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江口九州男vs江口勝昭 1993年6月5日 「後楽園ホールのベランダより~追憶の90年代ボクシング Vol.12」

実の兄弟が日本タイトルを争う?

90年代を通じて、いや平成30年間の日本ボクシングの歴史のなかでも、最も不思議な試合と言ってもいいのではなかろうか。

実の兄弟同士で日本タイトルをかけて争った史上初の一戦。江口九州男vs江口勝昭。しかも、二人は同門、角海老宝石ジム所属である。

いまでいうなら、井上尚弥井上拓真が、もしくは少し前なら亀田3兄弟同士でタイトルをめぐって試合をするようなものだ。 

どう考えてもありえない。本人たちはもちろん、それを「見たい」という人もほぼいないだろう。兄弟で誰が強いのか?という議論は全然ありだと思うが。

その感覚は30年前の平成5年でも同じだったと思う。兄弟同士が本気で殴り合うのをみたいという人がいるだろうか?そもそも果たしてまともな試合になるだろうか?

そんな誰もが疑問に思う試合が、一体どんな経緯で、誰の発案で実現にいたったのか。よくはわからないが、たぶん二人が所属するジム側、角海老宝石ジムの発案なのだろう。

この試合は、前ストロー級王者である細野雄一がタイトルを返上したため、決定戦として行われたものだ。そして、セットされたのが、当時1位の江口九州男と3位の江口勝昭による王座決定戦だった。ちなみに2位は玉城信一(帝拳)。なぜ素直に1位と2位による決定戦にならなかったのだろうか。

ふたりで試合をすれば、日本タイトルがジムから流出するのは避けられる。史上初の兄弟対決で話題性も十分、、、という算段だったのか。個人的にはまったく理解できない話だけれど。

僕がこの試合の開催を知ったのは、たぶん、ボクシングマガジンの記事によってだと思う。ボクシングマガジン93年6月号を開くと、「情報ボックス」のコーナーに「江口兄弟で王座決定戦」という短い記事が出ている。

「兄弟でタイトルを争うのは初めての珍事」というのは、記事中の一文だ。たしかに、珍事としか言いようがないが、それについての編集部の感想は書かれていない。

江口兄弟の試合への意気込みも、短く書かれている。

「とにかくフェアでいい試合をする。見に来てほしいけれど、でも応援はしてほしくない」というのが兄・江口九州男の弁。複雑な心情を隠そうともしていない。

対して弟・勝昭は「勝ち負けよりもいい試合がしたい。6月5日は一度しかないチャンス。これまでのボクサー生活のすべてを出す」と、こちらはストレートに闘志を燃やしているかのようなコメントだ。

このあたり、編集部がバランスを取ったものか、それとも兄弟の素直な思いなのか、僕には判断しようがない。半々かな、という気もする。

豪華だった前座カード。

そして迎えた当日。行くかどうか直前まで迷ったが、当時の僕はボクシング観戦が楽しくて仕方のない時期、それに「こんな試合はたぶんもう二度とないかも」という思いの方が勝り、後楽園ホールへと向かった。

それにこの日は、前座カードもなかなかに豪華だったのだ。セミファイナルは、帝拳のホープ、高橋孝治池田タカオ(金子)によるフェザー級ランカー対決。そして、セミセミには当時絶賛売り出し中の超ホープ、坂本博之が韓国人を迎え撃つ一戦がセットされていた。

坂本は期待に応えるように、韓国人、申斗日を豪快に初回で沈めてみせた。右ストレートで相手のマウスピースを派手に弾き飛ばすなど、短い試合時間ではあったが、その豪打を存分に披露して会場を沸かせた。

セミの高橋対池田も初回であっという間に決着がついてしまった。勝ったのは、8月に日本タイトルマッチが内定していたという名門ジムのホープ、高橋ではなく、凡庸な中堅ランカーとみられていた池田の方だった。

