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#156:目指す必要はないけど、知っておくといい「マウントフルネス」

たくさんの投稿の中から見つけてくださって、ありがとうございます。

今回は人間関係についてです。
人と変わらずに生きていけないし、なんなら結局は人と関わりたいとも思ってしまう。
「人という字は互いに支えあってヒトとなる」という金八先生の名言がありました。(時代よ…)
もしそうなら「人」という字を支えてる右側の人がシンドすぎるなんていう話もあります。
「人間」というのは"人と人との間"、単なる"人が生きて住んでいる場所"という意味であって、仏教用語の人間界(にんげんかい)が詰まった物であるという意味だということも言われます。(分かったような分からないような)
だから何かと言われると、とにかく嬉しいのも楽しいのも辛いのも悲しいのも人付き合いがベースになっていることが多いよね、ということが無理やり言いたかったのでした。

マウンティングへの気付き

かつて趣味のグループでしょっちゅう行動をともにしなければならない(←この謎の「ねばらならない」思考が間違っていることに今なら気づける。笑)のに、(おそらく私だけが一方的に)とてもシンドいという人間関係にはまっていました。
あることをきっかけにいっきに距離を置くことができましたが、その節はずいぶんとお勉強をさせていただきました(T_T)
悩むことも多かったのですが、とりわけマウンティングというものについては随分と考えさせられました。
そう、後から思えば私はボコボコにマウントされまくっていたのでした。

当時は悩みを払拭するために当時は自己流でマウント関連について調べまくっていました。
その頃のネットの検索履歴が見れるとしたら…。
うーん、見たくないな。

YouTubeでPIVOTというチャンネルを結構気に入ってみています。
ある時「【マウンティングを制する者が人生を制する】マインドフルネスより大事なマウントフルネス」という動画と出会いました。

マウントフルネス!?

視聴していると「マインドフルネス」をもじった「マウントフルネス」なんていう楽しげな造語も飛び出し、なんだか面白おかしい番組でした。
勢い余って本も買ったのですが、動画で結構満足してしまったようで読了はしていません。
ちょっとカタログ的な本です。

自分もマウンティングしてないか疑惑

マウンティングというのは意図せずついやってしまいそうなところが怖い。
というか、相手方・受け取り側の問題でもあるように思うので、見方・受け取り方によっては世の中の多くのことがマウンティング的に解釈できそうです。
行き過ぎると「◯◯ハラスメント」「◯◯ハラ」と同じ様に乱発されてしまいそうな。
何事もマウントだと言えば、言えそうなところが真の恐怖かもしれません。
例えばこのちっぽけな投稿だって味方によってはマウントだと言えないこともなさそうです。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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