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交換留学に向けての準備

私が入学したときに3年生の学年には
「留学科」なるものが存在していた。クラス人数は5人くらい。
生徒は全員交換留学に向けての英語メインの授業をする。

私の代ではそれが存在せず、どの学部からでも
交換留学のテストを受ければ海外に行くことができるといった
ものだった。希望者は別途学費を払い、週2日放課後に
ネイティブの先生、日本人の先生と一緒に試験対策、英会話の
授業を受けることができた。この授業を受けたからといって
必ず試験を受けなさいというわけでもないので、
母親から「留学するせんに関わらず、英会話教室に通うよりは
安いんじゃけやりんさい。」と強く背中を押されてしまった。


受講者は最初私を含めて4人。
特進2人、理系1人という頭がいい子たちに囲まれてしまった。
発音も会話もペラペラな子もいてすごいと思った。
中学生の時に少し発音をほめられたくらいの私はすぐにかすんだ。


あれ、もしかして私って浮いてる?
やっぱり頭良くないと留学ってむりなの?

という気持ちがどんどん大きくなっていった。

クラス自体は楽しい。でもやっぱり結果につながらない。
そんな中で迎えた試験兼1泊2日のオリエンテーションの日。
同じように交換留学を希望する中国地方の高校生が集まった。
人数としては10人くらい。
やっぱりそれなりの頭の良い学校の人たちが集まって
より浮いていると感じざるを得なかった。

一緒に授業を受けていた子たちは一人辞退したものの、
授業には参加していないもう一人が加わって試験に臨んだ。

わたし、ダメかも。
だけどいけたらものすごい世界に行けるきがする。

オリエンテーションはかなりしんどかった。
まず、宿題がだされる。英語で日本の文化紹介。
英語そんなに離せないのに・・と思いながら
和菓子について発表した。

ほかの人たちは面白くプレゼンテーションをしていて
褒められたりしているのを見る中でダメ出しをうけたわたし。
なんでこんなことしなきゃいけないんだ。
自分から手を挙げて発言なんて苦手すぎる・・・。

あとはケーススタディなどネガティブなことばかり。
留学ってこんなにしんどいの?とか
ホストファミリーに気に入られなければ大変なの?
ってなってた。


試験は筆記と親子面接がある。

筆記なんて自信があるわけない。
面接では3人の面接官(うち一人は私の学校の先生。)
「ホストファミリーから夜ご飯の際に飼っている犬の餌皿で提供されたらどうする?」という質問をされた。
私は「洗っていてきれいであれば気にしないと思う」と答えた。
多分面接で頑張らないと!なんとしても行きたい!といった思いが
強かったのだと思う。

そんな私の必死の思いとは裏腹に
父親が爆弾を落としまくった。

面接官「交換留学をするにあたって、娘さんは留学をしますが、
逆に海外の留学生をホストファミリーとして受け入れることはできますか?」

父「そんなことはできません。」

こんな感じで怒りというかふてくされた態度をさんざん
取っていた。偉そうで、試験管も表情が変わってしまったのを
覚えている。

なんで私がやりたいことの邪魔するの?!
という怒りが徐々にこみあげてきた。

受からなかったら父を恨もうとまで思うほど
父の態度が悪すぎて、失礼すぎて、
これが自分の父親だなんて恥ずかしいとまで思った。

どこまで私の人生を邪魔すれば気が済むんだろう

がすなおな感想だった。

ほかの子の親はこんな態度ぜったいとらない。
また私からみんなと同じを遠ざけてくる。


家に帰って母に不満を泣きながらぶちまけた。




そんなめちゃくちゃな
試験を受けたわけだがやはり面接だけじゃなくて
筆記の実力、オリエンテーションでの手ごたえを
考えてどこを切り取っても落ちる要素しかなさ過ぎて、
落ちたとしても父だけのせいじゃないなと思いながら、過ごしていた。

結果発表は親友と放課後ガストで過ごしているときに
メールで届いた。

合格、国名アメリカ合衆国

すごくうれしかった。
親友にすぐ報告したあと、母親にも報告。
親友は「10か月会えないのか、さみしいな」と言ってくれた。

母は喜んでくれた。
問題は

父である。

出発前まで無理難題とキレ散らかされるようになる。
すごく大変だった。


そしてこれまでの人生パスポートをつくったことすら
ない私が初海外で他人の家に10か月もお世話になるという
今考えればよく決心したなと思う出来ごとだった。


父との関係はどうなることやらと思ったが、
それでも行ってしまえば資金面、滞在中の電話代や生活費等
手厚く援助をしてくれた。

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