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吉野弘幸vs佐藤仁徳 1992年4月7日 「後楽園ホールのベランダより~追憶の90年代ボクシング Vol.4」

1992年のワタナベジム

92年に入り、ワタナベジムに入会し半年が過ぎた。体重を減らすことが当初の目的だったが、平均して週に4,5回通い続けるうちにぐんぐんと落ちて、この頃には10キロほど痩せることができていた。

とはいえ、特別なことは何もしていない。プロ志望生でもなかった僕は、スパーリングどころか、ミット打ちさえ一度もやってもらったことがなかった。トレーナー陣は試合を控えたプロ選手やプロ志望生の練習をみるだけで手一杯なのは、みていてよくわかったので、それについての不満はなかった。ロープ、シャドー、バッグ打ち、簡単な筋トレ、時間がある時はロードワークをはさむ。時間にして1時間半ほど。これだけを判で押したように続けた。

当時のワタナベジムは五反田駅前の雑居ビルの中にあり、とにかく狭かった。埋め込み式のリングがスペースの7割くらいを占め、そのまわりにサンドバッグが3,4本、着替え兼シャドーをする場所、シャワー、それですべてだった。

僕が練習していた夜6、7時台には、その狭い場所に、プロ、練習生が文字通りあふれかえる。サンドバッグも一人で使うことはほぼなく、前後2人で打つことが常だった。ちんたら長時間打って居座ることはできない。毎回4ラウンドのみと決めて、一発一発を全力で打ち込んだ。ラウンド終了30秒前になるとブザーが毎回鳴る。そこからはさらにペースを上げてラッシュをする。4ラウンドが終わる頃には汗ぐっしょりになった。僕の体から消えた10㎏の脂肪は、ほとんどこのバッグ打ちによってもたらされたと思う。

ほとんど誰ともしゃべらず、トレーナー陣からも相手にされない。それでも僕はジムにいる時間が好きだった。ほっておかれるのが心地よかった。

そして何より、ボクサーたちの練習を眺めるのが楽しかった。

吉野に続き、看板選手平野公夫も敗戦。

91年12月の吉野弘幸vs上山仁に続き、3月に帝拳ジム八尋史朗とワタナベジムの看板選手のひとり、平野公夫による日本ジュニア・フライ級王座決定戦を観に行った。

八尋は当時帝拳ジム期待のホープのひとりで、戦績は12勝(6KO)1分。対する平野は10勝(1KO)4敗3分。平野は前年にリカルド・ロペスとの世界戦も経験した元同級王者。しかし、下馬評は無敗の八尋に圧倒的に分があるとみられていた。

試合が始まると、長身の八尋が繰り出すスピード豊かな左ジャブと右ストレートが支配。平野は自分の距離に持ち込むことができない。6ラウンドにはダウンも喫する。陣営は、平野の豊富なスタミナを生かしての後半勝負を目論んでいたが、ダメージをため込んだ平野は終盤に盛り返すどころか失速。KO負けは免れたものの、フルマークの判定負けを喫した。

看板選手の相次ぐ敗戦。ワタナベジムとしては何とも悪い流れだ。僕にしても、入門してからジムの選手がメインイベンターを務めた試合を三度生観戦したが、どれも敗戦に終わっている。

危険な再起戦

そして、平野の敗戦から約一月後、4月7日にセットされていたのが、吉野弘幸佐藤仁徳による日本ウエルター級タイトルマッチだった。吉野は前戦で一階級上の日本王者、上山仁に7ラウンドTKO負けを喫していた。その再起戦でもあったが、佐藤は再起戦の相手としてはあまりにハードすぎる選手だった。

当時の戦績は、デビュー戦以来11戦11勝(11KO)のパーフェクトレコード。アマチュア出身らしい堅実なテクニックと、破格の強打を併せ持つ弱冠20歳の大器で、日本どころか世界を狙えるとも評されていた。何もこんな相手と再起戦を戦わなくてもと思うが、この年のチャンピオン・カーニバルの目玉の一戦として、以前から決定されていたものだ。

