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ろくなもんじゃない日常・捨てたもんじゃない人情 1

私(星野ひかり)は幼少期、ばあちゃんに育てられた。
ばあちゃんとじいちゃん、私の三人で暮らしていた。
ばあちゃんはすごく優しかった。じいちゃんは最悪だった。

海に面した河口近くの大きな橋のそばに、
同じ作りの平家が密接して長屋のようになっているところがある。
私たちはその端に住んでいた。
目の前には田んぼがあり、季節を感じさせてくれた。

私の中に残っている最初の記憶は、幼稚園の頃のもの。
その頃ばあちゃんは、家の横の通りを挟んだ、県道に面したところにある次男のおっちゃん夫婦が経営するラーメン屋で昼前ぐらいからスープの仕込みをし、火の番をしていた。

このおっちゃん夫婦はラーメン屋をやっているせいだと思うが、とっても声が大きくて、早口で、普通に喋っているのだろうけれど、怒られているような気がして、この頃の私には怖かった。

おっちゃんは少し離れたところに住んでいて、夕方ぐらいから店に出て、朝の5時ぐらいまで店を開けていた。
店の中には赤いカウンターと赤いテーブルがあり、ラーメンと餃子と、おでんをやっていた。
飲み物はビールとファンタオレンジとグレープ、コーラも置いていた。
お客さんの多くはタクシーの運転手で、結構繁盛していたのを覚えている。
(私はジュース飲み放題やった)

ばあちゃんは忙しいのが一旦引けた八時か九時ぐらいに来てくれて、お風呂に入れてくれる。
添い寝して寝かしつけてくれていたのだが、ばあちゃんが先に寝てしまうこともあった。
後から呼びに来て、起こされるのがかわいそうだったから、私は寝たふりをして、ばあちゃんに早く戻ってもらうようにしていた。

居間兼寝る部屋にテレビがあって、私は布団に入りながらテレビを見ていた。
隣には、ガラクタ置き場にしか見えないじいちゃんの部屋。他には一・五畳ぐらいの台所、狭くて深いお風呂、水洗じゃないトイレといった感じの小さな家だった。
隣の部屋とはつながっていて、じいちゃんはそこからテレビを見ていた。
私はじいちゃんの気配に緊張感を感じながらも、いつの間にか眠りに落ちた。

ばあちゃんが帰ってくるのは私が眠っている間、たぶん明け方ぐらいだったと思う。

朝、ひんやりした何かに顔をペタペタと触られた感触で目を覚ました。

「なに、なに?」

目を開けると、猫の「たま」が私のそばでちょこんとお座りして、前足を私の顔に伸ばしていた。

「ピャー」

「はいはい、トイレね」

隣に寝ているばあちゃんが起きたらかわいそうだから、そおっと起きて、

「んーまだ眠い」と思いながら、たまをトイレに連れて行く。

この子は本当は一人でできるのだが、朝だけは私が抱っこしてトイレに連れて行かないとしないのだった。たまはそうやって私を起こしてくれていたようだ。

それから制服に着替えて、パジャマをたたんで、牛乳とか粉ミルクを溶いたものとかを鍋で火にかけて温めて、パンを焼いて、一人で静かに食べていた。

ばあちゃんがやってくれるのを見ていると、眠そうで本当にかわいそうだったから、「自分でできるし」と思って自分でやるようになった。

時間になると家を出て、幼稚園に行く。
おっちゃんのラーメン屋の角を左に曲がるとちょうど家の裏側に出る。
少し進むとお店屋さんの前にベンチがあり、そこが幼稚園のバスが迎えに来る場所だった。
ここから乗るのは私だけだったので、一人でベンチに座ってバスを待った。

バスは私を乗せた後、他に数カ所を回って子どもを乗せ、橋の向こうの幼稚園に向かった。


歯形と火傷

幼稚園の頃、私の愛読書は古事記だった。そんな子は周りに誰もいなかった。

私は多分、すごく育てにくい子だったと思う。
思い返せばいわゆるアスペだったのだろう。
そのせいなのか、私は子どもの頃無駄に正義感が強かった。
そして曲げられなかった。

