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小池英樹vs川島郭志 1992年7月13日 「後楽園ホールのベランダより~追憶の90年代ボクシング Vol.5」

はじめに。

『アンタッチャブル』の異名を持つ、90年代を代表するディフェンス・マスター、川島郭志(ヨネクラ)。世界タイトルを奪取する約2年前、彼に日本王座をもたらした小池英樹戦こそがベスト・バウトではないかと、個人的には思っている。

この時点で川島のディフェンス技術はすでに完成の域に達しており、僕は試合を通してほぼ陶然とその動きに見惚れた。生観戦を続けて約一年。後楽園ホールの雰囲気にも慣れ、いっぱしのボクシング・ファンを気取りつつあった僕に、ボクシングの持つ美しさ、優美さ、そして技術の奥深さを見せつけ、あらためて一大ショックを与えたのがこの一戦だ。

5人の世界王者が君臨した92年。

この試合が行われた92年7月当時、国内には5人の世界王者が存在した。この5人という数字のインパクトは、若いファンにはわかりづらいかもしれない。当時は、これまでの最多タイ記録として大いに喧伝され、ボクシングマガジンからは臨時増刊号まで発売された記憶がある。

辰吉丈一郎、鬼塚勝也、井岡弘樹、平仲明信、そしてユーリ海老原ことユーリ・アルバチャコフ。それぞれインパクトの強い王者が揃い、92年は「平成ボクシング・ブーム」とも言われた時代のど真ん中である。そして、本来ならばこの一角にいてしかるべき存在と目されていたのが、川島郭志だった。

期待の俊英がたどった苦難の道のり

ここからはしばらく、川島郭志が初の日本タイトルマッチに挑むまでの道のりを、ざっとたどってみたい。

川島のデビューは、1988年(昭和63年)8月。高校時代、3年時のインターハイで後のピューマ徳久地、鬼塚勝也を下して優勝。大いに将来を期待されてのデビューだった。

しかし、その年の新人王戦にエントリーし、東日本の決勝まで駒を進めるも、ライバル、ピューマ徳久地に最終6ラウンドでKO負け。いきなり挫折を味わう。

翌89年、4月に2ラウンドKOで再起を果たすが、7月の再起第2戦で川島光夫に1ラウンドKO負。この時点の戦績は4勝2敗。世界タイトルを期待される選手の戦績としては、いかにも物足りない。翌90年1月の再起戦も引き分けに終わる。

その後、4月、10月の試合はそれぞれKOで勝利を飾り、ようやく上昇気流に乗るかと思われた矢先、91年1月の試合で今度は拳の骨折に見舞われる。治療のためのブランクは約1年に及んだ。

ようやくケガからの再起を果たしたのは、92年2月。韓国の金学明を3ラウンドKOで破り、1年1か月ぶりの勝利を収めた。

そして、92年7月、ついに、ようやく、日本タイトルへの初挑戦を迎える。デビューから約4年。同時期にデビューした鬼塚勝也はその3か月前に世界王座を奪取。川島にとって代わるように「平成三羽烏」の一人となった辰吉丈一郎はすでに前年の9月に世界王座に到達していた。

戦前の予想は若きチャンピオン有利。

川島が挑戦する日本王者は弱冠20歳の小池英樹(石川)。この時点での戦績は、12戦10勝(8KO)1敗1分。川島との試合が初防衛戦となる。

タイトルを奪って勢いに乗る20歳の王者と、ケガから復帰したばかりの元エリートの対決という構図。専門誌の予想も王者の方に傾いていた印象だ。ちなみに、ボクシングマガジン92年7月号の沼田義明さんの予想は「タイトル奪取戦での意気込みを買って小池の判定勝ち」となっている。

僕はこの時点で、川島の試合も小池の試合も観たことはない。両者に特に思い入れもなく「いい試合が観れたらいいなあ」くらいの気持ちでホールに向かった。

とんでもない衝撃が待っていることも知らずに。。。

セミ・ファイナルにリック吉村が登場。

さて、当日のメイン以下のカードについてである。前座として、新人王予選が4試合、KSD杯争奪トーナメント、通称B級トーナメントが2試合、そして、セミ・ファイナルに10回戦1試合が組まれていた。セミに出場したのは、リック吉村久弘達成

