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エッセイ:障害者の子供が死ぬとお星様になるという感覚。

 先日、隣近所で、知的障害を抱えた子供が亡くなったらしく。母親が号泣していたのを見かけた。僕は障害者が子供のまま亡くなることを、「天国」とか「お星様」と呼んでいます。

 親戚が自閉症なので、支援学級内での死亡事例に鉢合わせることがあり。その度に先生が「きっと天国で神様から可愛がられているよ」「生まれ変わったら会いに来てくれるかも」と話してたから。そう呼ぶようになった。

 残された両親に対して、天国という『空想の世界』で子供達が幸せになっているよ、と声掛けするのは優しいし、合理的な気がする。

 障害者というのは大人になればなるほど差別される。介護施設で働いてた頃、大人になった障害者のことを見ていると、「お星様になれなかったんだな……」と感じていました。

 大人になってしまうと体も大きくなるし、年老いた両親は面倒を見切れなくなる。性欲の問題とも折り合いつけなくちゃいけないし、死体だって子供の方が後始末が楽でしょう。

 だから、障害者の子供が死んでしまったとしても、寧ろその方が幸せだった……というのは確実にあると思うのです。

「今生きてたら今年は成人式だったね」
「きっと天国では見守っててくれてるよ」

 そんなふうにアルバムでも眺めながら、子供の霊魂に夢を見ていた方が良いのかも知れない。悲しまれる内に亡くなるのも一種の幸福だと思うから。

 亡くなった子供、本人を見てそう思ったと言うよりも、周囲の大人たちの対応を見て『皮肉』としてそう感じてしまっていたのですね。

 それに、僕自身も精神障害を抱えているから。自分の子供の頃の写真を見ていると、この時に死んで「お星様」になりたかったなぁ……と思っていた。

 幼くして死んでお星様扱いされるのと、生きて差別される人生。あなたならどっちを選びますか?

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