見出し画像

お客様インタビュー・空気公団(山崎ゆかり)さん 前編

山崎ゆかりさんは、ありまさが開店した2015年くらい、比較的早い時期からご来店下さっているお客様です。
当初私達は空気公団を知らず、なので山崎さんが山崎さんだと気づいておらず、「私達音楽が大好きなんです~」「今度DJイベントをするんです~」などとお話ししていて、今思うと結構恥ずかしい…。

昨年「景色一空」を聴かせて頂いて衝撃を受け、そこから本当に毎日毎日聴いて、感動して、ライブにも伺い

今やすっかりファン…。
夫は好きすぎて旅行中ずっと空気公団を聴いているし、長いファンレターを書くし、私は朝方にYouTubeをポチっと押してはしょっちゅう涙ぐんでいます。

山崎さんの曲の特徴は、何度も聴きたくなること。
訪ねる度に印象が違う建築のような、聴けば聴くほどその世界の不思議に吸い寄せられる、美しい謎なのです。
山崎さんは「私の曲はよく『スルメ』って言われます」と仰っていましたが、皆さん何度も噛みしめたくなるのですね…。

そんな音楽を創る山崎さんって、いったいどんな方なのでしょう…
休日のカウンターでじっくりと伺いました。

☆☆☆☆☆

ーーはじめて曲を作ったのはいつごろですか?

山崎 子どもの頃は親が昔話も絵本も全部揃えてくれていて、読み聞かせのカセットテープとかもずっと聴いていました。だから言葉を使った何かをやってみたい気持ちがあって、はじめは親に
「作詞家になりたい」
って。でも
「何言ってんの? 無理」
って言われて、それなら他に何かできないかな? とエレクトーンで曲を書いて、詞を書いて、オールナイトニッポンが公募をしていたので送って、ウッチャンナンチャンだからもう少しおチャラけたのを期待されてたんだろうけど(笑)、私は本気すぎて…でも放送されたんです。それがスタートです。16歳の頃。

そもそも何か創ろうと思ったのは、ある日、今こういう時間は一回しか味わえない、この先この時間は来ないと思ったらガーンとなって、
これを記録に残さなければ! と。
やってみよう、だって今日しかないもんね、みたいな。
誰にも知られないで死にたくないわ…って思ったのも覚えています。記憶に残りたい、
「あの人死んだらしいよ」
って言われて死にたい。
そのために…記録の手段として絵を描く人もいる、文章を書く人もいる、写真を撮る人もいる。私の場合、それが音楽だったんだと思います。

音を記録したいという気持ちから「朝録」をしていました。
毎朝録音をする。
家の中とか、自宅の周りとか。
毎日同じ車が通る、でも土日は通らない。
(青森に住んでいたので)冬は雪が降る。私のふーっていう息の音がする。
母親が間違って入ってきちゃったりとか、鳥の声とか、雨が降っているとか。
何月何日はこういう音って、毎日録って。
妙にこういう、二度とない過ぎていくもの、儚さみたいなものが大事でした。
よく「ミュージシャンの誰に影響されましたか?」みたいな質問を受けるんですけど、特にいないんです。
強いて言うと、こういう音、いろいろな音。
そこから何か生まれているのかもしれない。

ーーどうしても記録しておきたい音、言葉。空気公団を何回も聴きたくなる秘密の一端を垣間見た気がします。

山崎 言葉だけでも音だけでもない、その間で生きています。

山崎 コミュニケーションする時に言葉は大事だけれど、言葉だけだと意外と薄くて軽い、弱い印象があって、小説家の友達には
「それは日本語を知らないからだ。辞書をひいてみ? 全部熟語になっているよ」
と言われるけど、言葉にかえられないこの気持ち、私はやっぱりあいまいなところ、黒か白かじゃないぎりぎりの色合い、グラデーションとか中間地を目指しているんだろうと思います。

「あーきれい」って一言で言うけど、そのきれいの中のすごい深み、「悲しい」の中の悲しみの度合いって、音を足すことによって妙な奥行きというか、広がりというか、そういうものが出るんじゃないかな…と思ってそこを意識していますね。

ーー今回のジャケットもグラデーションが美しい。毎回すごく凝っていらっしゃいますよね?

