見出し画像

母とぶつかってきた理由。。。「私だったらそんなことはしない」などと、常に自分基準で言われてきたこと

皆さん、こんにちは☀
先日は、おかげさまで、脳腫瘍の手術入院をしていた主人が、無事、退院となりました。
精密検査の結果、腫瘍は良性と判明、リハビリも日常生活の中ですれば良いとのこと、仕事復帰も来月上旬には可能となりました。
本人の体力が元々あったからか?順調に回復してくれています。
先生曰く、リハビリがそれなりに必要だと予想されていたようで、予想を裏切った形となり、夫婦共々、大変、喜んでおります。

しかしながら、体重は(糖尿病食だった為)4キロ落ち、パンパンだった筋肉はふにゃふにゃになってしまいました。
声帯も細くなってしまったのか?声が小さくなって(しゃがれてしまって)います。
体力がなくなってしまったのでしょうね、仕事復帰までは体力作りが必要そうです。

さて、主人の話はこれぐらいにして、本日は、毒親気質の母のことについて書きたいと思います。
私はnoteを始めた頃、母のことを毒親と言っていました。
しかし、問題の多い母親といえど、毒親と言い切ることに(私の場合はですが)違和感があった為、毒親気質のという表示に変えてきました。

最近、改めて思ったのですが、母は毒親気質というよりは、脳の働きに困った特性が多くある人といった感じです。
母は私が幼い頃から、思考や言動に偏りがある人でした。
一言で言うならば、自分基準で物事を捉えたり、人や社会を評価する傾向が強いタイプです。

母の口癖は、「私だったらそんなことはしない」などと、常に自分基準で語ることです。
これが本当に頭に来ます。

例えば、母は、自分ができることは、自分以外の人もできて当たり前という考えです。
そんなわけで、自分ができることを、自分以外の人ができないと、できない人をものすごく批判(否定)してきます。

逆に、自分ができないことは、自分以外の人もできないものだと思っています。(そもそも、できないという認識がないです)
大人として、道徳的にできないとおかしいことであっても、それができない自分を反省するよりも、できないことを注意してきた私(または他者)を口うるさいなどと揶揄してきます。

とにかく、何事も自分基準なのです。
視野が狭いのです、狭すぎるのです。
母の一番不得意なこと、他者のことを想像したり思いやったりすることができないことです。
思考に広がりがないのです、情報の集約的なことができないのです。

母を感情的に非難する日々をずっと送ってきましたが、母の脳の特性を理解した方が、直接的影響を減らすことが可能なのではないかと感じてきました。
父も亡くなり、親はただ一人ですし、退院したばかりの主人のことでお世話になることもあるかもしれませんし、わざわざ不仲になることもないかなと思って、今はだいぶ穏やかな関係性を築けるようになってきました。

なんとなく、そんなことを思った次第です。
とりとめのない記事になってしまいましたが、読んで下さった皆さん、ありがとうございます。


さて、今日も生きるとしよう。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?