専門誌などを読むと「前半KOなら吉野、長引けば佐藤が有利、しかし、佐藤の左を序盤から食うようなら佐藤の前半KOも」という予想記事が目に入った。前戦で惨敗を喫しているだけに、吉野の強打は依然脅威だが総合的には佐藤有利とみる人が多かったように思う。

当時は、長く日本王座を守ったチャンピオンが防衛に失敗しそのまま引退となるケースも多かった。当時の吉野は24歳。まだまだ引退する年齢ではないというのは現在の感覚で、例えば、前年引退した高橋直人は当時23歳。25歳を過ぎればベテラン扱い、30歳を超えて現役を続ける選手は稀というのがこの時代だ。この試合を新旧交代の一戦とみる空気も漂っていたように思う。
昨年まで安定王者の一人だった吉野が、いきなり引退の危機に追い詰められている。当時の僕はそう感じていた。

吉野に見えた変化。

崖っぷちの状況であることは、当然、吉野本人も陣営も承知していただろう。また、これまでと同じ戦いぶりでは通用しないという意識も、共有していたように思う。おなじみの飯田さんとのミット打ちでも、変化がみてとれた。

豪快な左フックはそのままに、右のパンチを意識的に組み込んだコンビネーションを重視していたようだった。元々、以前からミット打ちでは右ストレートも割にスムーズに出ていたし、左右のコンパクトでスピーディーなコンビネーションも見せていた。「どうしてこれが試合に出ないのだろうか」と不思議に思っていた。それならば、もっと楽に試合を進められるだろうし、上山との試合も落とすことはなかったはずなのに…と。

力まかせの左フックに頼らず、普段のミット打ちで繰り出している左右のコンビネーションを、いかに実際の試合でも同じようにみせることができるか。それが次の試合のカギではないか。時折り目にする吉野の練習を横目でみながら、僕は勝手にそう思っていた。

前座の注目カード

そして、いよいよ4月7日がやってきた。記憶はすでに曖昧だけど、チケットはたしか飯田さんに売ってもらったように思う。この頃には、どうやらトレーナーとしての報酬の一部をチケットでもらっているらしいということを理解していたので、もう以前のようにタダで貰うということはしていなかったはずだ。5000円くらいの券で場内中ほどの席だった。

この日はメインの他に、4回戦が4試合と6回戦と10回戦が1試合ずつ組まれていた。4回戦で密かに注目している選手が出場していた。ウェルター級の越川雅也。練習時間がほぼ同じで、何度も彼の裏側でサンドバッグを打ったことがあった。その度に彼のパンチ力やラッシングパワーに圧倒された。つられるように僕の手数も上がって、僕の体から消えた脂肪の何割かは彼のおかげではないかと半ば本気で思っていた。

彼のボクシングスタイルがマイク・タイソンを意識していることは、練習を観たことがある人間であれば、みんなすぐにわかったはずだ。ウェルター級としては短躯。それをカバーするように上体を揺らしながら相手に肉薄してフックを叩きつける。その姿はミニ・タイソンと呼びたくなるようなスタイルだった。

黒一色のトランクスをはいて登場した越川は、恰好までタイソンを意識しているようだった。そして、デビュー時のタイソンのごとく1ラウンドなかばであっさりとKOで試合を決めて見せた。ワタナベジムの次代の看板選手になるのでは?と、レフリーに手を挙げられる越川を眩しく眺めた。

吉野vs佐藤 1~2ラウンド

若干ダルな展開に終始したセミ・ファイナルに続き、いよいよメイン。ここからは、当時の記憶と、動画を観た印象を合わせて試合を再現したい。

1ラウンド。しばらくお互いにジャブを突きあい様子見をした後、吉野が早速左フック、アッパーで畳みかける。このあたりは上山戦とかわらない立ち上がりだ。佐藤は落ちついて、それをさばく。軽くではあるが、吉野は小さなジャブを今回は打っている。そして、そこから右ストレートを続け、左フックにつなげる。振りも割にコンパクトだ。

