろうと思うなら、どうしてもステロイドを使っている日系人達を相手にしないといけない。
 ステロイドという武器を持っている彼らに勝つ、いや、最低でも怪我させられないためには、こちらもステロイドという武器で武装しないわけにはいかない。
 ステロイドの使用には、性格が攻撃的になって友達を失ったり、40歳くらいで何の前触れもなく心筋梗塞で死ぬ、という深刻な副作用がある。まだ10代の君にとって、40歳の自分を想像するのは無理があるだろうけど、人生は40年では終わらない。
 君は、BJJの去年の全日本チャンピオンの名前を一人でもいいから知ってる?知らなくて当然。逆に言うと、君がステロイドを使って全日本チャンピオンになれたとしても、世間は君の事を認知してくれないんだよ。そして、残りの人生をステロイドの副作用と戦いながら過ごすというのは悲惨だから、君の親御さんと同じ目線に立って考えると、君は全日本チャンピオンを目指すべきではない。
 ただ、柔術はコンスタントに練習を続けさえすれば必ず強くなれる。タイトルの事はひとまず置いて、趣味でもいいから今の調子で10年柔術を続けてごらん。10年後の君は今と全く別次元の強さを手に入れているはずだよ。BJJには30歳以上の「マスター・カテゴリー」もあるし、先を焦らず、まずは今日の目の前の練習を頑張ろう」と。

 BJJに限った話ではないのかもしれないが、格闘スポーツにおける最大の問題点が彼の質問に集約されているように思う。つまり、「試合というものが存在し、それに権威が付くと、どうしてもその試合を基準にしてその格闘技を見てしまう」という視野狭窄である。
 
 何度も繰り返しているが、私は「試し合い」としての競技柔術の価値を否定する気は毛頭ない。ただ、特に今の日本の場合、競技柔術がまずあって、それとの関係でしか柔術を捉えられない人があまりにも多すぎる。

2 昨年、ヘンリー・エイキンスの直弟子である江良拓さんが渋谷に道場をOPENされたというニュースを聞いた時、「これで(私も)ラスベガスまで行って、(さらに)10万円払わずとも、ヘンリーの技術を肌で学ぶことが出来る」と喜んだのだが、残念ながら江良さんに指導して頂く機会を伺っている間に、渋谷の道場を閉じられてしまったそうである。

 今の日本のBJJ村は、競技柔術の存在を当然の前提として、そこを思考の出発点にしてしまっている。その結果、競技柔術以外のオルタナティブな柔術に対しては、異常なアレルギー反応を示して拒絶するか、酷い場合にはある種のカルト扱いされている。

 しかし、競技柔術で勝てる人は、BJJを練習している人のほんの一握りである。帯が上がれば上がるほど普通の人は勝てなくなる。試合で勝った人を賞賛するのはいい(というより、それが勝った彼ないし彼女の努力に対する正当な評価だろう)。ただ、試合で勝つ人がいれば、当然その陰には試合で負けた人がいるという事である。しかも、試合で負ける人の方が圧倒的多数で、視野狭窄に陥っている人々は、その圧倒的多数の人の努力や技量の上達を評価する事が出来ない。物差しが「試合での勝ち負け」しかないのだから仕方がない。

 私が思うに、今回江良さんの道場が閉じてしまった理由は、ヘンリーの技術が「試合で勝つ事に役に立たないから」だと思う。より正確に言えば、ヘンリーの技術を習得出来れば誰でも武術的に強くなれるのだが、ヘンリーの技術を「スポーツ」の場で表現するには、試合時間が5分では短すぎるし、ヘンリー本人が柔術を「セルフディフェンス」と「サバイブ」と規定し、競技柔術で勝つためのテクニックを一切教えていない。だから、江良さんの道場に「試合で勝つためのヒント」を求めて行った人々は、皆失望して帰っていったはずである。言うなれば、ヘンリーの柔術と競技柔術は、それぞれ「武術」と「スポーツ」に対応し、同じ「柔術」という呼称が付いているにも関わらず、その内実には相当の隔たりがある。特に、試合=スポーツ目線でしか柔術を捉えられない人が、ヘンリーの武術的な柔術を理解するのは不可能だと言っていい。

 私も「サバイブ」をコンセプトに、試合時間20~30分・サブオンリーの試合の開催を一度手伝った事があるが、人集めの段階で競技柔術のみ思考の人々からの異常な反発の強さに驚いた記憶がある。だから、江良さんが日本にヘンリーの柔術を広めようとして苦労されている点については、多少なりとも共感・理解できる(つもりでいる)。

 ただ、先にも述べたように、今柔術に取り組んでいる人の大多数は試合で勝てない人である。そういう人々の努力や上達を「試合結果」のみで評価してしまうと、彼らには賞賛ないし承認の機会がいつまで経っても与えられないので、最終的にそうした普通の人々は柔術に対するやる気を失くしてしまい、稽古を止めてしまっているのではないだろうか。
 だからこそ、そうした普通の人々の努力や上達を正当に評価する物差しとして、あるいは、競技柔術のオルタナティブとして、江良さんの活動には社会的意義があると私は確信している。

3 同じことは、「R.O.M.A.N(ローマン) 」を立ち上げられた渡辺直由先生についても当てはまる。

 渡辺先生と言えば、QUEST社からリリースされているBJJ教則をご存じの方もおられるかもしれない。

 「バーリ・トゥード(≒決闘)」の文化のない日本において、「R.O.M.A.N(ローマン) 」が興行的に成功するか?と問われれば、私個人の率直な意見を申し上げると、「難しい」と言わざるを得ない。
 むしろ、19世紀のフランス(やそれの影響を受けたロシア)文学を読んでいると、決闘のシーンが度々登場する・・・決闘者が背中合わせに立って、10歩離れたら向き合ってピストルを発射するというアレである・・・ので、日本よりもフランスの方が「R.O.M.A.N(ローマン) 」が根付くかもしれない。

 ただ、渡辺先生は、「柔術の原点回帰」として「R.O.M.A.N(ローマン) 」を立ち上げられたわけで、そこには競技=スポーツとしての柔術とは全く異なる武術的な柔術を復興しようという発想において、江良さんの活動と根底において通じるものがあると私は見ている。
 
 江良さんも渡辺先生も先駆者として日夜苦労されているだろうと推察するが、そうした先駆者としてのお二人の苦労が、将来的に「先行者利益」として、報われて欲しいと切に願っている。

・・・

 ヘンリー・エイキンスのセミナーが今年も東京で開催されるそうである。今の私にはここでその告知をする位しか江良さんの活動に対するサポートが出来ないのが残念である。

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