だから私は、弱いものいじめする男の子が大嫌いだった。
私はすごく小さいし、力では負けてしまうし、みんなともあまり話せないし。

そんな私の目の前で、男の子がまた女の子を泣かせている。
私はもう許せなくて、この男の子に後ろからそうっと近寄って、背中に思いっきり噛み付いた。


その日、その男の子のお母さんがその子を連れて家に乗り込んできた。
私が玄関を開けると、そのお母さんに思いっきりビンタされた。
頬に手形が付くくらい。
(バチコーン!って、もうびっくり)

その子の背中を見せて、「見てこれ!」って、
ばあちゃんに、ギャーって怒っていた。

歯形がついていた。

ばあちゃんは、それはそれは謝っていたが、私には何も言わなかった。


しかし、それを聞いたじいちゃんは、また私にやいとをすえた。
やいとをすえるとは、火傷をさせる折檻で、私を押さえ付けて火を付けたお線香を手や腕に押し付けて「ジッ」といわせる。

私が何かやらかしたり、気に食わないことがあると、すぐに。
言葉もなくいきなり腕を掴まれて、私が引っ込めようとしても、すごい力で抑えられて無理だった。

折れそうなくらい痛かった。

腕や手のあちこちに、点々と跡があった。
(けっこう年をとった今では跡はだいぶ消えたけど)

やいとをすえるやり方はお線香だけではなかった。

鬼の形相で私を掴み、すごい力で畳に叩きつけると、うつ伏せに押さえつけて馬乗りになり、服を捲り上げる。

私は、怖くて泣き叫びながら逃れようともがくのだが、もうどうすることもできなかった。

じいちゃんは、くわえていたタバコの火を私の背中に押しつける。
いわゆる「根性焼き」だ。

火が背中に触れた瞬間、私は「ギャーッ」と悲鳴を上げた。

その痛さはお線香の比ではなかった。

アル中でガリガリで骨と皮しかないようなじいちゃんだが、酔うとあり得ない力が出る。
(お酒の力は恐ろしい……)


じいちゃんとばあちゃん

じいちゃんは生涯で一度も仕事をしたことがない。

じいちゃんの生家は、敷地の周りの垣根の端が見えないほど土地が広く、かなりの良家だったようだ。

若い頃のじいちゃんの写真を見たことがあるが、若い頃の原辰徳のような男前で、
「すごいかっこいい」と思ったものだ。
お手伝いさんを六人ほど雇っていたそうだが、じいちゃんはその全てに手を出していたらしい。

何不自由なく生きてきたじいちゃんだが、その財産の全てを失うことになった。
騙されて借金の保証人になってしまったため、全て手放さざるを得ない状況になったのだった。

その後、長屋のようなこの借家を借りて住んだ。

酒に酔うと包丁を持って暴れることもよくあった。
周りからは、「酔うてないと仏さんみたいなんやけどなぁ」と言われていた。
(ほんまに仏さんになってくれへんやろか、なんて思ってた私)

ばあちゃんはそれでも、じいちゃんのことが好きだった。
この家に嫁ぐことになった経緯を聞いたことがあったが、「とにかく子どもをたくさん産む嫁を」と、じいちゃんが山を二つ超えて探しにきて見初められたのだそうだ。ばあちゃんはぽちゃっとして健康そうだったのだろう。子供は三男一女の四人を産み、一人で育て上げた。

ばあちゃんはよく働く人で、誰かに何かやってなんて頼まない。

「言うよりやった方が早い」

「腹が立ったら横にしたらええ」

なんでも自分で飲み込んで我慢する人。
そういう人だった。


生き物の不思議

夏になると、大きな橋の上になぜかヒトデがいっぱい上がってくる。
なんのために上がってくるのだろうといつも思っていた。
(で、干からびはんねん、みんな)