池田の強さというより、高橋の意外なほどの打たれ弱さが目立った試合で、一度効かされたあとに、高橋は立ち直りがまったくきかず、ずるずると3度のダウンを奪われ、あっさりと試合を決められてしまった。

場内困惑?兄弟対決の行方は。

そんな前座カードの後で始まった、史上初の兄弟対決。動画と当時の記憶とで、試合を再構成してみたい。

まずは、入場シーン。青コーナーから江口勝昭が『兄弟船』にのって登場してくる。ことさらに兄弟対決を煽る演出だ。たぶん本人が鳥羽一郎を選ぶとは思えない。と思っていたら、やはり後援会長の発案らしい(実況アナがそう説明している)。

対する赤コーナー、江口九州男は『兄弟仁義』で入場。90年代でも十分にアナクロな雰囲気が場内に漂っている。この演出を喜んだ人はどのくらいいるのだろう。少なくとも客席にいた僕は十分居心地が悪かった。なんというか、周りの思惑ばかりが先行して、肝心の本人たちの気持ちが置き去りにされているような気がしてならなかったのだ。

リング中央で向かい合った時も、二人は視線を合わせようとしない。動画では、下を向いた九州男の表情にははっきりと困惑の色が浮かんでいるのがわかる。少なくとも闘志を漲らせた表情からはほど遠い。

初回。最初に積極的に仕掛けたのは勝昭。九州男はしかし、それを余裕をもって受け止めると、逆に力強い連打を返していく。この間一分ほどの攻防だが、パンチ力、スピードともに、一枚も二枚も九州男の方が上に感じられる。開始2分くらいで、九州男の狙いすました左ボディがヒット。勝昭は苦悶の表情を浮かべながらダウン。ニュートラル・コーナーの九州男はしかし、ロープに手をかけコーナーポストにむかい、うなだれるような恰好で、勝昭に視線をむけることができないのか、所在なさげに立っている。

この時点で、客席の僕も「この試合はやるべきではなかった」と、遅ればせながらはっきりと気づいた。ダウンを奪って、こんなにも辛そうにしているボクサーは見たことがない。やはりやってはいけない試合だったのだ。

しかし、勝昭は立ち上がり、試合再開。九州男は決着をつけるべく、ボディーを集中して攻める。勝昭も踏ん張り、反撃。いくつかがヒットすると、九州男が後退する場面も。ラウンド全体でみれば、やはり九州男が圧倒している。

2回。初回の九州男の困惑した姿を見てしまっては、通常の試合に対する興味、つまりは試合の展開や、どちらが勝者になるかなどは、ほとんど失われてしまった。観戦に訪れたこと自体、後悔していたかもしれない。

しかし、そんな一観客の思いとは関係なく、試合は進んでいく。

早い決着を望んでいる九州男は積極的にこの回も攻めて出る。狙いは初回にダウンを奪ったボディ。しかし、下に意識がいっているところに、勝昭の左フックが顔面にヒット。今度は九州男がダウンを喫する。カウントを数えている間、勝昭もやはりニュートラル・コーナーに顔を向け、九州男の方を見ない。

しかし、ふたりとも顔面に打ち込みにくいのか、力の入ったパンチはほぼボディに集中している印象だ。この辺りで、大半の観客が「この試合はまともなものにはならない」と気づいているようで、客席は興奮ではなく戸惑いの方に支配されている。

それでも勝昭は終了間際に、やはり顔面へのフックで九州男をよろめかせる。表情、態度で露骨にやりにくさを表している九州男より、勝昭には勝利への欲求のようなものが感じられる気がする。

それでもボクサーとしての地力は九州男の方が、一枚も二枚も上。3ラウンドの1分あたりでは、九州男が連打をまとめて、勝昭は棒立ちになる。顔面へパンチをふるう時の九州男の表情は、なかば泣き顔にもみえる。しかし、レフリーは試合を止めない。

