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協調性とかそんなよく分からないエゴ思想に翻弄される必要性は全く無い訳で。

僕は今ゲームをしている。

そのゲームはFPS視点で他のプレイヤーを倒し、最終的な生き残りになれば勝利という単純明快なゲームだ。

ゲームの名は「APEX」

なんだかんだ言ってプレイ時間はかれこれ2000時間は超えている。
やってる方ならば分かると思うが、【罵倒】【チャットでの暴言】【仲間の罵り合い】などわりかし結構ある。
そんなゲームの何が面白いの?と思う方もいるだろう。

逆にやらないゲームはゆるゲーなるものだったり、和気藹々ゲーだったり
その中でも最もやらない、というかバチクソ嫌いなのがどうぶつの森。
要は仲良し子良しゲーが鳥肌が立つほど嫌いだ。
ひとたび皆が右を向けば右を向き、左足を前に出せば揃って左足を前に出すようなゲーム。虫唾が走る。

僕は時に思うことがある。そんなぬるゲーをしてるような人間の方がむしろ危険な気がすると。平和という一方的な暴力に浸っているのではないかと。

偏見だ。確かに行き過ぎた偏見かもしれない。
だが逆も然り、私がやっているゲームの系統に対して「人を56すゲームなんかやっている人間の方が危ないでしょ!何しでかすか分からない!」と思っている人もいるはずだ。むしろそっちの方が圧倒的に多いかもしれない。
思い込みも大多数が支持をすればソレは正解となってしまう世の中だ。

だけども一定数いると思うのだよ。僕の考えに対し「自分もそう思う!」と共感する人種が。

平たく言えば協調性の無い孤独派の意見ってやつです。今日はそんなお話。


保育園の時

物心つく頃っていうのはどこからを指すかは分からないが、鮮明に記憶が残っているのは保育園の時に広告の紙で剣を作ってチャンバラ的なことをしていたのが一番昔の鮮明な記憶。

それが物心つく頃っていうならその時からなのかと思う。

節目節目に保育士さんに毎回言われていたらしいのが、
「協調性が少しないようです」と。
母親伝いにそう言われました。

小学校の時

自分の小学校では通信簿なるものがあって、
全学年通して「協調性が無いようですが〜」「皆と一緒に行動する事が少し苦手なように思え〜」なんて事が冒頭で常に書かれていた。

中学校の時

周りからは絶妙にいい感じで絡みづらいようで学校では多少話すけど放課後は一切絡まないというのが3年間続くといった感じ。
にわか知り合いがいるというニュアンス。でも友人がいなくとも学校の時間が長いので困ることは一切ない。

高校の時

この時からようやく影響が出てくる頃。例えば修学旅行とかでグループ組まないといけなかったりするが組む人間がいないから先生と組むとかそんな感じ。
触らぬ神になんとやら、なのか空気的扱いになっていて話しかけられることはまず無い。
しかし個人的に「だから何だろう?」的に全くのノーダメ過ぎてむしろ都合が良いぐらいに思っていた。

大学の時

もう大学はサークルとか部活とか積極的に絡みに行かないと友人は出来ない場所で、勿論僕はサークルに入らない。だってあのぬるい感じがショック死するほど興味がないし、無駄だから。
「もう毎日飲みで今月金がきついよー」とかほざいているアホタレが教室にいたが単なる単細胞バカとしか思っていなかった。
行かなきゃいい。ただこれだけのことが出来ないとかホント無価値なゴミだな。くらいしか思ってなかった。
一方僕はツレもいないのでバイトしまくりで金が貯まりまくり。しまむらコーデから一気に服を買いまくった。(僕の昔のダサファッション脱却歴史は今後また改めて記事を書こうと思います。)

社会人?の時

学生時代がうっすいことばかり(でもマルチ商法の件があったな、、)だったので、その反動か社会人編が色々と複雑に分岐しまくるので今現在の事だけをかくと・・
仕事をしててとにかく、とにかーーーく言われるのが、
「もっとコミュニケーションを取る事が課題だね」とか「何考えているか分からない」とかだ。
要するに仕事に没頭しつつも雑談は率先して参加して、その上で和気藹々とやれと。


まあこっちの言い分を言うと、、

感情的には
「てめえに構っている暇はねえ」とか「うざってえから黙ってろ」とかで、
論理的には
「生産性が無いので遠慮します」とか「どうにも建設的ではない」とかになると思う。

コミュニケーション問題は恐らく多くの人がぶつかる問題でもあって、その中でも幼少期からDNAに協調性というシステムが構築されていない者達からするとこの一言に尽きる。

ムリなんだよね。

無理なんだよ。本当に。
こう言うと必ず言ってくるのが「意識の問題だから」「気持ちの問題だから」と言う。

どうしようもないんだよねコレがまた。
分かりやすく例えると
SwitchのゲームがPSで出来ないのと一緒。
パンをラーメンのように出来ないのと一緒。
洋服を和服にするのと一緒。
胸トレで脚を鍛えろと言っているのと一緒。

日頃差別化だの 個性を出すだの 違う意見を持てだの 十人十色だの 言ってる割には、都合のいい時に限って右向け右を強制化するエゴ思想。
一人一人の人権・性格・性質を無視してどうすんねんと主張したい。

