創作活動の題材にしたいものと、流行の違いについて
ヘンリーダーガーというネットでは有名な作家がいる。人生の全てを幼女を拷問するような押絵付きの小説「非現実の王国で」を描いて過ごしていたらしい。
作品自体は彼の死後、アパートの部屋から発見されたものであり、アーティストでもあった大家がその完成度に驚き公開したのだという。
日本国内でも書籍などで紹介されており、彼の歪んだ世界観が好きで、読んでいると近しいものを感じることがある。
手作りのイラストの色彩。禍々しくも、魅力的で、芸術作品として見ると、素晴らしいのだけど。
内容はひたすらグロテスクで、これが当時公開されていたら、あらぬ偏見を受けていたのだろうと思う。
(養子を持つことを望んでいたらしいけど、いくらなんでも無理だろと思う)
僕自身、暇さえあれば小説を書いているのですが。内容的には……その……かなり反社会的な場面が多く、読者からは危険人物認定されるのでしょう。
昔から、退廃的なもの、病的なもの、惨たらしいものが「美しい」と感じるし、人が苦しんでいる姿を見て「綺麗だな」と思う
美的感覚が、他人とは大きくズレていて。素の自分で創作活動を続けていても。誰かに認められるのは難しいのかな……と考えることがある。
僕は普通に仕事をしていても、楽しいと思ったことが本当に一度もない。飲み会でも喜んでるフリ。
みんなみたいに、王道の少年アニメを楽しめない。スポーツを頑張る姿をカッコいいと認識出来ない。そのための友情……ナニソレ?
アニメ鑑賞中、幼女を虐待する場面を美しいと感じるし、リストカットの場面に喜びを感じる(一緒にやりたくなる)。殺人衝動を持ったヒロインに共感して切なくなって涙を流す……。
ただ、自分の書きたいものを書くと。僕の中のエグイ部分が世間に受け入れられるのかと言うと疑問……。
今書いている小説が受け入れられなかったら、僕は途方に暮れてしまいそうだ。
一人でアウトサイダーアーティストを気取って、部屋に篭り続けるのも悪くは無いのかもしれない。
ヘンリーダーガーは生前、誰にも自分の作品を見せることなく、自分の世界観に篭っていたけど。それはそれで幸せな人生だよなあ……。
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