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自分の記事を見ると、敢えて自分に問題(人生の課題)を突き付けて、自分の過去と現在と未来を同一線上に表そうとしている気がする←相変わらず、わかりにくいなぁ(苦笑)

ご存じの方も多いが、私の父は今、延命治療、真っただ中にある。
命の境目をさまよっていたが、ちょっぴりだけその危機を脱した感がある。
もちろん、急変の可能性があるので、なんとも言えないが、何も手に付かない、何も考えられないに近かった状態は、私自身も脱した感じである。

となると、私の思考癖が再び、やってくる。
考えても明確な答えの出ないことを、つらつらと考えだし、自分なりの答えというより道を開こうとしだす。
思考の道を広くする感覚だろうか?

先ほどのつぶやきなんて、ハッキリ言って、またこんな暗いこと書いてと後悔したぐらいだが、何か自分に必要な気もしたので書いてみた。
つぶやきの内容は、一言で言ってしまえば、

「人間は、気まぐれな生き物だ」

ということである。
自分だって人間、自分だって気まぐれなくせに、書きながら何を偉そうなことをと思う自分もいた。
しかし、許容範囲の気まぐれを通り越して、

無自覚な悪意にも似た人種が存在することを書きたい自分がいたことは、否めない。

私は、過去記事でも何度か言っているが、「無自覚な悪意」ほど罪深きものはないと思っている。
もちろん、自覚ある悪意も罪深いが、無自覚な人間は、自分が悪人であっても善人と信じて疑わない思考・言動をするから、ある意味、制御できない怖さがある。

おそらく、私はこの手のタイプに狙われやすく、悩まされてきたのではないかと分析している。
分析したからといって、これからの人生が劇的に変わるわけじゃない。
じゃあ、なぜ、わざわざそんなめんどくさいことをするのか?
それは、さっきも言ったが、思考の道を広げる作業なのだと思われる。

思考の道を広げる、意味わからんちんだと思う方、ごめんなさいね。
どうも、私は人生の課題に対して、ごちゃごちゃとたくさんの言葉を使ってひねくり倒すのが好きなようなので、好き嫌い分かれる文章(思考)かと、一応、自覚しておりまするので、ご理解下さいませね。(苦笑)

思考の道を広げると、結果的に、過去と現在と未来が同一線上につながってくる気がするのだな。
これは、私の特殊な感覚なのかもしれないので、皆さんにもお勧めするとか、この考え方自体をご理解して頂きたいと思っているわけではないです。
ただ、私はこんな感じで、自分の思考の整理、人生の道の調整をしてますって、話をしたかっただけのようです。(笑)


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