このあたりは左フック、アッパーの強振に終始した前戦とは明らかに異なっており、飯田さんとのミット打ちを彷彿とさせた。思わず心の中で「いいぞ!」と呟いた。

サウスポーの佐藤はガードを高く上げ、ジャブから左ストレートとオーソドックスな攻めをみせる。どちらもきれいに伸びつつスピードがある。バランスもよい。一筋縄ではいかない相手であることは明らかだ。

ラウンド後半にも、吉野は小さく突く右ストレートから左フックにつなげるコンビネーションを使う。対サウスポーの定石ではあるが、右から入る吉野に、佐藤が若干戸惑っているようにもみえる。終了間際、その右がカウンターのタイミングで入り、吉野が一気にラッシュをかける。有効打はそれほどなかったが、全体に攻勢を印象づけて初回が終わった。吉野にとっては上々の滑り出しだ。

2ラウンド。この回も吉野は右からのコンビネーションなど細かい右をよく入れる。対する佐藤は、手数が少ない。コンパクトなパンチを多用する吉野の出方に戸惑っているようにもみえる。ビデオをみると、解説の沼田氏による「佐藤は堅い。捨てパンチをもう少し使い、待ちにならず自分から仕掛けなければ」という指摘が的確に思える。吉野も同じく堅さはあったが、ラウンド後半にはボディーへも右ストレートを伸ばすなど、佐藤に比べるとペースを握っているせいか、徐々に動きが柔らかくなってきた印象だ。

3~4ラウンド。

3ラウンド。 ここまで手数の少なかった佐藤が、徐々に手数を増やし始める。待ちのボクシングをやめて、速いコンビネーションを自分から打っていく。吉野はここでも右から入る形を多用。しかし、佐藤はようやくそれに慣れ始めているようで、あわてずブロックしていく。吉野はそれを感じてか、今度はいきなりの右をボディへも散らす。そしてすかさず左フックを上に返す。クリーンヒットはそれほどないものの、手数で上回って攻勢を印象づけるが、最後に佐藤の右アッパー、左ストレートがこの試合ほぼ初めて吉野にクリーンヒットする。そのパンチスピードは吉野を上回っているようにみえる。

4ラウンド。吉野は変わらず、細かいジャブから、右ストレート、返しの左フックという攻めを続ける。佐藤は、40秒過ぎに角度を変え内から突く右ジャブからつなぎの早い左ストレートで、吉野を一瞬たじろがせる。浅いヒットではあったものの、吉野は明らかに反応できていない。佐藤は今度は右フックを外側から回してくる。佐藤の攻めが徐々にリズムを持ち始めている。続けて放った左ストレートが今度はクリーンヒット。吉野はよろよろと後退する。上山戦での初回を思い出させるような展開に、嫌な予感が一瞬かすめる。

ここが一つの勝負所とみたのか、吉野がこれまでのコンパクトなボクシングをかなぐり捨てるように、左アッパー、フックを連続で強振する。さすがの迫力だが、佐藤はたじろぎつつもクリーンヒットはそれほど許していない。
吉野のラッシュが止み、一端、試合が落ち着きかけるが、ここで佐藤の左ストレートが連続してヒットする。二発目が吉野の頭部に当たり、吉野がバランスを崩しつつ後退する。チャンスと見て佐藤が踏み込みまたもや左フックをヒット。吉野はたまらずクリンチへと逃げる。

両者が分けられた瞬間、佐藤は追撃の左ストレートを放つが、体を沈めながら打った吉野の左フックがカウンターとなってヒット。ここまで吉野は佐藤の左ストレートにほぼ反応できていなかったので、いきなりカウンターが来るとは予想できなかっただろう。佐藤の膝がガクガクと揺れる。

