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ウズベキスタン紀行♯3 サマルカンドからブハラへ
昼食後、王であり天文学者でもあったウルグベクが作った天文台跡へ行った。大きな六分儀の跡が残っていた。普段遺跡と言うと宮殿や寺院の跡などを想起しがちであるが、このような観測装置を実際目にすると改めてイスラムにおいて数学や物理学が盛んに研究されていたのだと実感できる。
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しかしこの後がいけなかった。ここまでタクシーで来た道を歩いて帰ってみようと試みてしまったのだ。たった2キロほどとたかを括っていたのだが、歩けども歩けどもさっぱり街が見えてこない。サマルカンドの青空から照りつける日差しが私にさらに追い討ちをかけてくる。たちまち疲労困憊し、近くの博物館に避難したが、見学どころではなくロビーでしばらく休憩していた。その後さらに延々歩きなんとか宿に着いたものの体調は回復せず、吐き気や寒気を催すに至って熱射病ではないかと結論に達した。既にチェックアウトしてしまっているのでサマルカンド最終日の午後はホステルの中庭でひらすら静養するこことなってしまった。
中庭のソファで休んでいるとアフガンのおじさんが話しかけてきた。仕方なく相手をしていると日本の話になり、彼が日本はアジアで1番の先進国で素晴らしいなどと言うので私が最近の日本は経済が低調でもうそれほど突出した存在じゃないというとひどく怪訝そうな顔をしていた。こちらではまだ日本ブランドは健在らしい。
夜ブハラ行きの列車に乗るためサマルカンド駅に来てもまだ悪寒を感じ冷や汗をかいていた。どうも平衡感覚がおかしくなっているようだった。
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列車に乗り込み車掌に自分の席まで案内され、ようやく座って一息つけると思ったのも束の間、指を指された先は3等列車の寝台の上段だった。しかも登るための梯子もなければ天井までひどく近い。やっとの思いでベッドにたどり着くが全く落ち着けず目を閉じてとにかく時間が経つのを待った。
ふとトイレに行きたくなり、ふらつきながらベッドをおりた。帰ってきたときにはもうすぐ着くということもありベッドに戻る気力もなくなっていたのでその場にボーっと立っていた。
すると隣りの下段の席の青年が立っているのが気の毒だと私に席を作ってくれた。
彼はウズベク人の弁護士で流暢な英語で故郷のカラカルパクスタン共和国に里帰りするところだと言った。聞いたことのない国だとおもったらウズベキスタンの中にある自治国のようなものらしい。それ以上は聞かなかったが何か複雑な事情がこの国にもあるのだろう。
しばらく雑談しているとブハラに到着するというアナウンスが流れた。私は彼に招いてくれた礼を言い、列車を降りた。
ブハラ駅に着いた頃にはすっかり夜も更けていた。
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