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泥の中を歩く

今進路に困っている。

それは今後「労働」の上でどのようにして自分が生きていくかの分かれ道なのである。

過去に自分はできるところで、進める道で、よく考えずに、ただ一つある道を走って来た。振り返れば思考放棄にしかすぎず、自分のことを何一つ考えることもなかった。だからこそこの就職活動において人並みには考えて来たし、そこそこ自分を磨いてきたような錯覚に囚われている。

これが今後何十年と働く上でどのように活きてくるかは全くの未知数であるが、今の自分は、向いていないからやめる、時間の無駄という逃げ的な思考があり、今後それを続けていては何者にもなれずに死んでいく。それって生を受けて恥ずかしいことなのではないのかと思ってしまった。

もちろん目立ちたくはないし、歴史に名を残すようなことがしたいというわけではない。自分の行動で誰かに良い影響与えて、「あぁ、こんな人に励まされたな。」くらいで良い。誰かにとって爪痕を残せればいいのだ(良い意味で)しかし、今の自分ではこの爪痕を残すとすらままならないのだろうと思う。向いていない、時間の無駄と盾をいくつも用意して逃げる僕に説得力なんてない。

この自信の無さ、逃げ腰が僕の用意した進路において大きな邪魔をするのだ。決めてしまえと考えるのに「これで良いのか?」「働きだしてから向いてないと気付くのは遅い。」と泥のようにまとわりついてくる。予感は正しい、説いていることも正しい、しかしどうしても自分のせいでいいと思えるような自信がない。誰かに背中を押してもらいたい、誰かに肯定してほしいと「自分事」として捉えることができていない。

自分の人生なのに……

とても悲しい、見つめれば見つめるほど深みに堕ちてゆく。

極端な例、戦争中で生きることを考えることで毎日が精一杯。そんな人たちが自分の運命を恨んでいいのだろうか、これは良い。自分を取り巻く環境に翻弄されている。その中で腐らずに生き、よりよく変わろうとあることは素晴らしいと考えている。

しかし、自分はどうだろう。不自由の無い国日本(色々不自由ではあるが、生きる上、上を求めない生活をする上で)に生まれて、不自由の無い良い一般家庭に育ち、成り行きで今を生きた結果、過去を恨んで、後悔して、懺悔して生きて挙句の果てに自信がないと言い出した。ここまでモンスターを生み出してしまった要因が何処にあろうか、社会?親?いや、自分でしかないのだよ。

こんな醜いモンスターがまだ堕ちる可能性を孕んでいると思うとそれはもう滑稽である。

しかしこれだから堕ちていいという訳でもない、今現状に気がついたのであれば、そうならないように行動するべきであって、これからを憂う必要はない。

「変えられるのは未来と自分だ。」

チープな言葉に踊らされている気すら感じるが、この前そう言われて、これしかないと感じ取ってしまったのだ。

苦しい。

見つめるのは、鏡を見ているわけではない。しかし目を瞑ればそこに居る。自尊心を肥大化させた自意識過剰の化け物。

まるで『山月記』の李徴のようではないか。(彼みたいに優秀ではないが)

この化け物を飼い慣らしていくことでしか前に進めない。そうであってくれ。

そのために今はただ、ひたすら問の泥を進む。

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