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葛西裕一vs阿部真一 1992年12月5日 「後楽園ホールのベランダより~追憶の90年代ボクシング Vol.6」

名門、帝拳ジムの90年代を代表するホープと言えば?

90年代のボクシングについて語る本シリーズ。この時代に多くの国内、世界チャンプを輩出した名門ジムといえば、関東では、帝拳ジム、協栄ジム、ヨネクラジム。関西なら、大阪帝拳ジム、グリーンツダジムなどが代表的な所だろう。

しかし、上にあげた5つのジムの中で唯一、90年代に世界王者を生むことができなかったジムがある。当時を知るボクシングファンならすぐに分かることと思う。帝拳ジムである。

90年代を通じて、多くの日本王者を生んだものの、ついに世界に届いた選手はいなかった。今回の主人公である葛西裕一も、三度世界に挑んだもののついに宿願は果たせなかった。

僕は彼の三度の世界戦のうち、最初と最後の二つを会場で観戦している。とても思い入れのあるボクサーだ。今回はそんな彼の試合を初めて観た時のことを中心に書いてみたい。時は、1992年(平成5年)12月にさかのぼる。

俊英・葛西裕一との出会い

92年12月5日、葛西裕一は日本J・フェザー級王者として初防衛戦を迎える。相手は同級1位、ハッピージム阿部真一

この一戦に至るまでの葛西の戦歴を振り返ろう。

葛西裕一は、1969年11月生まれ。名門、横浜高校ボクシング部を経て、専修大学に入学するが一年で退学。89年8月、帝拳ジムからプロデビューを果たす。順調に白星を積み重ねて、91年にはA級トーナメントを制覇。翌92年にはアメリカ修行も経験、現地で試合もしている(3勝2KO)。帰国後、92年9月、空位の日本ジュニア・フェザー級王座を小泉秀司(角海老宝石)と争い、2回KO勝ち。王座を獲得する。そこまでの戦績は15戦全勝(11KO)。

僕が葛西を知ったのは、テレビで観た小泉戦。強烈な右ストレートをカウンターで叩き込み、その一発でマットに送り込んだシーンに衝撃を受けた。専門誌等を読むまでもなく、世界を狙える逸材であることは一目瞭然だった。
次の試合は必ずホールで観ようと、僕はテレビの前で決意した。

そして当日。余談だが、僕はこの試合を当時つきあっていた彼女と観戦している。彼女はボクシングの生観戦はその時が初めて。正直、興味もほとんどというか、まったくなかったのだと思う。

しかし、当時ボクシングにハマったばかりで「後楽園ホールこそが世界で一番面白い場所」と信じて疑っていなかった僕は、当時の彼女や気になっていた女の子をよくホールへと引っ張っていった。結果は、、、。まあ言わずともわかるだろう。

何事も自分本位の考えではうまくいかないという当たり前のことを学びました…。

前座の注目カード

余談はさておき、当日のメイン以下のカードである。ボクシングマガジンで確認すると、なんとこの日は4回戦10試合(!)、6回戦1試合、計11試合が前座として組まれていた。大ボリュームである。

そのなかに気になる選手が出場していた。ワタナベジム那川盛雄。その後、日本ランカーとなり、結局、無敗のまま引退した選手だ。

那川選手とは練習時間が近く、ジムでよく練習風景をみかけていた。
ある日、ジムに出稽古に来ていたある選手のトレーナーが、「あの選手は誰?」とジムのトレーナーに声をかけるやいなや、「いやあ、いいなあ」と言いながら、リング内でシャドーをしている那川さんに近づき、身振り手振りでいきなり指導を始めた。

その後、リングから出ると「いや、ごめんごめん。普段はこんなことしないんだけど、あんまりいいからさ」と、ジムのトレーナーに笑いながら謝った。

そのトレーナー(佐々さんだったかな?)は、「彼はもう29歳で(当時、プロテストを受けられるのは29歳までだった)、スパーリングもやったことがなかったんですけど、記念で受けたプロテストですごくいいスパーをしたんですよ。それで本人もその気になって。今度デビューする予定です」と言った。

