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グレート金山vs尾高栄一 1993年2月5日 「後楽園ホールのベランダより~追憶の90年代ボクシング Vol.7」

稀に見る逆転劇。山岡正規vsグレート金山

1992年6月7日。

日付まではっきりしているのは、それがグレート金山が日本バンタム級王座を山岡正規から奪取した翌日のことだったからだ。

当時の職場の上司が「昨日のボクシングの試合、見たかい?」と声をかけてきた。彼がボクシングの話題を持ち出すのは珍しかった。

見ていなかったので素直に「いや、見てないんですよ」と答えると、彼は「久々にテレビでボクシングを観たけれど、いい試合だったねえ。すごい逆転勝ちだったよ」と興奮気味に言った。

試合内容に感心したらしいが、彼はどちらのボクサーの名前もきちんと憶えていなかった。純粋に試合内容に感動したということだろうから、本当にいい試合だったのだろう。

ボクシング・マガジンの発売を待って、その試合内容を確認してみた。「残り39秒の逆転劇」という見出しとともに、はっきりと劣勢だった序盤、中盤を経て、最終回、挑戦者のグレート金山が、左ボディで王者の山岡正規をマットに沈める様子がドラマティックに活写されていた。

何をしに海を渡ってやってきた!牛丼喰えば泪滲みき

それからしばらくした頃に(詳しい号数は記憶の彼方、というか、記憶がごっちゃになっている。もしかしたら翌93年のことだった可能性もあり)、専門誌『ワールド・ボクシング』にグレート金山の記事が出た。歌人の福島泰樹さんによる連載コーナーに採り上げられたのだ。

韓国に生まれ、敗れたものの二度も世界戦を戦ったグレート金山こと李東春が,、日本のジムに移籍し、日本タイトルを奪取するまでの苦闘の日々をドラマチックに描写して、とても印象深い記事になっていた。

韓国の所属ジムの会長がずさんな契約をしていたせいで、日本での生活環境は劣悪だったらしい。物置部屋のようなトイレもない住居、ファイトマネーは安く、かといってビザの関係で働くことができない。さらに韓国に一時帰国した際、交通事故に会い、それ以来ひどい腰痛に悩まされロードワークもままならならなくなった。500円玉を握りしめて吉野家の牛丼を食べるのが唯一の楽しみという日々。

「何をしに海を渡ってやってきた!牛丼喰えば泪滲みき」

記事と共に掲載されていた福島泰樹の歌がまた泣かせた。

そんな日々のなか、ひとりの女性と出会い運命が好転しはじめる。彼女を自転車の後ろに乗せてのロードワーク。一戦また一戦と勝ち進むことでランキングも上がっていく。そして、ついに1位にまでのぼりつめると、指名挑戦者としてようやく日本タイトルマッチにこぎつけた。

東春はいつのまにか29歳になっていた。当時ではかなりのベテランの部類だ。これを逃せばもう次のチャンスはないかもしれない。そんな崖っぷちの状態で迎えた試合も終盤まで劣勢だった。しかし、最終回、ボクシングの神様からご褒美を与えられたかのような、劇的な逆転KO勝でついに日本王座に到達する。

これを読んでしまったら、もう絶対に彼のファンにならざるをえないという、今風に言うなら超絶エモい記事だった。

当然、僕もコロリとにわかグレート金山ファンになってしまった。

不敗のホープ、尾高栄一と激突!

その彼の試合をようやく生観戦できる日がやってきた。

時は1993年2月8日。チャンピオン・カーニバルの一戦としてセットされた。カーニバルでは基本ランキング1位の選手と対戦する。相手は、尾高栄一(ヤマグチ土浦)。戦績は11勝無敗。11の勝ち星のうち8つがKOという強打者だ。

若き(たしかこの頃まだ21歳くらいだったはず)無敗のホープは当然、地元茨城ではヒーロー的存在らしく大応援団が青コーナーに陣取っていた。

対するは、翌月に30歳になろうとする韓国からきた出稼ぎボクサー(という言葉が当時普通に使われていた。さすがに最近ではこんな侮蔑的な表現がされることは少ない)となれば、場内の声援は圧倒的に尾高に傾くのも仕方がない。