リック吉村を観たのは、この時が初めてだった。その後に、ボクシングマガジンの「熱戦譜」のコーナーで知ったのだが、この試合、リックの相手には当初フィリピン人選手が予定されていたがどういう事情か出場できなくなり、急遽、久弘選手が出場することになったということである。

そのため、久弘の方が68㎏と、リックより2.5㎏重い体重で出場しており、そのためグローブ・ハンデがつけられていたというが、当日、そういった説明があった記憶はない(あったのかな?)。

試合は、体重差をものともせず、リックが軽快な動きとスキルフルなボクシングで圧倒。3ラウンド、アッパー一発で倒してしまった。客席には、リックの勤務先である米軍キャンプからと思しきアメリカ人が多く駆けつけていて「レッツゴー!リック!」の大合唱。久弘には少し気の毒な雰囲気だった。

”アンタッチャブル”川島郭志の覚醒。            90年代を代表するディフェンス・マスターが爆誕。

ついに迎えたメインイベント。ここからは当時の記憶とユーチューブ上の動画、ボクマガの記事を基に、試合を再構成してみたい。

初回。川島の動きが軽い。初タイトル戦の気負いもないようだ。対して、石川の方が少し動きに硬さを感じさせる。川島は上体を柔らかく動かしながら、軽快にワンツーを繰り出す。スピードでも小池を上回っている。ラウンド半ばを過ぎて、ようやく小池の硬さも幾分とれたようで、いきなりの右を狙うなど動きが出始める。川島は体を柔らかく使い、余裕をもっていなしている。また、川島はジャブの差し合いでも明確に上回り、距離を支配している。今の目で観返すと、小池の硬さは緊張というより、サウスポーへの苦手意識からくる戸惑いのように感じられる。

2ラウンド。小池の堅さが少し取れてきた。右ストレートが伸びる。しかし、川島はそれを上体の柔らかな動きで難なくかわしている。川島は大分余裕がすでに出てきたのか、右に小さくサイドステップして角度を変えたパンチを放り込んだりもしはじめている。川島が若干有利も、両者に目立ったクリーンヒットはなし。

3ラウンド。開始早々に川島のいきなりの左ストレートがヒット。小池の反応が鈍いことを見て取ると、このパンチを続けていく。川島はこの時点でよほど自信を持ったのか、カウンターの心配もほぼしていないような動きにみえる。小池は手数を増やしたいところだが、川島の小刻みなステップと上体の動きに目標が定まらず、手が出ない。早くもワンサイド・ゲームの様相だ。

4ラウンド。状況を変えるべく、小池が積極的に打って出る。川島はそれらをするするとかわす。それでも距離がつまると、単発ではあるが、小池の右ストレートが川島の顔面をとらえる。中間距離では明らかに分が悪いので、距離をつめて連打を叩きつけようという作戦なのだろう。それ自体は正しいと思える。一瞬、流れが小池の方に傾きかけるが、川島はここで逆にプレッシャーをかけ、手数を増やし、前に出る姿勢をみせた。結局、小池は押し戻される形になり、川島の距離に戻り、ペースを渡さない。

この時点で、僕は完全に川島のボクシングに魅了されてしまった。スムーズな全身の動き、軽やかでリズミカルなステップ、まるで相手の出すパンチを事前に察知しているかのようなディフェンス。「ボクシングのテクニックって、こんなに美しかったのか」まるで流麗な音楽に耳を傾けているかのように、陶然となっていた。

5ラウンド。小池のパンチを完全に見切っている川島は、このラウンドから前進を強める。小池はそれに抵抗するかのように右ストレートなどをふるうが、下がらせられるシーンが多い。中盤からは逆に足を使い、マタドールよろしくこの機に前に出ようとする小池を翻弄。終盤になると再び前に出て攻勢を印象付けた。

6ラウンド。引き続き、川島のボディワーク、フットワークが冴えわたる。今にしてみると、ロマチェンコの動きにも似たような感じもある。中盤には、サイドステップから一瞬オーソドックスの態勢に変わって左ストレート、右ストレートを打ち込むという形もみせる。小池は川島の左ストレートの打ち終わりを狙ってみるなど、きっかけをつかもうとするもうまくいかない。

7ラウンド。ここまでくると、興味は勝負の行方というより、川島がいつ倒すのかという点に移ってくる。しかし、川島は勝負を焦る様子はなく、戦い方を変えない。勝負を焦るべき小池もまた同じような戦いぶりだ。遠い距離では相手にならないのは十分わかったはずなのだが…。途中みせたボディへの攻撃も続かない。