僕には正直、彼が外部のトレーナーが一目見て驚くほどの力量の持主であるとは思えなかった。バランスのいいシャドーはするけれど、スピード、パンチ力ともに、ごく普通レベルに思えていたからだ。

しかし、試合は那川選手のあぶなげない判定勝ち(だった記憶がある、さすがに細部はもう覚えていない)。シャドーそのままのバランスのよいフォーム、柔らかくリズミカルに動く上体、目の良さを感じさせるディフェンスに舌を巻くとともに、プロのトレーナーの眼力の確かさにも驚く思いだった。
当時の僕には理解できなかったが、見る人が見ればわかる「玄人好みのテクニシャン」だったのだろう。

セミに出場した、岩本悟も印象が残った。こちらはスピード豊かなワンツーを武器にきびきびとした動きが小気味よい、僕のような素人にも一見してわかりやすい強さを持った選手だった。おまけにマスクもよい。「この選手は今後、要注目」と僕は脳内にメモをとった。

葛西裕一vs阿部真一

さて、メインである。ここからは当時の記憶と、動画を再確認した印象で構成する。

初回。お互いにジャブを突きあい、葛西は右ストレート、サウスポーの阿部は左ストレートを狙い合う展開。阿部のジャブのハンドスピードもなかなかで、葛西と比べてもそう見劣りはしない。中盤、葛西はコンビネーションをまとめ、いくつかが軽くヒット。阿部も負けじと右フックを軽くひっかけるようにヒットさせる。葛西は跳ねるようなフットワークを使わず、どっしりと構えていて、余裕を感じさせる。ほぼ互角ながら、どちらかにつけるなら葛西のラウンドだろう。当時の阿部の戦績は13勝(7KO)7敗。7つの黒星のひとつは、前年のA級トーナメントで葛西に喫したもの。その時は、2Rで倒されている。その時の経験からか、若干慎重な立ち上がりにみえる。

2ラウンド。葛西は初回に比べて足を使い始める。また、右ボディーストレートから、顔面への左フックというパターンをよく使っている。前手の突きあいでも、少しづつ上回り始めているようだ。阿部は細かいステップを踏みながら、的を絞らせないように小刻みに体を揺らす。葛西にスピード負けしないように、早いテンポ感でのボクシングを心掛けているようで、ここまではそれが機能しているようにみえる。しかし、2分すぎあたりで、阿部が少し打ち気にはやって距離をつめてきた瞬間、葛西がコンビネーションを連続でまとめると、そのいくつがヒット。チャンスとみた葛西が前進して、力強い左右のフック、ストレートをふるう。阿部はダメージからか、顔面にかなりの数のパンチをまともに被弾する。そして、右ストレートがほぼ無防備な阿部の顔面をまともに貫き、阿部は背中からマットに倒れ、ダウン。阿部はなんとか立ち上がり、試合は再開されるが、その足はガクガクと震え、誰が見てもダメージは明らか。今なら止められるところだろうが、意地でパンチを返し続けて踏ん張り、なんとかゴングに逃げ込んだ。

3ラウンド。ほぼ勝負の行方は見えている。しかし、阿部はダメージで足を引きづりながら、果敢に打って出る。気持ちのこもったラッシュで、パンチ自体もまだ生きている。しかし、30秒すぎ、そのコンビネーションの隙間に差し込むような葛西のコンパクトな右ストレートがヒット。再び、阿部は背中からダウン。阿部はなんとか立ち上がり、試合は再開。強引に攻め込めば決められそうだが、葛西はあくまで流れの中で倒そうというのか、阿部の打ち終わりに合わせる感じで、強引には行かない。阿部のガードは若干ルーズさがあるので、葛西もあわててはいない。実際、この後も葛西のパンチがいくつも阿部の顔面をとらえる。それでも阿部の粘りも相当なもので、このラウンドも、最後は阿部のワンツーの連打で終わっている。

