見出し画像

金内豪vs中村哲 1993年12月4日 「後楽園ホールのベランダより~追憶の90年代ボクシング Vol.18」

ゴールデンルーキー、金内豪登場!

93年春、高校三冠の実績をひっさげ「ゴールデンルーキー」として華々しくプロボクシング界に登場した金内豪(ビクトリー)

その後、高校三冠はけっして珍しくなくなり、三冠どころか五冠、六冠、井上尚弥に至っては高校時代にアマ七冠を達成しているが、93年当時は「高校三冠」のインパクトはかなり大きいものだった。

プロテストも、高校を卒業したばかりの18歳としてはこれまた当時異例のB級テストを受験し合格。5月に行われたデビュー戦はいきなりのメインイベントで、テレビ放映もされた。

まさに鳴り物入りのデビュー。僕も深夜の中継番組を録画して、デビュー戦を観た。いかにも頑健そうな体つき、体のキレ、スピード、一発の威力。どれをとっても極上。まさにゴールデンルーキーの触れ込み通りのボクシングを見せて、デビュー戦を初回KO勝ちで飾った。

偶然にも、当時の僕は金内の所属ジムであるビクトリージムがある川口市に転居したばかり。ボクシングマガジンでビクトリージムの住所をみると、これまた偶然にも歩いて数分のところにあるではないか。

1年間のボクシングジム通いでおよそ10kg減を達成していた僕だったが、それで気が緩んでしまったか、前年の夏以来それまで通っていたワタナベジムはフェードアウト状態。その後の一年あまりでまたも体重は急増していた。

「これもきっと何かの縁」と、僕はビクトリージムに入会することにした。たしか93年の6月あたりのことだ。

注目の金内選手とは練習時間が近かったのか、練習風景をよく目にした。雑誌などでは、引っ越し業者でアルバイトをしていると書かれていた記憶がある。バイトが終わった後、夜7時以降あたりが彼の練習時間だったのだろう。

「ゴールデンルーキー」「将来の世界チャンピオン候補」と喧伝されていた金内くんの練習風景を目の当たりにできることに、当時の僕は興奮していた。「このジムで彼が世界チャンピオンへと上り詰める過程を、これから逐一見つめていけるのだ。なんて幸運なことだろう」と。

しかし、それはすぐに雲行きがおかしくなる。

金内くんにはどうやら持病とも言うべき体の疾患があった。腰痛である。5月のデビュー戦のあと、8月に第二戦に臨むはずだったが、練習もままならない様子だった。というか、ただ歩くのでさえきつそうだ。傍目にも、試合以前の状態なのは明らかだった。

ジムに整体師が訪れて、施術する様子も何度か目にした。しかし、それでも金内くんの状態が上向いているようには感じられなかった。時折、スパーをする場面を目にしたこともあったが、一方的に打ち込まれることもあった。「ゴールデンルーキー」の姿は、そこにはなかった。8月の第二戦は結局キャンセルされた。

1993年のビクトリージム。

ビクトリージムといえば、ピューマ渡久地を思い出すオールドファンも多いことと思うが、この頃はすでに彼の姿はない。

当時のジムのトップ選手は、なんといっても弱冠18歳の「ゴールデンルーキー」金内くん(そのことも彼にとってはプレッシャーだったのかもしれない)。そして、ブランクから復帰した元新人王、ビクトリー児玉選手。加えて後にライト級で日本ランク入りする望月宏昭選手あたりだと思う。

なかでもビクトリー児玉選手のボクシングセンスに、僕は完全に魅了された。約10年間の東京でのジム通いで後の世界チャンプを含む多くのボクサーのシャドーボクシングを目にしたが、児玉選手のそれが間違いなく最も華麗だった。

最初の1、2ラウンドはフォームを確認するようにゆったりと動き、徐々にスピードをあげていく。トップスピードに乗ってからもフォームはまったく崩れない。豊かなスピード、体全体のバランスの確かさ。その動きは優美な舞踊をみるがごとくだった。彼のシャドーに毎回僕は見惚れた。

