GHOSTが囁く

1 先日「片襟片袖」というBJJのテクニック群についての覚書を書いたが、わずか一日で10人近い方がこの記事を購入して下さったので、率直に言って驚いている。
 記事を購入して下さった方のHNを拝見していると、いつも私の記事を読んで下さる方だけではなく、興味のある記事をピックアップして購入しておられる方から初見の方まで様々である。まずは、記事を購入して下さった皆様に、御礼申し上げたい。

 残念ながら、私の記事に対してコメントを頂く機会がほとんどないので、記事を購入した方々にとって私の書いたモノが設定した価格に見合う満足を得られる内容となっているかは分からない。
 ただ、今回の「片襟片袖」に対する需要と、これまで私が執筆した中で現時点で一番閲覧数の多い記事が「柔術におけるテイクダウン(試論)」である事を合わせて考えると、YOUTUBEに星の数ほど存在するBJJのテクニック動画について、それらの中から「何を、どのような順序で見ればよいのか?」という点について、悩んでいる方が相当数おられるのかもしれないという感想を抱いた。

 言うまでもない事だが、私もBJJのあらゆるテクニックについて、「何を、どのような順序で見ればよいのか?」という点について分かっているわけではない。
 私の場合、「ハーフガード」については「テハ111」から始まって、トム・デブラスやB・ファリア、ルーカス・レイチ等それなりの数の教則を見たが、ジョン・ダナハーの教則を見て、ようやく「並の柔術家のためのハーフガードに対する考え方」についての自分なりの見解を形成する事が出来た。だから、私がこれまで全く取り組んだことのない、例えばモダン系のテクニックについて、YOUTUBEにある動画を順序立てて整理して示す事など到底不可能である。
 試合強者の人々は、そういう順序立てなど気にせず、YOUTUBEからのオススメだけを見て、独りで勝手に強くなっているように思われるが、それはひとえに彼らがライト層や中間層と比べて圧倒的な練習量をこなしているからだと思う。

2 BJJに関するトピックを扱ったモノとして私の記事を読んで下さっている方は、BJJのライト層から中間層の人々だろうと想像されるが、読者の方々の中には「タイパ」とか「コスパ」とか言った効率性の観点とは一応無関係に、あるテクニックについてそれを「なぜ、いつ、どのように」用いるべきか?という点についてのガイドを必要としている方が多いのではないか、言い換えると、日本に存在するBJJの道場ないしアカデミーのカリキュラムでは中間層の方々にその点についての満足いくインストラクションを提供できていないのかもしれないという現実が浮かび上がってきた(気がする)。
 
 大分前(10年以上前かもしれない)の話になるが、立花隆が文藝春秋誌上のコラムの中で、大要「書籍が電子化されてあらゆる人が過去から現在までの膨大なデータにアクセスする事が出来るようになれば、図書館の司書の仕事は、大量のデータの中から利用者のニーズに合わせて、的確にオススメ本をピックアップする事になるかもしれない」と書いていたと記憶している(記憶が曖昧なので、記述は不正確かもしれないが、その点はご容赦願いたい)。
 書籍が「電子化されて大量のデータが溢れだす」という点は、YOUTUBEにアップロードされているBJJのテクニック動画と同じである。だから、ある意味ではユーザーが「情報があり過ぎて、何を読めばいいのか(何をすればいいのか)」が分からない、という点において電子書籍もBJJも似たような状況にあると言えるかもしれない。

 そう考えると、立花隆が当時「未来の司書」に求めたような情報を適切にガイドする役割に対する潜在的なニーズが、BJJのテクニック(だけではなく、おそらくは社会の至る所)にも存在するのではないかと考えらえる。
 
 私は目を閉じてワインを飲めば、一口飲んだだけで「赤ワインか白ワインかの区別しかできない」程のワイン通であるが(きっと、ロゼワインを飲んだら十中八九「白ワインだ!」と答えるだろう)、ワインを評価するのに、ワイン生産者である必要はない。「ソムリエ」や「ワインアドバイザー」のように、ワインのガイダンスをれっきとした職業としている人は現に存在するのだから、BJJについてもテクニックを評価するのに、「ムンジアルを獲った」とか「全日本王者」という肩書は必要ないのかもしれない。
 まあ、私の場合BJJの実力は草野球レベルなので、一野球ファンが大谷翔平の凄さについて語るのと大同小異ではないかという危惧はあるが・・・

3 YOUTUBEの動画には「何を、どのような順序で」や「なぜ、いつ、どのように」という点について、きちんと説明してくれるモノがまず存在しない(尺の関係も一因だろう)が、教則を買えば問題は解決するというものでもない。

 英語教則で鍛えた「カタカナ英語」力を駆使して、道場で私は外国籍の会員さんの相手をする事が多いが、日本語で話すのと違って、会話一つで本当に脳が疲れる。「(英語の)教則を見る」という行為は、発話のプロセスがないだけ、会話よりは楽だが、ジョン・ダナハーの教則が(平均して)1本20時間近くある事を考えると、チャプターメニューを眺めているだけでゲンナリしてしまう事もしばしばである。少なくとも私の場合、どんなに頑張っても「教則を見る」事は休日に2時間が限度である。
 BJJの教則は、あるテクニック群について演者なりのフォーミュラ(公式)を示してはくれるものの、ざっくりと(例えば)「ハーフガード」の全体像について初級者に分かりやすく解説してくれるものはほとんどないし(「BJJの基礎」といったタイトルの類の教則では、「ハーフガード」の全体像を理解するには情報が足りなかったりする)、ダナハーのように稀に全体像を分かりやすく提示してくれるモノがあったとしても、通しで見るには長すぎる。
 さらに、そうやって苦労して得た知見を道場の稽古に持っていっても、それがすぐに役に立つことはまずない。仮にあるテクニックがたまさか初見で通用する事はあっても、大抵の相手は次にスパーする時にはそれへの対処法を用意している。

 柔術の上達のためには、まず「練習量をこなす」こと。これが絶対の第一条件である(もちろん、週に1・2回の練習頻度でも続けていれば必ず上達する)。そのうえで、上達の第二条件である「練習の質」を高めるという点について、教則やYOUTUBEが使い方次第で役立つこともあれば、適切なガイダンスを得られずに、かえってそれらを見る事によって「柔術迷子」になってしまい「練習の質」を下げてしまっている人も大勢存在する気がしてならない。
 私がその点について適切なガイダンスが出来るとは(己のBJJの実力から見て)思っていないが、覚書として記事にしたものが少しでもライト層や中間層の人々の「迷いを晴らす」事のお役に立てたのなら嬉しい限りである。

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