山崎 でもジャケットに凝るとお金がかかるんですよ(笑)
もうジャケットという感覚がなくて、私にとっては1枚の紙というか。例えば広げると…ひとつの街になるって、ジャケットでしか表現できない。

昨年リリースされた「景色一空」のCD

これまでもCDをDVDのトールサイズのケースに入れたりとか、ブックレットを規定の半分の大きさにしたりとか、いろいろな形をやったんですよ。
でもその都度怒られる(笑)。

だけど音には顔が無いので、私はそう思っているんで、ジャケットは顔。音だけで「この人(空気公団)は何が言いたいのか」理解するのは難しいんだから、ヒントとして何かないと…と拘っている。

ーーライブだと皆さん音楽は当然聴いている、今はYouTubeなどもあるけれど、それでもLPやCD、グッズを買っていく。山崎さんの「もの」に込めたメッセージを静かに噛みしめている方が多い印象を受けました。

山崎 みんな一人ずつ答えを持っている。当然私は正解を持っているけれど、私の答えを知る必要もなくて、ライブはそれぞれの答え合わせと言うか、他の人達の答えも知りたいとか、あと自分の他にどんな人が空気公団を聴いているのか、とか。
私はヒントを沢山出すけど、その中で自分の好きなように空気公団の音楽を育ててくれたらいいなと思っています。

ーーライブは化学反応という、その日その時にしかない味わいを楽しみにしている方も多いですね。
ライブのMCで「間」が好きだというお話をなさっていました。今はタイパ、コスパでつめてつめて、正解もすぐに欲しいという感じですが、山崎さんはむしろ間を空ける。受け止める側が考える時間をあえて設けていますね。

山崎 そうそう…だから正解がすぐにもらえない、難しいと思っちゃう人もいる。
私は演奏する人達にも、予めデモを作って「ここは絶対『ミ』を弾いてね」とか言っていないんですよ。本当に好きに弾いてほしい。私が言っちゃうと自分の世界で完結しちゃうんで、それは面白くないんで。大体のイメージは伝えますけど。
あとCDとライブは全く同じように演奏しないで、と。同じならCDを聴けばいいんで。
だからバンド全員がそれぞれの「景色一空」を感じて、自分なりに弾いていて、音や言葉は詰め込んでいないけど、音楽の中にはすごいアイディアがいっぱいで、空気がぷっくぷく(笑)。空気だらけ。
そこに入り込んで迷っちゃう、酔っちゃうという人もいるかもしれないけど、そういうのが心地いいという人には楽しいような気もする。

ーーライブ会場にいた方々は、空気公団の美しい迷路に迷うのが好き。掘り下げて聴くのも大好き、という方が多いようにお見受けしました。
掘り下げて掘り下げて、地下で山崎さんと会いたい…というような。
以前のインタビューを拝読しますと、ライブ自体否定されたりしていましたが…

山崎 ライブは苦手なんですよ。
だけど里親に会う感覚って楽しいですよね? それぞれが空気公団を聴いてくれて、心の中で育てて、ライブに連れて来てくれる。
うわー、ありがとうございます! って、その感覚は好き。

ライブは…私は高校を卒業して音楽学校の作曲科に入ったんですけど、当時は二年契約の寮を一年で出ていくことになるくらいいろいろなライブに行ったんです(ライブに行くと寮の門限が守れない。それでもライブに行きまくったため、1人暮らしすることになった経緯があるそう)。
でもいろいろ聴いてみて思ったのが、ライブって当然だけど顔出しで、「私が」「俺が」って主張して、音楽よりその人が前に出てくる感じがしたんです。私は人より音楽を聴いてほしかったから、あ、ライブはしなくていいやって。

それで2.3曲作ってデモテープをいろんなところに送ってみたら1社「会いましょう」というところがあって、会いに行ってみると「いや~、久しぶりに1番くらいまで聴いたかな? 大概イントロで分かったりするんだよね」 とか言われて(笑)

ーーデモテープが大量に送られてくるからなんでしょうけど…(笑)

