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湖とカカオと魚


山に来てから2日目。

作業が終わり、今日も例の小さなプランテーションに着くと、ドンファンが「カカオもあるんだよ」と教えてくれた。

汗だくで埃まみれに加え、蜂にやられた後だったが、それを聞いてテンションが上がった。


さっそく農園の人に観せてもらった。
割と広いスペースに、実をつけたカカオの木が4本あった。やはり今はシーズンでないので、小さな実とまだ蕾もけっこうある。

「これから増やしていくんだ」
そう言って、カカオの苗木も見せてくれた。
「おー、かわいい」
カカオニブがまだくっついている。新芽が出て間もないみたいだ。

そしてドンファンの友人が来て、カカオ豆の選別から始めるプロセスを丁寧に説明してくれた。
もちろん発酵プロセスの話も、ここぞとばかりに質問して教えて貰った。

そして彼らが使っていた豆は、なんと僕らと同じ場所の野生のカカオだった。
プランターに植える前の、水に浸かった状態の豆も見せてくれたが、やはりとても良い香りがした。

クソ、早くシーズンにならないか!早く発酵を試したい!
そう、心の奥から叫びが聞こえた。



そうしているうちに、今度は別のドンファンの友人が「バモス、バモス」と僕らを呼んだ。
何かと思ったら、「釣りをしよう」と言っている。

そういえば、昨日湖でシャワーしている時に、小さなボートがあるのを見たのを思い出した。
あれ使えるんだなと思いながら、ドンファンと湖の方へ向かった。


少し水が溜まった木製の小舟だ。かなり年季が入っていそうに見える。
中にはなぜか、農園のグレープフルーツと尻尾が切られた小さなワニがあった。
「おい、ワニいるのかよ」
昨日シャワーする前に教えて欲しかった。

すると1人がモーターにガソリンを入れボートに取り付けて、もう1人は乗り込んで釣り具の準備をしている。
いつまにやら、準備した釣り具を手にしたドンファンと一緒に乗り込んだ。メンバーは4人か。


ボートは夕暮れ時の湖を勢いよく走り出した。
夕陽や淡い空が水面に反射して、ウユニ塩湖のように鏡の状態。
周りには何もない。遠くに見える湖を取り囲む熱帯雨林だけだ。

「いや〜、最高」「こういうのが体験したかったんだよな〜」

思わず独り言が溢れた。
ボートは湖の中心付近から、岸に向かっている。

しばらくすると、ボートの中に溜まった水を掻き出すよう言われた。
足元には2Lペットボトルを半分にした容器が転がっている。なるほど、そのために使うのか。

船底から染み込んでくるのか、たしかにじわじわと浸水している。
絶景を眺めながら、ペットボトルの容器で水を掻き出していると、程なくして岸に近い場所でボートは止まった。
どうやらここで始めるらしい。


ドンファンに、ワニの肉が針先に付いた釣り糸を渡された。なるほど、餌用のワニだったのか。

釣りは二度ほど経験したことがあったが、竿を使わないやり方は、テレビで見たことはあったがやるのは初めてだ。

少し長めに持った釣り糸を、片手で振り回し勢いをつけてから、釣り針と共に水面に投げ込む方法なのだが、これがなかなか難しい。


そういえば子供の頃から、“投げる”センスがなかったことを思い出した。

しばらくすると釣り糸を投げることには慣れてきたが、まだ皆のようには魚がかからない。
上からポチャっと、落とすようにするんだっけな?昔だれかに教えて貰ったこつも完全に忘れている。


そのうち目の前の水面よりも、背後の夕陽やすぐ近くの熱帯雨林の方が気になってきた。
ドンファンの友人が、「カカオもたくさんあるよ」と言っていたから尚更だ。

森の方からは、変な鳴き声やガサガサと何かいるような物音が聞こえている。

舟の先頭にいるドンファンの友人は、既にかなりの量の魚を釣っていた。あれぐらいのペースで釣れたら楽しくなるだろうと思いながら、森を眺めていた。


徐々に辺りは暗くなり始めた。暗くなるにつれて虫が大量に出現している。
しばらくすると体の所々に痒みを感じ始めた。「そうか、湖だし蚊もいるよな」「こりゃ最悪だ」

一瞬のうちに陽が落ち、辺りは薄暗闇に包まれたが、まだドンファン達は「クソッ」「よっしゃ」などと声を上げながら釣り続けている。
むしろ暗くなり始めてからの方が魚がかかるようになっていた。

僕は昔からやたらと蚊に好かれるので、釣りどころではない状況だった。
正直今すぐに帰りたい、当初の感動はどこへやらだ。


後ろで舟を操っているドンファンの友人が、虫を激しく払っている姿を見てなのか、「これで最後にしよう」とドンファン達に声をかけてくれた。
それを聞いたふたりの背中は、まるで夕食どきにママに帰るよう促された子供のようだった。


地獄からの帰還。

岸に戻る途中でその彼は、今日も星見えるよというような合図をしてくれた。

しかしその日は、蚊にやられた体のあちこちの痒みを、我慢するので精一杯。
残念ながら夜空を楽しむ余裕はなかった。


「でもコイツらのおかげでカカオが受粉する」
蚊にやられるたびに、いつもそう頭の中で繰り返す。

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