…などと思っていたが、僕と同じように『ワールドボクシング』の記事その他で、彼のこれまでの苦闘を知る人が多いからか、もしくは王座獲得後すでに2度の防衛を果たしボクシングファンにすっかり認知されていたためか、それともその両方か、グレート金山に送られる声援は予想よりずっと多かった。

かくいう僕にしても、すっかりグレート金山に感情移入をしてしまっている。

さて、これまでなら、ここからはユーチューブにあがっている動画を確認しながら、当時の記憶と合わせて試合を再構成するところなのだが、この試合については動画がまったく見つからない。なので、30年前(!)の記憶と、ボクシングマガジンの記事をもとに、書いていきたい。

初回。尾高の試合を観るのも初めてだったので、11勝8KOの強打はどんなものかと思い、息をつめるように観ていたのだが、振るうパンチにはそれほどの力感を感じない。スピードも、拍子抜けするくらいスローに感じられた。尾高の以前の試合を観ていないので比べようがないのだけど、どうやら初のタイトルマッチにかなり堅くなっているようだった。

対するグレート金山はこの試合がちょうど50戦目。二度の世界戦に加え、韓国、日本の国内タイトル戦にもそれぞれ何度も出場している。堅さのようなものは微塵も感じさせず、そればかりか、最初から挑戦者を飲んでかかっているような雰囲気さえある。

かたいブロックと柔らかな上体の動きを駆使し、クリーンヒットを許さない。序盤は、尾高が打ち込んでいく場面も多かったが、余裕をもって受け止めている印象だった。

そして、ラウンドが進むとともに、グレート金山のパンチがどんどん当たりはじめる。尾高の方も、かたさは徐々になくなっていったものの、さりとてペースを変えるに足る策も見いだせないようで、中盤に入る頃にはかなり一方的な展開となっていた。

こうなると、興味は金山がいつ、どんな風に相手を仕留めるかに移っていくのだが、ベテランらしく勝負を急ぐ風はない。スキを見極めて狙い撃つような強打が、単打ながら次々に決まる。そのうちあまりに一方的な展開に、「レフリー、もう止めろ」というヤジも飛び交いだした。

ついにストップがかかったのは7回。右ストレートにくわえて、角度を変えた右アッパーも連続してクリーンヒットされ、ダウンこそ拒否しているものの、ロープに詰まったまま体がくの字に丸まった尾高をみて、ようやくレフリーが彼を救い出した。

戦うチャンピオン、グレート金山。

圧勝だった。無敗のホープ相手に力と技術、両方で圧倒的な違いを見せつけ、ランク1位の選手ではあるが「ミスマッチ」と言いたくなるほどの一戦だった。これほどの差を見せられては、尾高の応援団も納得するしかないだろう。勝ち名乗りを受けるグレート金山の姿には、王者の威厳と自信のようなものが満ち溢れていた

93年、94年の日本バンタム級は、完全にグレート金山の独壇場だった。この2年間の戦績は、5勝3KO無敗。後楽園ホールで上位ランカーと対戦しまったく寄せ付けず、かと思えばホープの地元に乗り込んで一蹴するなど、手がつけられない強さを見せていた。彼が日本人ボクサーなら、当然どこかの時点で世界戦がセットされていたことだろう。

本人も、いま一度の世界戦を実現することが目標と公言していた。そのためにはなんとしても負けられない。正直、傍目にも彼の願いがかなう可能性はかなり薄いと思うよりなかった。それでも、勝ち続けてさえいれば、たとえどんなに薄かろうとも可能性は残される。日本タイトルマッチが実現したように。

僕も、いつか彼の夢が現実となることを信じて、心から応援していた一人だった。

それが、あんな形で終わりをむかえることになろうとは、、、。

それでも、一縷の望みをかけて相手を選ばず戦い続けたあの頃のグレート金山の姿を、僕はけして忘れることはないだろう。

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