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岩屋観音の来歴 5


岩屋山から
濡れ仏の背の側に下りる
ごつごつの岩山の裾に
大きな穴が開いている

太平洋戦争末期
見慣れていた聖観音立像が
連れ去られた岩屋山を
土地の宝物が失われたように
住民たちは眺めただろう
山域は怒(いかり)部隊が占領し
本土決戦のための陣地を構築していた

岩屋山では岩塊が削られ
坑道が掘られた
太平洋から上陸して北上する
米軍を迎え撃つには
格好の岩山だった
坑道内に収納された機関銃を
幾人かで支え
敵を狙い撃つ

人々を苦悩から救済する
観音信仰の霊場は
人を殺める
砦と化した

戦後5年経って
濡れ仏は再建された
頂きを仰ぎながら
岩屋観音の信者の方々や
土地の方々は
どんな思いを抱いたのだろう

            (つづく)




石仏の奥に壕があります。塞がれています。


中央下の壕が塞がれています。


壕への通路があります。塞がれています。




△▼ ▲▽ △▼ ▲▽ △▼ ▲▽


みなさん、お元気でしょうか。
朝夕涼しくなって、過ごしやすくなりました。
でも、この寒暖差が身にこたえています。
先週末に、人間ドックに出かけてきましたが、
どんな結果が出るか。


今週は、岩屋観音シリーズの5回目です。
太平洋戦争末期に怒(いかり)部隊が構築していた陣地は、
岩屋山だけでなく、その背後の広大な領域、
さらに東へと連なる山地に、県境を越えて
遺されています。
戦後80年を迎えようとしている今、
沖縄の南西諸島では、「反撃」のためのミサイル基地の
建設が進められています。
岩屋観音は、戦争のない世の中をどうつくっていくか、
について、考えるためのシンボルでもあります。


岩屋観音を含めて、
愛知県と静岡県の境にある、
西から東へと連なる丘陵(弓張山地または湖西連峰)
とその景観を
高架産業道路建設から守りたいと
地味に活動しています。
関心のある方は、
「浜松湖西豊橋道路を考える会」のホームページも覗いてください。


来週も水曜日か木曜日に更新する予定です。
また見に来てください。
私もみなさんのページを訪ねます。


◆◆◆  ◇◇◇  ◆◆◆  ◇◇◇

noteへの投稿から生まれたフォトポエム集です。

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