僕からしたらさ、、

そのぬっる~い空気感
切り上げたい話なのにダラダラと終わらない雰囲気
中身の無いぬるま湯な関係値
僕達・私達楽しいで~すの押し付け合い

コレら僕にとっては「暴力」以外の何物でもない。辛すぎる。絶命する。

冒頭のゲームの話を回収するならば、ぬるゲー&仲良し子良しゲーしかしたことが無い人間と話すと、本当に些細で大したことがない問題に対しても過剰なまでに嫌悪感を抱く。

つまりは事実を受け入れ対処出来る許容の範囲があまりに小さすぎるのだ。
インフラを自らが作り出す能力が無く、整った整地でのみしか歩くことが出来ず、少しでも荒れていたら感情が制御出来ずすぐさま思考放棄。

バイキンマンがいないアンパンマンの世界そのものだ。
自分にとって信じられない異物は弾く。すぐに悪(良くないこと)へと認定される。
「楽しいことが大好き~」なんて言っているバカ共からすると、一般的に僕達のような部類は少数派なので、その人間達からすると異物。
多数派は正義となる。ひとたび正義なんだと思い込むと困ったことに増長する。
マンガでもあるよねこのパターン。
歯止めが効かなくなる。個性も性質もへったくれもない。


(一瞬だけ話逸れるが、人によって「楽しいこと」はそれぞれカタチが異なり、僕にとってはバイクとかゲームとか筋トレとか楽しいけど、所謂「楽しいこと大好き~」民は決まって「騒ぐこと」しか選択肢が無いのはバカの極みだと感じている。皆楽しいこと大好きなんだよ、人それぞれ違う楽しいことがあるんだから。お腹減ったからご飯食べる~!ってアホみたいに大きな声で言っているのと全く一緒だぞと。てことで話しを戻します。)

こちとら産まれてこの方この性質を持って爆誕している以上直すとかそんなレベルの話ではないのにも関わらず強制される。
ドラクエでいう毒沼をひたすら歩いてる状態。
DNAの設計レベルで協調性が組み込まれてない人種からしたらコミュニケーションというのは「絡まないこと」「話さないこと」がコミュニケーションとなっているのにだ。


そして無限地獄ループへ

で、ここまでで共感してくれる方々はずっとずっとずーーっと苦しんでいると思う。今日も明日も明後日も、未来永劫苦しむ。

そこでだ。
ここで解決されないとただの現状報告になって終わり。
そんなんで終わらせないのがこの記事の本質と考える。

解決するには話しかけられないようにするしかない。
しかし無視するわけにはいかない。
ならば黙らすしかない。

よって黙らす方法は以下になる。
①ですねー。はいー。的な感じでやり過ごす。
②やりたいんですけどねー、また今度でオネシャス!
③専門性に特化して黙らす。

①と②はその場を華麗に避けるには角が立たず非常にいいやり方でナチュラルに強調性というステ振りが完了している陽キャからすると簡単すぎる項目だが、僕達のような欠けている人種からするとこれでも精神的ダメージがかなり大きい為、1日の体力が80%以上ある時でないとバチクソ厳しい。

ということはもう③しかないのである。

そう、鬱陶しい状態を遠ざけるには出る杭打たれる前に飛び抜けちまえばいいという発想だ。
戦力を失わずして避けるしかないのだと。


・・

・・・分かる。非常に分かる。
手に取るようにはっきりと。
それが出来たら話は早いよと読んで頂けた方は思っているだろうと僕は思っている。

しかしだ。
長い目で見た時、この無限ループはこれから未来永劫続くのだ。
だったらこの2、3年頑張って断ち切る為にやるしかないのだ。

どうせダラダラと苦しむなら今苦しむしかないわけだ。
しかも専門性に長けていれば重宝される上に、今後の自分にとっても役に立つ。

しかも専門性に特化するために頑張っている時に周りを見てみると気づく事がある。
和気藹々としたり、協調性に富んでグループ化している事が「あまりに時間を無駄に浪費している」という事が顕著に分かる。

過去にDNAに無いものの非常に死ぬほど無理をして協調性という名のYESマンをした事があるが、今繋がっているものは全くの"ゼロ"だ。

本当に繋がっている必要があるものなんてのは良くて2割程度。
それ以上は頑張らなくていいのだ。
そもそも頑張るカテゴリーでもなんでもないのだ。

そんなエゴに付き合う必要はない。
赤信号、みんなで渡れば怖くない。でトラックが突っ込んできて死んだらまるで意味が無い。無駄な時間だ。
お望みならばそいつらだけ死なせてやればいい。

僕達少数派は自分の為だけに頑張ればいい。
それが結果的に周りに対しても利を生み出せるから。
上記に関してツラツラ言ってきたが、ほぼ仕事のことばかりだ。
でも問題ない。死ぬまでに生きていて過ごす時間は仕事と睡眠が大半だ。
遊びはどうしても仕事に比べ時間が少なくなる。
仕事で学んだことを遊びで活かせばいいだけだ。

人生に対して攻める方向性を変えればいいだけなのだ。
僕達弱者男性はそうやって生ぬるい中間を飛び越えて強者男性を目指せばいいのだ。

今、自分がこの場で生きている。
それがなによりの証明になっているはずである。


・・・と、ふと思いこの記事を書きました。



てことで今日もAPEXで一試合行ってきます!

行ってきまー!!


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