4ラウンド。開始と同時に、あれだけのダメージがありながら、どこにこんな力が残っているのか?と思わず驚くほどのラッシュを阿部がかけていく。クリーンヒットは少ないものの、それでも危険なタイミングで左ストレートを差し込んでもいる。陣営はたぶんこれに賭けているのだろう。葛西の足も止まりがちで、阿部はリズムよくパンチを打ち込んでいく。この辺り、葛西の余裕なのか、それとも勢いに押されてリズムを失っているのかよくわからない。それでもボディから上へつなぐコンビネーションを見せて、阿部の勢いを止めて見せる。しかし、この試合初めて阿部が明確にラウンドをとったと思われる(実際のスコアカードでは、ジャッジ一人のみが阿部を支持)。

5ラウンド。この回も葛西の手数が少ない。テレビ中継では、取材アナが「どうやら右の拳を痛めているらしい」との情報が届けられる。序盤あれほど有効だった顔面への右ストレートが極端に少ないのはそのためらしい(ボクシングマガジンでは、3回に拳を痛めたとある)。拳をかばうためか、葛西は右をボディに伸ばしてから、左フックを顔面に返すパターンを多用しているが、それに合わせて阿部も左ストレートを狙っていて、葛西にとっては危なっかしい場面も散見。このラウンドも阿部がやや優勢かと思われたが、終盤、葛西はボディに連打をつなげて、阿部をたじろがせて攻勢を印象づけている。

6ラウンド。葛西の手数は相変わらず少なく、カウンター狙いのよう。阿部も疲れがあるのか、以前のような連打が出ない。小康状態が続くが、攻勢に出ない葛西を見てか、阿部がまた連打をまとめる。左ストレートは相変わらずいくつか葛西にクリーンヒットし、そのたびに葛西の応援団からは悲鳴があがる。右手を痛めている葛西は、状況を打開すべくラウンド後半、今まで見せていなかった左アッパーを使い始める。これがはまり、阿部の顎を何度か跳ね上げた。チャンスと見た葛西は、意を決したように、力を込めた左右のコンビネーションをまとめる。久々の猛攻だ。顔面のガードに緩さがある阿部は、いくつも被弾し棒立ちになる場面も。しかし、ここでも驚異的なタフネスを発揮して、ふらふらになりながらも決定的な一発を許さず、またもやゴングまで逃げ込んだ。

7ラウンド。ダメージは甚大のはずだが、阿部はなおも手数を出して前進する。しかし、パンチに対する反応は明らかに鈍っていて、まともに被弾している。1分半くらいに、葛西の狙いすましたような左アッパーが強烈にヒット。そこから右アッパー、左フック、右ストレートのコンビネーションをまとめられ、ついに阿部が三度目のダウン。それでも阿部は立ち上がってみせたが、レフリーは当然これをストップ。葛西が初防衛戦をTKOで飾った。

阿部の頑張りと葛西のポテンシャルの高さが印象に残る一戦

久しぶりに観返してみて、俊英、葛西の高いポテンシャルとともに、阿部の尋常でない頑張りが印象に残った一戦でもあった。葛西の左フックに合わせるようなタイミングで放つ左ストレートのタイミングと威力は、番狂わせを予感させるものがあった。そして、何より葛西の強打を恐れず、終始、前に出続ける姿勢には、雪辱を期しこの試合に賭けた、並々ならぬ決意のようなものを感じさせた(それだけに、打ち終わりのブロックのルーズさをもう少しどうにかできていたら、とも思ってしまう)。

阿部はこの後、2度リングに上がるも、94年1月に琉球・カタルーニャに判定負けを喫した試合を最後に、現役を退いている。

そして、拳のケガでもたつく場面があったとはいえ、序盤の攻撃の鋭さ、いったん詰めに入った時の迫力など、この試合で葛西のボクシングに魅せられた僕は、この後ずっと彼を追いかけることになる。初めて生観戦した世界戦は、葛西の世界初挑戦試合だったし、そこに至る3戦(対アブラハム・トーレス、対山岡正規、対ジェローム・コフィ―)もホールで観戦した。

それらの試合もまたあらためて振り返ってみたい。


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