千載一遇のチャンスに吉野はラッシュ。左アッパーがまともに佐藤の顎をとらえる。佐藤はなんとかクリンチに逃れるも、分けられた後も膝が揺れ、足元は定まらない。吉野は続けてラッシュするが、ここにきて前戦のような左頼りではなく、右のパンチも織り込みながらパンチをまとめ、その右がよく当たっている。

ふらふらの佐藤を観て、レフリーがスタンディングダウンを取るのと同時に、佐藤はマットに尻もちをつくようについにダウン。それでも佐藤はすぐに立ち上がるがダメージは誰がみても明らかだ。吉野のラッシュに対して打ち返すパンチからは力感が完全に失われている。

それでもなんとかブロックで必死に凌いでいた佐藤の頭を跳ね上げたのは、吉野の左ではなく、ここでも右アッパーだった。このパンチをきっかけにラッシュで佐藤をコーナーに詰めたところで、ついにレフリーの森田健が試合をストップした。

飯田さんがリングに飛び込み、吉野を抱え上げる。陣営は、まるで世界チャンピオンになったかのような喜びようだ。いかにこの試合が吉野にとって厳しいものになると覚悟していたかが、伝わってくるようだった。

試合終了と同時に、僕も思わず立ち上がり、拳をつきあげて叫び声をあげた。もちろんそれは僕だけでなく、まわりの席でも、多くの人がそれぞれに興奮を体で表現していた。

ようやくジムの選手がメインの試合で勝ってくれた。それが、ただの練習生である自分にとってもこれほどにうれしいことであるとは。ならば、飯田さんは今どれほどの喜びに包まれているのかと、なおも喜びにわく吉野のコーナーを眺めながら思った。

最悪負ければ引退もありえると思っていたが、これで、まだまだ吉野の試合が観られる。僕にとってはまだこれが彼の2試合目の生観戦。ここで引退されてしまっては困るのだ。できるなら世界戦のリングに立つ吉野の姿も観てみたい。

勝ち試合の帰り道はこんなに気分がいいものなのか。上山戦の時とはうってかわった上機嫌で水道橋の駅に向かいながら、振り向いて後楽園ホールが入る建物をもう一度眺めた。すでに自分の生活になくてはならない場所になりつつある、あの青いビルを。

30年後の感想

今回、久しぶりに試合を見直したが、この試合は間違いなく、坂本孝雄戦、クレイジーキム戦と並んで吉野のベストバウトだ。なんと言っても、「左だけ」と言われることの多い吉野が右を積極的に出ししかも効果的だったのは、この試合くらいのように思える。

元々、飯田さんとのミット打ちでは右がスムーズに出ていた。「やっと試合でも同じように出るようになったのだな」と思いながら当時はこの試合を観ていたが、残念ながら以後の試合で、この試合で見せたような右が出ることはなかったように思う。それさえあれば、落とさずにすんだ試合もいくつかあったのではないだろうか。

しかし、そんなボクシングをこの試合でみせることができたのも、上山戦があったこそだろう。左の大振りに終始して、それを防がれ、逆に左フックのカウンターに沈んだ苦い経験。もし、上山戦より先に佐藤との試合が組まれていた場合、結果が逆であったことも十分にありえるように思う。

逆に佐藤からすれば、吉野が背水の陣でもって、気持ち、戦術ともに一新してぶつかってきたことは不運だったかもしれない。また初めてのタイトルマッチに堅くなっているのがありありで、加えて吉野の気迫に押されてもいた。

それでも、もし試合が中盤以降までもつれた場合、吉野がスタミナ切れを起こし、佐藤がストップ勝ちを呼び込んだ可能性も十分にあったと思う。つくづく吉野は、『ここしかない、いいところ』で試合を終わらせたと思う。


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