8ラウンド。ついにその時が訪れる。2分すぎ、右にサイドステップしながら、同時に足を入れ替え、オーソドックス・スタンスを作り、左ボディを入れ小池の視線をいったん下に誘導する。そして、次に右フックともストレートともつかない軌道のパンチを思い切り振り抜くと、それが小池の顔面を直撃。小池は仰向けにダウン。

素晴らしい技巧の冴えに、リックの応援に駆け付けた米軍人たちも立ち上がって拍手を贈っていた。川島の華麗なテクニックに魅了されていたのは、彼らも同じだったわけだ。この後も、リックの試合には米国軍人たちの姿が多く見られたが、彼らが日本人ボクサーに対して立ち上がって拍手する姿をみたのは、後にも先にもこの時だけである。

一気に試合を決めようと、川島が襲い掛かる。小池のダメージはありありで、その体は左右に泳ぎ、右フックが顔面を痛打したところで、スタンディング・ダウンをとられる。現在であれば、ここで試合は終わっていた。しかし、試合は再開。川島が再度襲い掛かるもタイムアップ。

9ラウンド。誰もがこのラウンドでの終りを予想したと思うが、中盤過ぎから、川島がちょんちょんとついては足を使って態勢を入れ替えるボクシングに移行。いわば流し始める。それでも時折、衰えないスピードのあるワンツーで小池の頭をはねあげて、小池は入っていけない。

最終回も展開は変わらない。川島が上体の動きだけで小池のコンビネーションを外し切ると、場内から大きな歓声があがる。本来、ここまで圧倒的な差があるなら「倒してほしい」と観ている側は思うものだが、観客に不満の様子はない。僕にしても「このままずっと川島のボクシングを観ていたい」という気分があるだけだった。場内全体が完全に川島の技巧に魅了されていた。最後、足を使う川島に、小池がつめて連打をふるうもやはり当たらず。ここで試合終了となった。

試合終了と同時に両手を突き上げる川島。誰がどう見ても勝敗は明らかだ。デビューから2度の敗戦、ケガによるブランクを経て、ようやくたどりついた王座。けれど、その割には川島の表情、態度は落ち着いて冷静だ。それでも、控室に戻った後で声を上げて泣き出したということを、翌月、ボクシングマガジンを読んで知った。試合中に拳をまたも痛めて、そのためフィニッシュまでたどりつけなかったことも。

30年後の感想。やはりこの試合こそ川島のベストバウト?

今回、久しぶりに試合を観返してみたが、やはり当時と同じくその技巧に見惚れてしまった。川島のベストバウトといえば、世界王座を奪取したブエノ戦、強敵との呼び声の高かったトップコンテンダーを一蹴した、エスピノ戦があげられることが多いが、僕個人の好みは断然この試合だ。

この試合で見せたほどの柔らかな上体の動き、頻繁なサイドステップは、以降の試合でもお目にかかれない。試合を通じて相手を空転させ続け「アンタッチャブル」の称号通りの動きを最も見せたのが小池戦ではなかろうか。

最初のダウンを奪った、ステップしながら構えをオーソドックスに替えての攻撃も、たぶんその後見せていないような気がする。

初のタイトルマッチに気合も十分だったのだろう。日本王者となってからの川島はもう少し落ち着きのある試合運びをするようになったが、この試合では徹頭徹尾エネルギッシュに動き続けている。しかも高い集中力を保ったまま。

川島にとって完璧な試合運びができたのも、対戦相手の小池が最後まで状況を打開するような策、動きを見せることができなかったからでもある。結果論ではあるが、もう少し強引にでも前に出て接近戦に持ち込むことができたら、川島の打たれもろさを考えれば、結果を変えることができたかもしれない。まれに距離がつまった時には、軽くではあるが小池のパンチも当たっていたのだから。

前戦でタイトルを獲得したばかりだった小池。試合後に再起を誓った彼だが、弱冠20歳の将来を嘱望された若き俊英が、その後王座に返り咲くことはなかった。そして、川島は逆にその未来を受け継いだかのごとき勢いで、世界王者に向かって疾走を開始する。

この一戦で交錯した二人のボクサーのその後を考えると、ボクサーにとっての一戦の重大さや、ひとつの敗北が決定的に運命を変えてしまう残酷さを感じずにはいられない。


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