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中学の卒業式後に決行した初めての告白。 HOKURIKU TEENAGE BLUE 1980 Vol.2「少女人形」「セーラー服と機関銃」

■ 薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」 作詞:来生えつこ 作曲:来生たかお 編曲:星勝 発売:1981年11月10日
■ 伊藤つかさ「少女人形」 作詞:浅野裕子 作曲:南こうせつ 編曲:船山基紀 発売:1981年9月1日


卒業式後に決行した初めての告白

1982年3月15日。

15歳の僕は、中学の卒業式後、体育館の裏に立っている。

目の前には、ずっと思いを寄せていた女の子がいる。

これから人生初の「告白」をするのだ。

卒業式が終われば、彼女は関西へと引っ越してしまう。今日を逃せば、もう二度と会うことはないだろう。

「実は、僕、ずっと君のことが…」と言いかけたところで、彼女が向かい風を受けて前髪を気にしていることに気づき、「あの…えっと、場所変わろうか」と言いながら立つ位置を変え、彼女に風が当たらないようにした。

たったそれだけのことだった。

たったそれだけのことが、彼女の僕に対する印象を劇的に変えたことを、僕は少し後に知ることになる。

気を取り直して、さきほどの続きを伝え、そして「いま、誰か好きな人はいる?」と訊いた。「ナカニシくん」などという返事は期待していない。「もし誰もいないなら、よかったら僕と…」と続けるつもりだった。そのあたりは何度も頭の中でシミュレーション済みだ。けれど彼女は「…Kくん」と、ひとりの男子生徒の名前を挙げた。

Kは、Vol.1に登場する教室のトレンドセッター。成績優秀で、今の言葉でいえば陽キャのスクールカースト上位者。けれど、利発な思春期の少年にままある他者を見下す風があり、いじめとまではいかないまでも、時々、度の過ぎたからかいを行うこともあった。「どちらかと言うと苦手なヤツ」というのが、当時の僕のKの印象だ。

あまり聞きたくなかった名前が登場し、僕のシミュレーションはもろくも崩れ去った。思わず「なんでKなんかを!」と出かかるのを必死で押しとどめ、引っ越した先でも元気で過ごしてほしいと伝えて、別れた。

初めての告白は見事に玉砕して終わった。

のちに、Kを好きになった理由が「顔立ちがどことなく清志郎に似ているから」だと彼女の友達から聞き、「そんなことで!」と思ったが、僕にしても彼女に恋した理由の大半が、彼女が「伊藤つかさに似ているから」だったのだから、まったく人のことは言えない。

十代(しかも14、5才)の恋なんて、多くはそんなレベルなんだろうと思う。そんな他愛もない淡い恋のひとつがそこで終わった、はずだった。

「フェアリーソング」の頂点、伊藤つかさ

丙午世代の僕にとって、伊藤つかさはほぼ初めて登場した同世代アイドルだった。

81年当時のトップ(女性)アイドル、松田聖子は62年生まれ。河合奈保子は63年生まれ。松本伊代が一番年齢が近く、ひとつ上の65年生まれ。

アイドルが疑似恋愛の対象だとすれば、年上の女性はなかなかにハードルが高い。どちらかと言うと前述の彼女たちは憧れのお姉さん的存在、というのが感覚としては近かった。

伊藤つかさは、67年2月生まれ。まったくの同級生世代である。 

彼女が登場した時、正確に言えば、彼女のデビュー曲『少女人形』のレコード・ジャケットを見た瞬間、僕は初めてアイドルに対して恋愛に近い感情を抱いた。

「少女人形」は「ザ・ベストテン」にもランクイン。しかし、当時14歳の彼女は法律上、夜8時以降の番組に生出演することができない。結局、VTRで歌唱場面が放送され、初めて彼女の生歌に触れた。声量に乏しく、音程も絶妙に怪しい歌いっぷりに面食らったが、むしろその頼りなさ、たどたどしさが彼女の可憐さを際立たせていた。

余談だが、BSトゥエルビの番組「カセットテープ・ミュージック」のなかで、マキタスポーツさんが、この種のアイドル歌謡を「フェアリーソング~五線譜という横断歩道を渡る幼児」と定義していたが、伊藤つかさの「少女人形」(個人的には加えて安田成美『風の谷のナウシカ』も)は、現在まで連綿として続くそんな「フェアリーソング」史上最大のヒット曲ではないだろうか。

そんなフェアリーソングのプリンセス(?)伊藤つかさに衝撃を受けていた頃、クラスを見渡すと、彼女によく似た顔立ちの女の子がいることに気づいた。俄然、彼女が僕のなかで気になる存在になっていったのは言うまでもない。そして、その年も暮れる頃には、一体、自分は伊藤つかさが好きなのか、それとも彼女が好きなのか、何だかよくわからない状態にまでなっていたのだった。

さよならは別れの言葉じゃなくて?

