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常に病気と背中合わせの人生だからこそ

皆さん、こんばんは、って時間じゃないですね。(苦笑)
でも心配しないで下さい、病院から帰ってきた後、かなり爆睡してましたので。(笑)
今日(既に昨日)は(も)、私の病気(子宮内膜増殖症)の検査結果を心配して下さるコメントをたくさん頂戴しまして、本当にありがとうございます。
とっても、勇気づけられました、励まされました。
こんなにありがたいことはないです。
心から感謝申し上げます。


思えば、noteを恐る恐る始めたのは、膠原病(皮膚筋炎)の薬の副作用の辛さと、子宮内膜増殖症発症への不安と、毒親気質の親の愚痴を吐く為のようなものでした。
それがいつしか、私の大好きな音楽記事やら、日記、思い出などがメインのページと化し、私の心を和ませてくれるものとなりました。
いまだに闘病毒親気質の親のことなども書いてますけど、当時とはまた全然違う思いで書くことができるようになりました。

もっと余裕を持って、目の前のことに取り組んだり思考できるようになった気が致します。
それもこれも、私のつたない記事を読んで下さったり、コメントを下さったりした皆さんのおかげであると、今回は特に痛感した次第です。

私は記事に書いてある通り、人生を本当に不器用(愚か)にしか生きられない人間でした。
ここに書いてあることは自分の人生のほぼ一部であり、そして私の人間性のほぼ一部しか書くことはできておりません故、本来の人物像よりも良い印象を持って頂いたコメントを頂戴すると、激しく照れておりますが、それも皆さんの温かなお気持ちと思い、嬉しく受け止めさせて頂いています。

私はずっと自己肯定感の低い人間で、それは毒親気質の親育ち故であると思っていましたが、そんな自分を変える勇気がなかった私自身が一番大きな原因であったということにも、ようやく気付かされたところです。


私は、膠原病(皮膚筋炎)膠原病(皮膚筋炎)の合併症による間質性肺炎と、子宮内膜増殖症の3つの病気を一気に経験したことにより、心も体もすさみきっておりました。
ですが、ここnoteで様々な思いを書き、闘病中の方と語らい、闘病中でない方から励まして頂く、という交流を通して、

常に病気と背中合わせの人生だからこそ、

わかったこともありました。
病気にならなければ、闘病の辛さはわかりませんでした。
病気にならなければ、命のありがたみもわかりませんでした。
病気にならなければ、人の温かさをこんなにも感じることもありませんでした。

私の病気は、どれも完治はなく、特に膠原病(皮膚筋炎)に至っては、寛解したとしても再発リスクがつきまとい、合併症として、全身のどこにがんを発症してもおかしくはなく、特に間質性肺炎は発症しやすい状態です。
既に間質性肺炎はやってますので、慢性的に肺が壊れている状態です。
だから、私は歩くことはできても息切れをしておりますし、小走りすらまともにできない体です。

それでも生きていかねばなりません。
生きている以上、それが人間の使命だと思うからです。
もう私は若くはありません。
それどころか、初老の域に入っていると言えるでしょう。
私は若い頃、いや病気をする前まで、無責任にも、自分より年上の方に、

「まだ若いんですから大丈夫ですよ。」

などと言っていました。
しかし年齢を重ねた人の立場になってみれば、そんな簡単なことではなかったはずです。
心身の衰えを感じ、持病の悪化を感じ、残りの人生への不安を感じ、社会に置いてかれてしまった孤独を感じていたはずなのです。

私は病気になって、初めて、それらの感情を、実感しました。
自分の人生を大事にしたい、それは言うなれば、常に感謝をして生きていきたいとういうことです。
立派な人になんかなりたくありません。
地位も名誉も要りません。

私は感謝を持ち続けて生きていきたいのです。
それが、人生の想像力となり、創造力となり、豊かな時間を過ごす原動力となると信じているからです。

これからは自分の人生をもう少し丁寧に生きてみようと思います。
そして、限りある人生であるということを自覚して、取捨選択を適当にしない生き方に変えていきたいと思っています。

こんな私の話相手になって下さった皆さん、本当にありがとうございます。
noteだけでなく、実生活の方も地に足をつけた生き方をしていきたいので、noteとのより良い付き合い方を検討していきたいと思っています。



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