当初8月に行われる予定だった金内くんの第二戦はキャンセルされたが、同じ時期にビクトリー児玉の復帰6回戦がセットされていた。ボクマガで確認すると、8月7日。メインは金内くんではなく、坂本博之が務めていた。その試合を僕は生観戦した。尋常でないボクシングセンスを誇る彼である。復帰戦は簡単にクリアするだろうと思っていた。

しかし、結果は引き分け。3ラウンドにダウンを奪ったものの、相手の粘りもあり、後半はやや失速(したようにみえた)。約3年ぶりとなる復帰戦を白星で飾ることはできなかった。ジムでみせる力をなかなか試合で再現できない選手は多い。もしかして彼もそういうタイプの選手なのだろうか。漠然とそういう思いを持った。

それから数日後、ジムで練習していると、金内くんらトップ選手を指導していた当時のチーフトレーナーさんから「ちょっとみんなこっちに集まって」と声がかかった。少しあらたまったトーンだったので「なんだろう?珍しいな」と思いながら、その場にいた数人の練習生とともに彼のところにむかった。

彼はぐるっと一同を見渡すと、「この前の児玉の試合だけど…」と話し出した。

「あいつ、実は試合の少し前の練習で拳を骨折してな(右、左どちらだったかはもう記憶にない)。だからあれは片手で戦ってたんだよ。手数も少なかったし、いい試合じゃなかったと思ったかもしれない。ケガのことは誰にも言ってなかったから、わからなかったかもしれんけどな。いったん決まった試合は何があってもやるのがプロ。まあ、今回あいつにはプロ根性を見せてもらったよ」

それなら色々と納得がいく。意外なほどの手数の少なさ。チャンスをつかんでからもいまひとつ積極性がみられなかったこと。もともと試合ができる状態ではなかったのだから当然だ。逆にいえば、よくも引き分けにまでに持ち込んだものだ。

けれど、、、と同時に疑問に思ったのは、これは「プロ根性」として賞賛されるべきことなのかということだ。引き分けで終わったからまだよかったものの、負ける可能性もあったし、下手をすれば選手生命に関わる事態になった可能性だってある。というか、骨折している選手をそのまま試合に送り出すのは、単純に危険ではないのか?

プロボクシングというか興行の世界を知らない人間の甘い考えと言われればそれまでだし、相手の選手やジムに迷惑をかけたくないという児玉選手の気持ち自体は素晴らしいと思う。しかし、これをよしとしてしまっては、今後同じように試合前に深刻なケガを負った選手が、試合をキャンセルしずらくなってしまわないだろうか。

そんな思いを持つと同時に、それならば8月の試合を結果的にキャンセルせざるをえなかった金内くんの状態は一体どれだけ悪いのだろうか?と、心配になってしまった。

ついに決まったゴールデンルーキーの第2戦。

そんな金内くんのプロ2試合目がいよいよ決定した。12月4日(土)、相手は名古屋、緑ジムの中村哲との8回戦だ。たった一戦、一ラウンドを戦っただけで、早くもA級に昇格したことになる。

肝心の金内くんの体調だが、夏頃よりは腰の状態はいくぶん回復しているようには思われたが、時々、練習を横目でみているだけの僕に元よりわかることなどほとんどない。

それでも時折目にする練習でのサンドバッグ打ちはまさに破格で、「本当にパンチがあると、サンドバッグはあまり揺れない」「横ではなく縦に揺れる」という本で読んだ事柄が実際にそうであることを驚きをもって確認できた。

金内くんがいかにも重そうなパンチをバッグに打ち込むと、サンドバッグを叩く音とともにガシャンガシャンと金具がこすれ合う音が大きくジム内に響いた。バッグが一瞬浮き上がるように動き、下に落ちる。そのたびに、バッグをつなぐチェーンと金具がこすれあい、悲鳴のような金属音をたてるのだ。

生き物のように暴れるサンドバッグ。「あんなパンチが当たったら…」と恐怖すら感じた。後にも先にもあれほどに豪快なバッグ打ちをみたことはない。ワタナベジムではやはり破格のハードパンチャー、吉野弘幸のバッグ打ちを何度もみたが、3階級も下の金内くんの方が迫力において優っているのではないかと思うほどだった。

2試合連続の1ラウンドKO勝ち!