このあたりは河口が近いので海水が混じっていて、タコとか海の生き物がいた。
水はとても綺麗だった。

家から歩いてすぐだったので、一人で潮干狩りに行って貝を獲ったりした。
持って帰るとばあちゃんが味噌汁に入れてくれた。


秋、稲刈りが終わった後の田んぼは、私の良い遊び場になっていた。
モンシロチョウがひらひらと舞っていたので、捕まえようと思って追いかけていると、一匹が私の手に止まった。

私は嬉しくなって、逃げないようにそうっと観察していると、一匹、また一匹と寄ってきて私に止まり始めた。

手、腕、肩、おなか、見えなかったけど頭にもいた感覚がした。多分背中も。

全身にモンシロチョウが止まって、身動きが取れなくなり、しばらくじーっとしていた。

どのぐらいそのままいただろう。

家から出てきたばあちゃんが田んぼにいる私を見つけて、その姿を見て目を丸くしていた。

「見て、ちょうちょ、いっぱい」

「戻っておいで! 戻っておいで!」

歩き始めると、モンシロチョウは次第に離れていき、ばあちゃんのところに着く頃には、もういなくなっていた。

なんとも不思議な体験だった。

今でも鮮明に覚えている。


三姉妹

長屋のような同じ並びの反対側の端に、大工さんの娘の3姉妹がいて、その子たちがよく遊んでくれた。

上のお姉ちゃんはすごく優しくて、真ん中のお姉ちゃんはちょっと意地悪で、末っ子は末っ子らしくて。

この家族がとっても羨ましかった。
綺麗なお母さんと、優しそうな逞しいお父さんがいて。
いつも楽しそうで。
理想の家族だった。

末っ子ののぞみちゃんと私は同い年で、いつも二人でピンクレディーの真似をして遊んだ。

私がケイちゃんで彼女がミーちゃん。
UFOとか、渚のシンドバッドとかよく踊っていた。
(本当に踊れてたかは、わからんけど)

お姉ちゃんたちが新しい曲が出る度に私たちに教えてくれた。

二人で頑張って覚えて、玄関の前のコンクリートで一段高くなったところをステージにみたてて、二人並んで歌いながら踊っていた。
(楽しかったなあ、あの人ら居て)


運動会と祐ちゃん

幼稚園の父兄が参加する行事は嫌だった。
じいちゃんはもちろん来ないし、ばあちゃんもしんどくて。

他の子たちの家と自分の家を比べて寂しさを感じていた私は、

「なんで私だけ、ばあちゃん母ちゃんなん?」と言ってよくばあちゃんを困らせていた。
(もう悪い子だったねえ、かわいそう、ばあちゃん)

でも運動会だけは楽しかった。
祐ちゃんが来てくれたから。
この祐ちゃんは、ばあちゃんの次男でラーメン屋を経営しており、名前を祐二郎という。
パンチパーマが特徴のおっちゃん。

祐ちゃんと一緒に親子種目に出た。
おんぶ競走。

私は祐ちゃんの背中におぶさり、ワクワクしながら他の親子ペアとスタートラインに並ぶ。

スタートの合図とともに、一斉に走り出した。

「うわぁ! うわぁ! すごーい!」

今までに味わったことのない揺れとスピードに、私は声を上げて大喜び。

それはもうぶっちぎりに早かった。

普通ではないけれど、ばあちゃんと一緒にいたこの頃の私は幸せだった。


行く!

幼稚園の卒園が近づいたころ、

「綾子のとこ行く?」とばあちゃんに聞かれた。

わたしは、また春休みに遊びに行くのだと思い、

「行く!」と答えた。

その時のばあちゃんの寂しそうな顔と後ろ姿を今でも覚えている。
私のこの返事で、ばあちゃんの娘の綾子叔母さんの家に養子に行くことが決まったのだった。


つづく
(2回目からは、1話ずつ配信します。)

#創作大賞2024 #エッセイ部門


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