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「舞台」たった一回きりの人生、劇場

自分のお気に入り著者、西加奈子さんの作品紹介を致します。
比較的20代から自己承認欲求がどんどん上がるな、と感じる中で著者からの帯のメッセージに惹かれた一冊。
今回紹介の締めくくりとして、著者の帯を記事の最後に記載させていただきます。
今回もなるべく掘り下げ、抽象的に作品のコンセプトを捉えて、発信できればいいなと思います。

短めのあらすじ。
物凄く自意識過剰な29歳葉太。作家としての父が大嫌いだった葉太は、大好きな読書も家族の前では全くしなかった。
反発していた父の遺産を使い、初めての旅行、憧れのニューヨークへ。

滞在初日になんと葉太は、憧れだったセントラルパークで盗難に遭う。残金一日4ドルで最終日までしのぐ計画をたてるのに、パスポートの盗難届けすら出さない。「初日に何やってんだコイツは、、、」と思われたくないために。
大人なのか子どもなのか、父への反発からすべての成長を止めてしまったかのようだ。舞台で演じるような生活を演出する父を嫌っていたのに、葉太自身が誰よりも「演じる人」になってしまう。

そんなひねくれ者、葉太が旅行を通して得たものとは。。。


以上、簡単なあらすじになります。
SNSやレビューサイトを覗くと、「葉太が理解できない」や「葉太、めんどくさい!」などの意見が多く、それを理由に読みづらいという意見も少なくなかったですね。

この作品の主人公の葉太は、29歳でかなりの自意識過剰さ。
パスポートを盗難されたにも関わらず平静を装う、ニューヨークのタイムズスクエアに行くと「タイムズスクエアすぎる」と感じて観光客として見られないように振る舞うなど、傲慢にも思える承認欲求の高さがうかがえる。。。
さらに、物語として灰汁的なものを感じたのは、葉太は29歳という点。
性別問わず、承認欲求の高すぎる人間はどこにでもいる。
自分の身の回りにもいると思うし、SNSの普及によりグローバル化されたコニュニティー作りにおいても、ある程度の承認欲求の高さは必要な気もする。
だが、自意識過剰な所は大抵年相応に落ち着いてくるもの。
しかし、葉太に関しては過剰な、他人とは違う種類の取り憑かれた自意識過剰のように感じる。

葉太がそのような性格になった要因としては、祖父の葬儀で演じた父への反発から始まった。「こうはなりたく無い」と心の中で思う葉太の性格はだんだんとひん曲がり、自意識過剰が強くなり、「常に演じる人」になってしまう。

家庭環境が劣悪というわけではないが、父親に対する過剰な嫌悪感により性格悪の根本的な部分だとすると、かなり独りよがりな性格にも捉えられる。


別視点で、心の中の葉太は誰にでもあるのでは、、、?
それに対して周りの人の接し方が完璧であったら、、、?
そんな思いも作品の途中から、疑問として浮かび上がってきた。


承認欲求は誰にでもあるはず。
ただ、その思いが人それぞれに強弱があるということ。

【もしものおかしな話】
もし、この世界の人間に承認欲求のレベルが可視化されていたら、、、?
今かなりおかしなことを言っているので、想像してみてください。

よ~く見ると人の鼻と上唇の間に数値が書いてあります。
その数値は承認欲求・自意識の強さを表す数値です。
あなただけでなく、みんながみんなの数値を知れるのです。

今通り過ぎた七十代のおじ様は「20」、工事現場で働くとび職人の二十代男性には「45」、向こうから歩いてくる黒髪ロングが似合う三十代の女性には「115」、ベビーカーを押す四十代の奥様には「72」そのベビーカーに乗る赤ちゃんは「?」。

その数値は見えないことが当たり前だったが、もし見えるとなるとどう変わるか?

もしかしたら、数値が高い人にはよくある(愛のある)容姿イジリはしなくなるかもしれない。
もしかしたら、普段引っ込み思案のクラスメイトがクラスの誰よりも数値が高いかもしれない。
もしかしたら、何かしらを褒めてくる女上司の数値が人一倍高く、褒め返しを毎回伺っているかもしれない。

本来は数値が見えないから、人は人に対して気を遣い数値を調べているかの如く、接し方を変えているのかもしれない。
2005年頃に出版された「血液型の説明書」が一時期人気を博したように、「数値別~人との接し方~」なんて本が出るかも知れませんね(笑)。

話を少し戻します。。
承認欲求・自意識の強弱はあるにせよ、みんなに「葉太的な部分」はあるのだろうなと改めて思います。
好きな人には少しでも「格好良く、綺麗に」見られたいし、尊敬する上司には信頼されたい、後輩に対しては「頼られる・信頼される」存在になりたい。
しかし、自分が思う大事なことは「その強弱を自分で把握しているか」だと思います。
自分の満たされる事はどんなことか発見しているか。

「SNSに加工した写真をアップして、多くのいいねを貰えること」がその人の承認欲求になるのであれば、周りの人はいいねをしてあげたらいいと思う。
周りの人がその人に対しての対応に愛があるか。
愛のある対応をしてくれる人は数人でも周りにいるか。
その環境づくりが大事ですよね。
もしかしたら、その中に心無い悪口を書き込む輩がその環境に入り込むかも知れませんね。
理想な環境を整えるには、そんな輩に対応する機会も必要だとは思います。
話が脱線しますので、この話は別の記事に記載させていただきます。

この作品は、自意識過剰な主人公を客観的に見ることで、読者自身のの承認欲求とその周りの環境を顧みる機会になるかと思います。

そして、前半にも記載させていただいております著者の帯の素敵な言葉を最後の締めとさせていただきます。


「自分を演じることもある。そんな自分も愛してほしい。」

西加奈子「舞台」帯

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