そして迎えた当日。この日のメインはフェザー級8回戦、金内豪vs中村哲(緑)。アンダーカードでは、4回戦が6試合、6回戦と8回戦がそれぞれ1試合ずつ組まれていた。

4回戦ではのちのフェザー級王者、木村鋭景(帝拳)星川亮(ビクトリー)を判定で退けている。

6回戦では、ビクトリー児玉の復帰第二戦が組まれていた。相手は、川口拓也(山川スポーツ)。内容はほぼ記憶にない。逆にたぶんこの時は安心してリングを眺めていたのだろうと思う。ボクシングマガジンで結果を確認すると、60-56、60-57、59-57で児玉選手の判定勝ち。倒しきれなかったものの、完全に試合を支配しての圧勝だったようだ。

そしていよいよ金内くんの登場だ。相手の中村哲(緑)はここまで5勝(4KO)2敗1分。5勝のうち4KOということはかなりのハードパンチャーなのだろう。ちなみに5月に行われたデビュー戦の相手の戦績は3勝(3KO)3敗。戦績だけみれば、A級ボクサーだけに今回の相手の方が上回っている。

試合の動画をみつけられなかったので、当時の記憶とボクシングマガジンの記事を参考にしたい。

試合開始とともに積極的に打って出たのは中村。連打を重ねると、気圧されたように金内くんはまっすぐ後ろに下がる。中村が勢いに乗って攻勢を強める。スパーでも圧力をかけられると割とまっすぐ後退する場面は何度か目にしていた。もしかして、腰痛から回復しきっていないのか。一瞬、嫌な予感がよぎる。

中村の連打を後退しながらブロックでしのぐ金内。なおも一気呵成に攻め落とそうとするかのように手を休めない中村の連打の合間に、金内は斜め上から落とし込むような右フックを差し込む。と、これが見事にヒットし、中村は顔面から痛烈なダウン。デビュー戦の再現のような展開に、場内は沸騰する。

なんとか立ち上がった中村だが、ダメージはありありで足元はおぼつかない。もうこの時点で勝負は決まったようなものだった。今度は金内が連打をふるい、中村をおいつめる。中村も抵抗を試みるが、金内は落ち着いて出鼻にパンチを合わせて2度目のダウンを奪う。

中村はそれでも立ち上がり、試合は再開されたものの、金内がさらに連打を重ねると中村はもう対応できない。レフリーがようやくストップをかけたのは初回2分32秒のことだった。

終わってみれば2試合連続1ラウンドKOの快勝。スパールーキーの称号に違わぬ大器ぶりを見せつける内容だった。一発の威力、詰めの鋭さ、デビュー戦と同様に随所に素晴らしい煌めきを感じさせてくれた。

一方で気になるのは、チャンスをつかむ前と後では別人のように内容が違うところで、本人が「打たせすぎた」と試合後に反省の弁を述べたように、試合開始直後の動きはいかにも硬く、ぎこちなささえ感じさせた。

今回は早い段階に一発で局面を変えることができたが、もしそうさせてくれない相手だった場合はどうだっただろう?腰の具合は本当に大丈夫なのだろうか?

そんな懸念材料も頭をよぎったが、それも目の前で両手を掲げて歓声に応える19歳の少年の輝きをみてしまっては、野暮というものだった。

一ファンとしては、彼の輝かしい行く末を信じて楽しみに見守っていればいいのだ。

1994年は金内豪にとってきっと飛躍の年になるはずだ。

1993年末の僕は、この大器と同じ空間で時を過ごすことのできる幸運を、あらためてただ無邪気に嚙み締めていた。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?