エッセイ:JOKERがほんとうにほしかったもの。
先日、親戚と映画「JOKER」を見ていた。
劇場で見た時は、鳴り響く銃声に身を竦ませるくらい怖かった記憶がある。そして、とんでもない傑作だと思った。あの時の興奮は今でも忘れられない。
公開当時から様々な論争があったと思うし、ネット上では内容について、「無敵の人」を煽るような書き込みが散見されていた。内容が内容だけに当然の流れなのでしょう。
公開から数年経ったけど、最近の日本を見ていると、ジョーカーを笑えないくらいに貧乏になってしまったと感じていた。
物品の値上がり、度重なる増税、貧富の拡大、犯罪の増加、富裕層と貧困層の分断……。自殺者も増加する一方だという。そういえばメンタルクリニックの患者さんも増えたなぁ……。
僕自身が精神障害を抱えており、経済的には浮き沈みが激しく。常に鬱屈とした感情を抱えている。
だからか、犯罪者達から賞賛されるジョーカーを見ていると、普通に「ハッピーエンド」に感じるくらいには感覚が麻痺してきた。
ただ、彼が本当に欲しかったものはコメディアンとして賞賛されたり、大金が転がり込んでくることだったんじゃないかと思う。真っ当に成功していれば、殺人犯にならずに済んだんじゃないか……と感じてしまうのだ。
僕は介護施設に勤めていた頃、過度のストレスで半分くらい発狂しながら勤務してた。ムカつく上司や利用者を殺してやろうかと思ったこともあったし、ハンマーで滅多打ちするイメージが頭から離れなかったことがある。
ただ、妄想には続きがあって、殺害後の床や壁には血肉が飛び散ってて、目の前にクソ共の死体というゴミが転がっていて、僕が呆然と突っ立っている……。
殺すことに対する罪悪感は無いとしても、「人を殺す羽目になってしまった」という惨めさには耐えられない……と思う。
僕は他人を殺すことなんかどうでも良くて、経済的に豊かになったり、お小遣いが増えた方が幸せならしい。例えばこの記事が沢山「いいね」されて、ほんのちょっと優越感を感じた方が気持ちが良いに違いない。殺すことが性的快楽みたいな変態もいるのだろうけど、僕はそういうタイプでは無いのだろうし。幸いにも理解の範疇外だった。
映画の劇中でアーサーが笑いながら泣く場面があったけど、彼は本当は何を望んでいたんだろう。温かい家族だったり、金銭的な豊かさ、コメディアンとしての夢を叶えること……。
ジョーカーとして覚醒、死体の山というゴミの上で踊り続けて、彼は本当に幸せだったのだろうか。
涙でメイクが落ちていくのを見ていると、悲しいハッピーエンドだなぁと思うのでした。
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