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信長とウオーキングとハーブ園

本能寺の変により、天下統一目前に49歳で
その生涯を閉じた織田信長。
実はその破天荒な性格からは考えられないほど、
信長はかなり健康には留意していたようです。
 
桶狭間の戦いで打ち破った今川義元は、
馬に乗れないほど肥満であったと
言われていますが、
信長は、武芸、乗馬、水泳の修練などで
日頃から肉体の鍛練を欠かしませんでした。
 
また、今でいうウォーキングが彼の日課でした。
信長は永禄10年(1567年)、本拠地を岐阜城に移しています。
岐阜城は標高329mの金華山に築かれた山城で
あったため、結果、山の上り下りが日常となります。
 

ルイス・フロイス

ポルトガルの宣教師、ルイス・フロイスが記した
『日本史』によれば
信長は城の麓に来客用の館を建設し、
そこで待たせておいて
自ら山道を降りてきて面会したそうです。

ちなみに現代人がそこを往復すると、下りに40分、
登りに50分は掛かるとのことで
忙しくなり運動に時間を割きにくくなった
信長の苦肉の策と考えられています。
 
歩くことは、健康寿命を延ばすのに
必要な太ももの筋肉を鍛えるのに
極めて効果的であり、
また、山道の上り下りは有酸素運動としても
優れていることも知られています。
 
この生活パターンは、居城を安土城に移しても
あまり変わらなかったようです。
というのも、安土城の天主は
地下1階地上6階建てで、
その高さは32mもあったからです。

これは現代の10階建てビルに相当し、
階段の上り下りを通常のウォーキングと比較すると、
凡そ3倍もの運動効果が
得られたのではないかと考えられています。
 
また、信長は特殊な草履を履いていたといわれます。
それは「足中」というもので、草履の土踏まずあたりから
後ろをカットしたもの。


足中


これを履くと重心が当然土踏まずより前にくるため、
腰や首への負担が軽減され、
肩こり・腰痛などが生じにくくなると言われます。
 
また、信長は宣教師から
病気の治療のためにハーブか使われていることについて
教えられています。
 
『切支丹宗門朝記』という記録本によると、
信長は伊吹山に50町、
東京ドームにして10個分の広さのハーブ園を作らせて、
3000種ものハーブを栽培させていたそうです。


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