卒業式から数日後、友人数名と映画を観にいった。当時大ヒットしていた「ブッシュマン」「新Mr.Booアヒルの警備保障」の二本立て。グループの中にはKもいた。

映画の帰り、駅からそれぞれの方向へ自転車で帰った。Kとは同じ小学校出身ということもあり、帰る方向が同じだった。自然とふたりで、肩を並べて自転車をこぐ形になった。

散々映画で笑い倒した後で気分が高揚していたのか、気づくと、僕はKに「M(件の彼女のイニシャル)は、お前のことが好きらしいぞ」と口走っていた。

Kは、僕とは目を合わせず前を向いたまま「あー、知ってる」とあっさりとした口調で言った。卒業式後の一連の出来事は、すでに同級生たちにはかなり知れ渡っているようだった。「でもなあ…」とKは、今度は僕の方を見て「俺、Nが好きなんや」と、エキゾチックな顔立ちをした同級生の美少女の名前をあげた。

僕はMが好きで、MはKが好きで、KはNが好き。そして…、NはたぶんKのことなど相手にしないだろう。なぜ世の中はこうもうまい具合に、絶妙にうまくいかないことになっているのか?その後、幾度となく思うことを、この時も思った。

Kとも別れた後の帰り道、同じメンバーで冬休みに『セーラー服と機関銃』を観に行ったことを思い出した。Fという友人が薬師丸ひろ子の熱烈なファンで、みんなを引きずるようにして観に行ったのだ。個人的には、社会現象を巻き起こすほどのモノには思えず、映画はそれなりの面白さだったが、その主題歌は大いに気に入った。

ふいに薬師丸ひろ子の歌声が、胸の中に広がった。

「さよならは別れの言葉じゃなくて ふたたび逢うまでの遠い約束」

たぶん、日本歌謡曲史上に輝くキラーフレーズのひとつだろう。しかし、この時の僕には、なんとも空虚なものに思われた。きっと僕は、Mと「ふたたび逢う」ことはない。さよならが「遠い約束」だなんて、そんなもの気休めにもならない、と。

「このまま何時間でも抱いていたいけど ただこのまま冷たい頬を暖めたいけど」

頭の中で歌を再生していると、ある朝の情景が蘇ってきた。

Mは、三学期が始まる頃、学校に来なくなった。最初は風邪かなくらいに思っていた。けれど、一週間が過ぎ、二週間が過ぎても、Mは教室に戻らなかった。

どうやらMは、関西へ引っ越すらしい。学校にはもう来ないか、卒業式だけ出るくらいだろう。そんな噂がやがて耳に入った。

そんなある日の朝、なぜか僕はいつもより30分以上も早く家を出た。理由は特にない。いつもより早い時間に目が覚め、手持ちぶさただったくらいのものだ。

教室に入ると、いきなり昨日までいなかったMの姿が目の中に飛び込んできた。他に生徒の姿はなく、ひとりきりで机に座り、前をみている。

声をかけることもできないまま、Mより何列か前の自分の席に座った。教室には僕とMの二人きり。冬季に教室内に持ち込まれる石油ストーブからもれる「シューシュー」という音が、木造校舎の教室のなかで、やけに大きく感じられた。

他の生徒が入ってくるまで、10分くらいはそうしていただろうか。まだ暖まり切っていない教室は寒かった。Mの存在を背中で感じながら、それにしても、と僕は思った。Mはいつ頃から教室にいたのだろう?こんな寒い場所で、何を思いながら、たったひとりで。
 
やっと教室に戻ってきたMに話しかけるどころか、振り向くことさえできずにいる自分が情けなく思えて仕方がなかった。Mがまたいなくなってしまう前に、自分の気持ちを伝えなくては。僕がそう決意したのは、この朝だった。

けれど、今となっては全部が終わってしまったことだ。あの朝のMの気持ちを僕が知る術はもうないし、彼女の冷たい頬を暖めるのもどうやら僕の役目ではないのだ。


「欽ドン!」後に訪れた急展開。

それは卒業式から一週間ほどが過ぎた月曜日。曜日まで覚えているのは、それが「欽ドン!」をちょうど見終わった時だったからだ。

電話が鳴り、出ると、なんとMからだった。驚いて、要領を得ない受け答えをする僕を尻目に、Mの声は出し抜けに「あれから色々考えたんだけど…」と言い、続けて「私、ナカニシ君が好きになった」と言うのだった。

「!!!!!」ただでさえいきなりの電話に驚いているのに、まさかまさかの展開である。完全にパニくって言葉が出ない。何とか言葉をひねり出し、会話を続けたが、内容は電話を切ったあともほとんど思い出せなかった。ただ、Mが最後に「手紙を書くね」と言ってくれたのは、かろうじて覚えていた。

しかし…、と少し冷静になった時に思った。「女の子って、こうもすぐに気持ちが変わるものなのか?!」と。ほんの一週間前は、Kのことが好きだと言っていたはずではないか。

これは、僕にとって、女心の不思議さ複雑さを感じた最初の経験になった。「Kめ、ざまあみろ!」とひとり心の中で快哉を叫びつつ、この調子だと、ちょっとしたことで今度は自分が嫌われてしまうのではないか、とも思った。

そして、その予感が正しかったことを、一年半ほど後に僕は知ることになる。

それはさておき、その晩は、遅くまで興奮して眠ることができなかった。布団の中で、Mとの会話のおぼろげな記憶を反芻していると、またもや『セーラー服と機関銃』が脳内に流れ始めた。

静かなエレキギターのアルペジオから始まり、はねるようなピアノがドラマティックなフレーズを紡ぎ出す。そして、透明度の高い薬師丸ひろ子の声が語り掛けるように歌う…。

「さよならは別れの言葉じゃなくて ふたたたび逢うまでの遠い約束」

つい数日前、空虚に響いていたフレーズが、今はまったく違って感じられるのがうれしかった。

郵便受けに、Mからの「遠い約束」が届いたのは、それからきっかり1週間後のことだった。

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