山崎 でもその人は「ライブはした方がいいよ」とアドバイスしてくれて、ライブはしてみようと。
でもほとんどのライブハウスはオーディションが必要だったんですね。
生意気だったからオーディションもかったるいなあ…と思っていて、そうしたら「オーディション無しで出られますよ、アコースティックナイトですよ」というところがあった。
良かった良かった、そこに出ようね…と行ってみたらメタルのアコースティックで(笑)、あれ? 髑髏に血がバーッと出てるけど…(笑)
私達は自分達で全然集客していなくて、友達が5人くらい来てたかな、他の人達が呼んだお客さんに聞いてもらえればいいやって甘えていたから、目の前はメタルのオーディエンスばっかり(笑)
やってみたら楽しかったですけど(笑)。

ただやっぱり音楽を前に出させるためにはこのやり方じゃないなと思って、その後にスクリーンバックライブというのをやりました。
ステージを全幕で覆って、私達はその中で演奏する。真正面を見る必要もないから円になって、そこに3カメくらい入れて、その様子をスクリーンに映す。

スクリーンバックライブのパンフレット
開けてみると…⇩

最終的には「客席で『本当に中で演奏しているのか?』と疑問の声が出ている」と言われて、最後だけ幕を上げて「いますよ、私達でした」と。
幕を上げて演奏するわけでもなく、挨拶だけして終わり(笑)。

ーー面白い! 見たかったです。

山崎 でも、いろんな雑誌が興味を持ってインタビューが来るかと思いきや、全然来ない(笑)。それで自分達で本を作ったりして、その間にもライブのお誘いとかあったんですけどことごとくお断りしているうちに孤立して、空気公団って誰? 何? という風になっていった。

2001年にメジャーに行ったんですが、その時もライブしなくていいからね、という約束でした。
ただ、ここもやめました。
「これ出したいんです」と言ったら「順番があるからすぐには出せない」と言われたり…。
私はそういう風に生きてないんで「すみません、やめます」と。
そうしたら…、すごく怒られました。

当時を知っている人達には空気公団は生意気というか、怖い印象をね、空気公団がというより私が怖いのね(笑)、何を言い出すのか分からないという。
私達は私達のやりたい時期に、私達のタイミングで、季節の便りみたいに、1年に1枚は出したい…と。
2008年に自分達でfuwari studio を立ち上げました。
そして今に至るという感じです。

メジャーにいたら人生変わったかもしれないな…なんて思うことはあります。
でも一生は一回しかない。私はこの一日、この時間に執着していて、この瞬間を絶対おろそかにしたくない。
出したい曲があったら「今はリリースできないよ」って誰かに止められるものじゃない。
「あなたの音楽は〇〇風」とか「~の世界観を持っている」とか、そういうカテゴライズもよく分からない。戦略としては正しいのかもしれないけど。

1人1人バラバラじゃん?
自由にやっていいんじゃない?

そういう思いがずっとあります。

メジャー第一弾のアー写(アーティスト写真)、私は当時の担当者に絵にしたいって言ったんですよ。そしたら
「エっ…」
て絶句された(笑)。
「風景の絵にしたい」「そこに4人いるの?」「いないです。風景だけ」「…ふーん」
担当者が固まってるから、
「じゃあ写真で」「写真はいいと思うよ」「風景の写真…」「……」
また固まってて…(笑)
でも今はあるじゃないですか? SNSのアイコンでも。
20年早かった。

ーー昨年のアーティスト写真も目を凝らさないと人がいるって分からない(笑)。山崎さんが見えないという…

山崎 暗がりにいるから。フェスとかいろんなアーティストが出演するイベント告知だと「何だこれ?」って逆に目立つんですけど、この前雑誌に送ったら、明るくして拡大してくれたりして、気を遣わせてしまった。
「あ、ごめんなさい。加工無しで…」
って戻してもらいました。
どんな奴がやってるかなんていいんです、音楽だけ聴いてくれれば。

(つづく)



最後までお読み下さり、誠にありがとうございました。私のnoteはすべて無料です。サポートも嬉しいですが、「スキ」がとても励みになります(^▽^)/