中継では、同じく兄弟がボクサーだった解説のファイティング原田氏、浜田剛史氏が兄弟対決について問われ、異口同音に「スパーリングは真剣にできるし、むしろ他の人よりも激しいくらいになる。それは本人のためにもなるから。しかし、試合は考えられなかった」と語っている。

そういえば、井上兄弟も「喧嘩みたいになるから」という理由で、ある時期からスパーリングを行っていないと聞く。兄弟同士の対抗心からだろうか、周囲が心配するほど激しいスパーリングを展開していたらしい。江口兄弟も同様だったらしい。しかし、それだから試合ができるかと言えば、当然ながらそうではない。…ということは、周囲も当然理解していたはずなのに、なぜこの試合が実現してしまったのだろう。いまさらながらに不思議に思う。

3ラウンドは、途中からお互い頭をつけ合う距離で、単発ながら力のこもったパンチを振るい合った。特に、九州男のそれは「頼むからもう倒れろよ」と言っているようにも見える。

続く4ラウンドは、足を使いアウトボクシングをする九州男に対し、勝昭が積極的に手数を増やし追いかける展開。しかし、意を決したように、九州男は一転して足を止めて、猛烈な連打をしかける。巧みな上下の打ち分けに、勝昭はついていけず、棒立ちに。しかし、ここでもレフリーは止めない。勝昭も倒れることをしない。九州男はストップを呼び込むべく、大振りのアッパーを振るうも、これはミス。終了ゴングとともに天を仰ぐ勝昭。かなり効いている。あらためて動画を観返すと、「このラウンドで止めてあげればよかったのに」と思ってしまう。

細かい連打で迫る勝昭を、九州男がフットワークでいなしながら要所で連打を返す、これまでとは若干静かな展開に終始した5ラウンドを経て、迎えた6ラウンド。ふたたび九州男が力のこもったパンチを久々にふるい、攻勢を強める。森田健レフリーが、勝昭の表情をのぞきこむ。今度こそ終わりかと思われたが、ここでも勝昭が敗北を拒否するように盛り返す。

あらためて動画を観返すと、少なくとも弟、勝昭の方は本気で兄にぶつかっていったのだと思う。そうでなければ、序盤で試合は終わっていただろう。何度か決めにきた兄のラッシュを効かされながらも必死に凌ぎ、その都度反撃に転じる姿には「簡単には終わらせない」という意地のようなものを感じた。

そこには、ともすれば見世物的にも観られかねないこの一戦を、なんとか試合として成立させたいという思いと、愚直なまでの兄への対抗心とがないまぜになっているようにも感じる。

しかし、2分あたりで、九州男がいささか漫画チックにみえるほどの派手な左アッパーを放つと、これが勝昭の顔面を直撃。たまらずに勝昭は仰向けにダウン。九州男はニュートラル・コーナーでしゃがみこんでカウントを聞く。勝昭はカウント7で立ち上がりファイティング・ポーズをとるが、森田レフリーはここで試合をストップ。

日本ボクシング史上初の、そして唯一の兄弟による日本タイトルマッチは、兄、九州男の勝利で幕を閉じた。

続行を許されず、天を仰ぐ勝昭。勝者の九州男はしかし、ニュートラル・コーナーにしゃがみこんだまま、声を上げて泣いている。森田レフリーに引き上げられるようにして手を掲げられるが、その表情はとても勝者のものとは思えない。

くり返しになるが、やはりやるべきではない試合だったのだ。

あれから30年。幾多の兄弟ボクサーが現れたが、その後、公式戦での兄弟対決はない。コミッションが、この試合後に兄弟による試合を禁止したからだ。その意味では、この試合を行った意義があるとすれば、その後の兄弟対決を阻止する役割を果たしたこと、とも言えるだろう。

それは、この試合を観てもらえば、誰でもが分かることだと思う。

やるべきではない試合だった。。。


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