「トランプ氏が命拾いしたのは神に愛されているからだ」みたいな発想、やめませんか。

長年クリスチャンですが、この手の発想には苦しめられてきました。

では、事件の会場で家族をかばって亡くなった男性は、神に愛されてないんですか?
アフガニスタンで殺害された中村哲さんは、神に愛されてないんですか?

そんなわけないだろ!


殺されるクリスチャンはおられます。

クリスチャンは全員神様に愛されてるって、聖書に書いてありますよね?

あるクリスチャンは殺されて、他のクリスチャンは殺されない。
あるクリスチャンは癌で亡くなって、別のクリスチャンは癌が奇跡的に癒される。

でも、どちらも神が愛する子なのです。

では、なぜそんな風に運命が分かれてしまうのか?

そんなことは私たちにはわかりません。
「神に愛されているからだ。」
「神に愛されていなかった。」
そんなことを軽々しく言うのは、冒涜的ですらあると思います。そんな簡単に神の心がわかるんですが。

「あの人は神に愛されている!」と言うとき、「あの人」みたいにラッキーじゃなかった人やその家族は傷つくんです。

兄弟姉妹をそんな風に傷つけていいんですか。
その発言は、「聞く人に恵みを与える」ことになるんですか。

むしろ、必要なときに、人の成長に役立つことばを語り、聞く人に恵みを与えなさい。

エペソ4:29

脊髄反射的にそんな風に思って言いたくなる気持ちもわかります。
だから、私も気をつけます。


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