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1:フィクションノンフィクション 明日は今日を維持すれば上出来

慌ただしく化粧水を顔に叩き込む。子供が泣いているそばで、世の女性達がスキンケアにかまけてる時間はどれ程あるのだろうか。次は乳液を塗り伸ばす。乳液がボトルから垂れて思わず顔をしかめる。鏡の中の疲れ顔も無理矢理笑ってみせれば、シワもクマもくすみもそこまで気にならないと信じて、やや乱暴に顔中に塗りたくった。

子供が寝付いたその夜、きっと2、3時間もしたら子供は起きてしまうから、最も生産的な時間の使い方は寝ることと分かっているのに、ネットサーフィンを止められなかった。このダラダラとした時間がストレス発散になっていると自分に言い訳した。なんとなく、スキンケアの記事が目に止まった。母親になる前は、少しだけこだわりがあったからだ。もっとずっと丁寧に行っていて、儀式のような時間だった。今やもう使ってもいないが、高級感のある小さなガラス瓶に入った美容液。蓋を開けると瓶よりも高級感のある、いい香りがした。
ほんの数年前のことが懐かしく思えるのは、今の生活が一変したからなのだろう。子供は愛しく、育休中の今の生活に不満はない。ただこんな時間には、懐かしんでしまう。文字通りバリバリ仕事をして、自分のためだけの時間とお金が自由にあった頃。スキンケアは、そんな自分へのご褒美だった。
記事によると、どんな高級な化粧品でも、肌に悪い添加物が入っているという。特に添加物が多いものが、化粧水だという。なるほど、水分量が多いもの程、性質を安定させ保存させることが難しい。食品と同じか、水っぽいものは直ぐに傷んでしまう、と妙に納得した。記事は最後に、化粧水の添加物の危険性と、自作化粧水を勧めて終わった。そこでちょうど子供が泣き始め、ネットサーフィンは打ち止めとなった。

翌日でも、珍しく昨晩の記事が引っかかっていた。化粧水、添加物。自分の疲れ顔に影響しているのかもしれない。自作してみようか、と思った。

自作化粧水の中身はシンプルで、精製水とグリセリンで充分らしい。好みで精油や、日本酒を入れてもいいそうだ。近所のドラッグストアで、ベビーローションを買うついでに、探して見ると直ぐにグリセリンを見つけた。無骨な容器に入ったそれを手に取った。ささやかだが、久しぶりに新しいことを試してみる感覚は、無意識に頬を緩ませた。

意気込んで帰宅して、適当な容器がないことに気づく。自分の迂闊さにげんなりしたが、試したい気持ちの赴くままに家の中を探した。ガラス瓶に入ったプリンの容器、これでいいかもしれない。パッキンのついた上蓋もあるし、食べ物が入っていたことに目をつぶれば、丁度いいと思った。

瓶を綺麗に洗い、化粧水をつくる。5分もかからず、たっぷり200mlが出来上がった。ミネラルウォーターとグリセリンだけの化粧水が、元プリン容器に入っている。大容量で、安価で、添加物なし。今の自分が求めてるものなのだろう。まずは1ヶ月使用して、変化があればいいと思った。


自作化粧水を使っていつの間にか3ヶ月が過ぎていた。なまじ簡単に出来るので、すっかり定着していた。この間、子供は凄まじく成長した。笑った、声を出した、寝返りをした、離乳食が始まった、、一日一日が見所満載だ。
それに比べてこちらには、期待していたような変化は何もなかった。誰に評価して貰った訳でもない、主観ではあるが。ポジティブに捉えれば、水とグリセリンでも化粧水の効果は変わらないかも知れないと言える。それでも、鏡の中の疲れ顔は変わらない。結局自分の疲れ顔と化粧水添加物は何も関係がないのだろう。

緩やかで閉鎖的な生活は、もちろん今日も続いていく。ぐずる子供を抱き上げれば、その温かさと柔らかさにこの上ない幸せを感じる。こんなにも満たされているのに、時々どうしようもなく泣きたくなる。自分は何処かおかしいのかという思いを打ち消すように、子供を強く抱き締めた。

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