見出し画像

食生活を見直してみた 14

これを書いているのは夫の断食プログラムが終わって約2週間後、2人で断食説明会に参加してから約3週間後のことだ。

今回のことを、noteにまとめるつもりはなかった。だって断食をやったのは夫で、私ではないから。私も1日だけ断食したし、一部夫と同じものを食べたりして伴走はしたが、それだけだから。
しかしその割には感じたことが多く、記録しておきたい気持ちが収まらなかった。だからnoteを書くことにしたのだ。

ちなみにこの時点で、残念ながら、というべきだと思うが、私はほぼ元の食事に戻っている。
現代社会は、食欲を刺激して経済を回すことが、システムとして組み込まれているので、それに抗うのは結構難しいのだ。ある意味修行みたいなものだと思う。だから私は修行はせずに、そのシステムにあっさりと飲みこまれている。

食べることは楽しい。食べる楽しみを放棄するなんて悲しい。
でも食べることが楽しいならまだよい。食べることは、ストレスを解消する手段にもなっている。そうなってくると、食事をコントロールすることが難しくなってくる。体が教えてくれる、「正しい」食事をとり続けることがいかに難しいか、食事制限を終えてわずかしか経ていないのに、もう痛感している。それを感じているだけ、まだマシなのかもしれないが。
ストレスが強いと、如実に噛めなくなることがわかった。噛めなくなったら要注意だ。目の前のことに向き合えていない。

私は従前から、現代日本の食事というのは、昔の人から見ると、貴族や王族の食事みたいだな、と思ってきた。ありとあらゆるおいしいものが自然に手に入る。そしてそれが当たり前になっている。世界には食べられない人が多いのに、国内ではフードロスが大変なことになっている。そんなのは昔はあり得なかったことだ。そしてそれは、なにかが間違っているように思っていた。
今回食事を制限してみて、その思いを新たにした。現代日本人は食べすぎである。少なくとも私は、おそらく食べすぎであった。

私は太るということが、これまでの人生においてほとんどなかった。ところが実は、今年に入って少し体重が増えた。正月の不摂生から始まって、増えた体重が戻らなかったのだ。
今回食事を減らしてみてわかったのだが、年をとって、私は知らぬ間に、必要とするカロリーが減っていたようなのだ。それなのにそのことには目をつぶって、貴族生活を続けていた。

今回食事を少しだけ減らしてみて、いや、少ししか減らさなかったので、この量でも十分なのかも、と思った。
しかしいまや、すっかり食べる量が元に戻ってしまっている。もっとも、以前よりよく噛むようになったこと、そして食事に占める野菜の割合が若干増えたことは改善点ではあるが。
夫の断食が終わったとたん、私は1日も欠かさずカフェインを摂取しているし、お菓子も以前よりは気持ち減ったものの、ほぼ欠かさず食べてしまっている(というか、断食日の翌日に、まだ飲料のカフェインを抜いていたにもかかわらず、すでにチョコレートを解禁した)。お酒は強いほうではないが、私なりの普通の量を飲んでいる。

しかし節制中に思ったことは、食べ過ぎないと体への負担が小さく、体が軽いということだ。そしてそのことはとても快適だった。
そして節制中は、心も落ち着いていた。お肌もすべすべになったと思う。おまけに花粉症まで、その期間だけは確実によくなった。
マインドフルネスと言うけれど、夫の断食講座期間中だけは、食事がちゃんとマインドフルネスになっていたと思う。よく噛んで、味わって、食べることに集中する。食事で心も満たされる。そんな豊かな体験をした。
だから普段から腹八分目で、節制期間中のような食事を、続けたほうがいいに決まっているのだが、さまざまな事情でそうはなっていない。残念なことだ。
〈15に続く〉



この記事が参加している募集

QOLあげてみた

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?